基準のつくり方
受傷前の自分とは違うという前提で動いているので、ここで大事になってくるのが基準のつくり方。
今までの自分にとって正解だったものが変わっている可能性もあるし、そもそも間違った解釈も多々あったと思う。
まあ変わったものはしょうがないので、これからまた自分のものさしをつくればいいのだが、問題はそのやり方。
人に見てもらうことで物理的な客観視を入れながらみっちりとやれればいいが、チームのリソースも限られているし、なんなら前十字は切れたままなので、そもそも客観的基準でつくってよいものなのかという疑問すらある。
となると、やるべきことはただ一つ。
自分の感覚を頼りに、ひたすらにいろいろ試す中で共通する一つの事実を導き出すこと。
これはぼくが社会や人のことを理解しとうとする時に使う学習法と同じで、業界に関わらず、いろいろな世界での話を聞いたりすることで、まずは様々な価値観を学ぶ。
そうやっていろんなことを見ていると、もちろん専門性が高い内容はちんぷんかんなのだが、人や組織に関わることはどこでも同じことが起こっていて、職業だったり、表面的なものでは違いはあれど、それぞれの土台をつくるものは一貫して同じだということに気付ける。
日本は一つを決めて極めていくことが文化的思想として強かったので、その分優れた技術者たちもたくさん生まれてきているけど、今は転職も自由な選択となっていたりと、時代の流れは確実に変化しているので、もう少ししたら社会における思想のシフトも起きると思う。
少し話が逸れてしまったけど、これは身体にも同じことが言える。
よいと思えることを徹底的に極めるやり方もあって、実際に昔までの私はずっとそれでやってきた。
しかし、今回の場合は、自分の中で新たな基準をつくり出すことが目的。
一つの価値観だけで基準をつくってしまうのは非常にもったいなく、何より応用性が効かなくなる。
立体的に身体を理解するために、さまざまな動作の中で「自分にとって心地良い身体の位置は?動かし方は?」というようなことを考えながら、最後は自分の感覚を頼りに決断していく。
ピッチの外ではもう何年も前からやってきたことなのに、肝心なサッカーの方で気付けたのは今週。
視座が低いというより、人生の大半をかけて自分なりの理論を構築してきた分、知識を横繋ぎにして俯瞰するのに時間がかかっている印象。
ここはもう言語化による振り返りを徹底的にやりこんでいくしかない。
ともあれ、自分の中で納得できるやり方に辿り着いたので、こちらもあとは徹底的にやり込むだけで、おかげで骨盤は少しづつ改善されてきた。
魔の領域である両肩にも着手し始めて、少しずつ全体の連動も微弱ながら感じられるようになってきたので、ここからの変化がますます楽しみ。
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