【特別公開】韓勝源「海神の沼」

 柏書房営業部です。
 先日、今年のノーベル文学賞受賞者が発表されました。受賞したのは、韓国の作家・ハン ガンさん。韓国人初であり、かつアジア人女性初のノーベル文学賞受賞者です。
 そんな韓江さんですが、昨今の国際情勢を鑑み、記者会見は行わない予定とのこと。そこで彼女に代わって取材に応じているのが、父であり、同じく作家でもあるハン 勝源スンウォンさん。
 柏書房、かつて『韓国の現代文学』というシリーズを刊行しておりました。そして、なんと!そのなかに他ならぬ韓勝源さんの短編小説「海神の沼」が収録されていたのです!
 「歴史的トラウマに立ち向かい、人間の命のはかなさをあらわにした強烈な詩的散文」―― スウェーデン・アカデミーが挙げた受賞理由は、韓勝源さんの短編小説にも、たしかに相通じるものがあるように感じられます。
 そこで、『韓国の現代文学』の入手がきわめて困難であるという現状もふまえ、このたびのノーベル文学賞受賞を記念し、「海神の沼」を公式note「かしわもち」にて公開することにいたしました!!!
 この機会にすこしでも多くの方々にお読みいただけますと幸いです。 

海神の沼
ハン 勝源スンウォン

 眠ってしまったら眉に霜が降りたように虱の卵が白くくっつくという、正月十四日の宵のことであった。
 ジンメ尾根の黒々とした松林の上に稲藁で編んだ碾臼ひきうすの下敷きのような黄色い月が昇った。中庭を覆っていた漆の闇が、さながら濁り水に真水をそそいだように薄明るく変わった。月を見た途端、顔が粳米餅うるしもちのように丸く平べったいタルシクのことが思い浮かんだ。銃で撃たれて死ぬ日まで、そのころは髪をり長く垂れていた妻ヨンニムのハートを生け捕りにして放さなかったタルシクだった。
 小用をたして戻ったソンマンはずっと部屋の中に閉じ込もって横になったまま、台所でコトコト音をたてている妻の挙動に耳をそばだてていた。妻の挙動がこの夜にかぎっていっそう怪しげで、彼は海神まつりに出かけようと誘いに来たトチュリも、体の具合が悪いと首を横に振って帰したのだった。
 台所にいた妻が板の間のほうへ歩いて行った。祖先の霊前に供え物を整えようとしているのだ。この祭日の祭祀ジェサのために妻はこの一ヶ月のあいだ体を清潔に保ってきた。どことなく近ごろはいつも顔色が蒼白く、長い溜息をつくのを推して見れば、何かの病気にでも罹ったのではないかと案じられた。いや、妻は自分一人だけの秘密のためこの日を待っていたのではなかろうか。この夜を折りにだれかと会おうとする様子だった。そのために妻は寝床でも夫を避けてきたのだ。
 ソンマンは歯を食いしばった。いったいぜんたいだれと会おうとしているのか探り出さねばならなかった。探り出して決着をつけねばならなかった。
 妻は板の間でしばらく気配がして台所へ行った。台所から板の間に来た。もうしばらく長い気配がしたと思うと、台所へ行った。ソンマンは眠ったふりをしていた。普通の家では夜が更けてからまつる祭祀を、妻は供え物を整えてすでに準備し終わっていた。早めに仕切りすぎたとなじるつもりはなかった。しもの村の人たちはみんな宵のうちに祭祀をまつっていたからだ。この夜はソンマンとしてはただひたすらに妻の挙動だけを監視すればそれでよかった。
 どこからかみだりがましくケケン、ケン、ケンと鉦を打つ音が聞こえてきて、それを執拗になだめるような銅鑼の音がひときわ長く鳴っている。音はすぐおさまった。村の倉庫から農楽の囃子はやし道具を砂浜へ持ち出すのだろう。海神まつりを行うときは、もともと農楽で囃しながら練り歩くのが慣例だった。海神まつりはたいてい宵に行われた。 夜半を前後して村人たちが家でまつる祭祀の妨げになるため、鉦の音は出せなかった。台所から板の間に移る妻の歩調が早くなった。板の間に入った妻はしばらく気配をたてていたが、そのうち口で蠟燭の火を吹き消す音がして、板の間がひっそりと静まった。
 子供たちの喊声が遙かに聞こえてくる。下の村の子供たちとかみの村の子供たちが喧嘩をくり広げているのだ。喧嘩はこの日の夕方から始まり夜更けまで続けられる。それは火を放つ仕業から始まる。二つの村の子供たちは、自分たちの村の前の田や畑の坂から相手側の村のほうへ火を放ちながら、二つの村の間を流れる小川の土手を境にして飛礫合戦つぶてがっせんをくり広げた。今ごろの子供たちは喧嘩のやり方がうまくなった。前方部隊と後方部隊を編成して、後退するように見せかけては追いかけてきた敵を伏兵とともに包囲して殲滅したりもするのだった。片方の村の子供たちが奇襲にあい押しまくられているようで、それを追うもう片方の子供たちが大きく喊声を上げている。
 ソンマンも幼いころによくやった喧嘩だった。彼は一度も下の村の子供たちに敗北をきっしたことはなかった。喧嘩はチョムパウがうまかった。チョムパウは待ち伏せ部隊を小川のほとりに忍ばせ、号令一下で一斉に突撃する作戦をよくやったものだった。攻撃に持ちこたえられない下の村の子供たちは、バラバラに崩されて逃亡するのが常だった。下の村の子供を砂丘まで追いつめ威勢を誇るのも一度や二度ではなかった。ソンマンの耳には今もまだチョムパウとともに飛礫を投げ、下の村の子供を砂丘まで追いつめながら、得意気に叫んだ「万歳マンセ」の声がいまだに残っている。
 そこまで記憶をたどったソンマンは眉をひそめてゴロンと横になった。チョムパウは癖の悪いところがあった。妻はもしかするとチョムパウに誘惑されているのかもしれなかった。口をムッとふくらませていたが、しばらくたって耐えられなくなり長い息をはいた。今夜は眠らずに、是非をハッキリさせなければならない。
 農楽がだんだん騒がしくなってきた。下の村ではやす農楽だった。その音は下の村に通ずる広い野原をこえ前の山に当たり、山彦となって反響して、鈴蘭の露が麦の穂に当たるようにすがすがしかった。いや、里芋の葉っぱを揉み、水を受けるときサクサク鳴る、あの記憶のほうがむしろ適当かもしれない。とにかくそれは彼の頭の中で日差しを受けて輝く魚のうろこのようにキラキラとしたものだった。
 妻のマッチを擦る音が聞こえ、板の間から部屋へ通じる竹窓がひらいた。ソンマンは農楽のに目がくらむような思いがし、手で目をこすっているところだった。彼は青大将のようにゆっくり手を差し出し、ゆっくり体を起こしてあぐらを組んだ。
「みんな済んだのか?」
 ソンマンは瞼をおさえたまま板の間に通ずる戸を開け、立っている妻の顔を眺めた。髪の毛に油が塗られ、滑らかな妻の顔はまるで一幅の絵のようだった。四十六歳という年齢が恥じ入るほど妻は若やいでいた。これまで子供が一人も出来なかったためなのか妻の肌の色は白くふくよかで、その目は優しい光を帯び、唇は思わず唾を呑み込むほど潤いを帯びていた。いつも化粧はしない妻である。だから彼女がとつぜん化粧をするはずはなかった。石油ランプの火に陰のできた妻の顔は、美人画のようになめらかできれいに整っており、頬はほどよくふっくらとしていた。
 妻はソンマンの前に祭祀をすませた膳をそのまま差し出した。ききょうや、ぜんまい、ふくべ、大根などお浸しものの匂いが、妻の乳房や髪の毛で嗅ぐ体の匂いのように彼の心をぐっと熱くした。彼は歯をくいしばった。妻は彼がこの膳を片付けている間に家を抜け出す考えでいるのかもしれない。箸を持った。ちょっとひもじいところだった。魚汁の身をつっつこうと思ったが、妻が酒瓶をもっていた。黄ばんだ清酒がいっぱい満されている。 彼は盃を持ち上げた。正月十五夜の祭礼に飲む酒は耳が聰くなる酒だと言われる。この酒は大人だけが飲むのではなかった。小さな子供たちにも一口ずつ飲ませたのである。耳が悪くなるなという意味からだった。世の中の動静に暗くなるなという意味でもあるのだろう。十五夜を迎える日の夜に眠ると眉に白く霜が降るというのも目の良さと関係があるそうだ。彼は作男をしていたとき、主人のウサンの旦那からそういう話を聞いた。良い目というのは世の中をハッキリと洞察する慧眼をいう。慧眼はどうすれば持てるか。それは過ぎ去った年を反省し、新しく迎えた年を計画することによって生まれるという。
 妻が彼の盃に酒を注いだ。酸っぱいようでぴりぴり喉をさし、ほろ苦いようで香ばしい清酒の薫りが彼の鼻の奥に入ってきた。ぐっとあおった。舌を伝わって流れる酸っぱい液体が喉の奥に消えていった。
 ソンマンは舌鼓を打ち、
「ああっ、耳がよく聞こえる」
 といった。強い酒だった。胸が熱くなり、桂皮(桂の樹皮。辛甘味と芳香とを有し、健胃剤・矯味剤に供する=訳注)の香ばしい味が口に残った。
 このときジャーン、ジャーン、ジャーンという鉦と銅鑼の音が鳴り、ボン、ボン、ボンと太鼓を叩く音がそれに加わった。上の村の寄り合い場で打ち鳴らす音だった。騒々しい鉦の音に、一種陰険ながらも荘厳にすべてを包容するような銅鑼の音が胸の中を圧して通り過ぎた。 ケケン、ケン、ケンと鳴る鉦の音には、〈届けなせえ、届けなせえ、花婿さん、皮靴の片っぽう〉 という歌詞がついていた。
 妻が酒瓶を置き外へ出た。ソンマンは自分で酒を注いで何杯かあおった。台所で妻が器をことりといわせた。何かを整理する音だった。
 ソンマンはききょうのあえものと、ぜんまいのあえものを箸でとり口に運んで噛んだ。魚汁を呑みながら酒を口に含んだ。台所の戸を閉める音が聞こえ、しばらく人の気配が途絶えた。妻が足音を殺し、家を抜け出す工夫をしているようだった。彼の予感は当たった。
「私、ちょっと下のほうへ行ってくるけんね」
 妻の声が竹窓のほうから聞こえた。下というのは下の村にいる実家を指していう言葉だった。予期していたことだが、ソンマンは、
「おまえ、行かなきゃ不都合なことでもあるのか?」
 と冷たく言った。
「母さんが腰が痛いといいなさっているんよ」
 妻の返事にソンマンは酒瓶を手に取った。早く行って来いというせりふを、竹窓の薄汚く黄ばんだ障子にぶつけておいて酒瓶をかたむける。
 妻が柴の門を開けて出て行こうとしていた。どれ、どこのどいつと会うのか見てやろう。ソンマンは瞼をこすって酒をあおった。すばやく体を起こし、音のしないように戸を前に押した。外を窺う。妻の顔のように丸い月が柴の門の上方の夜空に穏やかに浮かんでいた。
 すでに柴の門のあたりに妻の姿はなかった。彼は石油ランプの火を口で吹き消した。
 妻の足どりは早かった。見るまに下の村に通じる路地へ近くなった。小川がその前にあらわれた。飛び石を渡れば畦道である。その畦道をたどると下の村に出る。だが、妻は飛び石を渡らず、村の下手を囲んでいる土手のほうに道をとった。農楽が鳴りひびく寄り合い場を避けて村を抜け出ようとすれば、この道を選ぶしかないのである。やがて路地を出た。
 下の村と上の村の境界をなす土手や畑には、赤い火が花のように燃えていた。その中でもっとも盛んに燃え上がっているのは、二つの村を分けへだてている平野の中の小川のきわだった。草や木、湿ったもの、乾いたものの別を問わず、石油でもかけてあるのか何を放り投げてもすぐに勢いよく炎と変わっていった。炎は浅黒い闇の中で虫のように生きうごめき、〈鎮魂〉と橙色の花に美しく刺繍されていた。子供たちの飛礫合戦は、その火花のあたりでくり広げられているのである。上の村のほうの小川の際から、子供たちが喊声をあげて下の村のほうへ駆けよっていた。妻はジンメの松林のほうに向かい小走りに駆けていた。
 ジンメの松林は下の村と上の村を外敵からかばうかのように、また交尾をするときかぶさるような、そんなかたちをしていた。 ジンメを越えるとそこは海だった。湖水のような入江が広がっているのである。ジンメの東南方沿岸には、黒く削られた岩が不気味に立っていた。この地方の住民の主業は海苔だった。この沿岸では秋になると墨のように良質な海苔が豊富に採れる以外に、春から秋のあいだには白魚からかえしたぼらや、鯷鰯ひしこいわしや、たいや、えい真魚鰹まながつおうなぎなどの類が数多くとれた。
 妻はジンメを経て海岸に出るつもりのようだった。あらためてその姿に目を凝らすと、妻は頭にざるをのせていた。彼は妻が急に振り返ることを予想し、遠くから距離をおいたまま畦道をたどった。
 ソンマンは歯を噛みしめた。昨年の蒸し暑い夏の夜にも、妻は体の空いた夜にどこかへ出かけ、明け方になって家に帰ってきた。あのときもこのようにジンメの松林を越え海に出て、だれかと会い何ごとかを処置してきたのだなと思った。おまけにこの陰暦の正月十五夜を前にして妻はひと月前から夫である自分との寝床を避け、夜ごと湯浴みをし、洗髪をして髪をくしけずったりするのだった。彼の胸はひりひり痛み、切なくて張り裂けそうになった。
 それまで、砂場で鳴っていた農楽の音が、土手を伝ってジンメのほうまで押し寄せてきていた。海神まつりを行おうとやってきてるのだ。ケケン、ケン、ケンという鉦の音に〈ひそかに隠して届けなせえよ、花婿さん、皮靴の片っぽうを〉と心の中で、彼はついて歌いながら音頭をとっているチョムパウのことを考えた。
 くすんだ皮膚に拳のような鼻、なまずみたいに大きく裂けた口、赤黒く分厚い唇、そして眉は豚の顎のように黒く長い。それに胸板には臍の辺りから伸びた真黒な毛があった。 晩秋にも木綿のパンツ一枚で出歩くチョムパウは、まるで獣のようだった。妻はもしかすると、チョムパウとどこかで会おうとしているのかもしれない。
 妻は農楽の音を好んだ。 農楽隊が家巡りをするときは、色とりどりのまるで巫堂ムダンの服のような農楽衣装をまとって、チョムパウが両目をくるくる回しながら音頭をとり、踊り狂うのを妻は茫然としたように見とれていたのである。ジンメの松林の中を行きながら、妻は知らず知らず肩で調子をとっているのかもしれなかった。
 ソンマンは歯を堅く噛んだまま音を出すまいと辛棒した。自分の懸念がひょっとすると的中してしまいそうだった。妻がしめしあわせた場所に体を隠していると、チョムパウが海神まつりを済ませてひそかに抜け出し、二人で夜を明かすのではなかろうか。
 先立ってノルバウィ沿岸にたどりついた妻は船着き場からジンメ谷のほうへコースをとった。彼は小高く積まれた土砂の上へ登って、松の小枝の間に身を隠しながら砂浜を歩いていく妻を眺めた。妻は休まずに歩き、ジンメ谷の下から東方へ伸びた脊染の下に開いた岩穴の中へ入っていった。彼は黒く口をあけた岩穴の入口を眺めた。
 月は湖水のような海の上にぽかりと浮かんでいた。海面は魚のうろこのようにピチピチと輝いていた。西風が吹いている海は銀色の漣で満ちていた。
 彼は船着き場のほうへ降りていった。そこには簾の支え棒や壊れた置台が散らばっていた。彼は近くに転がっていた棒切れを拾い、また土砂の上に登った。棒を強く握りしめた。岩穴の中で妻とチョムパウが逢い引きをしていたら、成り行きは火を見るより明らかだ。裸でからみあっている二人の男女を、これで血祭りにあげねばならない。
 岩穴の周辺には灰色がかった霧がかかっていた。穴の中へ入っていった妻は、今、何をしているのだろう?
 唾をペッと砂の上に吐いた。心変わりをした妻のつれなさを思った。もう何をいったところで妻の心を取り戻すことはできないようであった。なにしろ新しい旦那と会うために、本物の亭主との寝床を避ける程度なのだから、胸が裂けるように痛かった。このように非人情なことはなかった。
 最初に自分のところにきたときから妻には自分がもの足りなかったかもしれない。考えてみると畑に落ちた真桑瓜まくわうりの種のように一人ぼっちの自分が、ヨンニムのような妻を迎えたこと自体が夢のようでもあった。彼のところに来たヨンニムは、すでに非処女きずものだった。朝鮮戦争のころ、女性同盟の委員長を務めたため、郡支部や面支部、保安署関係を走り回り、これもまた麗水ヨス順天スンチョン反乱事件に加担した後、死に際を十回以上も経験し鯨の筋のようなしたたかな命を支えて幸いにも保安署長になったタルシクと、少なくとも数十回は肌を合わせているはずだった。それに戦争直後、タルシクが大徳市場で遺族たちから銃殺にあったあと、色白で肌がなめらかだということで支署に閉じこめられている間、夜になるとどこかへ呼ばれて行き明け方になると戻ってきたということだった。それで無事であるはずがないではないかと噂の的になっていたのである。
 ソンマンにとってはそんなヨンニムのことが傷にはならなかった。修復後、支署周辺に土かますと石垣でトーチカをつくり、細い竹のまがきをめぐらす仕事に通いながら、ソンマンは支署の中を覗きもし、雑役婦からヨンニムに関する噂を聞いたりもした。ヨンニムの体が汚れ雑巾のように擦り切れたといっても、彼にとってヨンニムは昔話に出てくる死人を蘇らせる神秘の桃のような存在だった。それほど手に入れたかった。だが、食えない餅には手を出すものじゃないと、彼は当初、ヨンニムに届かない手を差し延べる考えはなかった。
 しかし、思いもしなかったカボチャが蔓ごと転がり込む出来事が、ヨンニムが支署から釈放された数日後に起こった。
 支署から釈放されたヨンニムは毎日のように対岸に出て蛸をつかまえたり、石灰を掘ったりする仕事に没頭していた。それを見た村人たちは、差し出すものといったら股につけるおむつ一つ無い者らがのさばり返ってるときから、先は見え見えだったのさ、と陰口を叩いた。それも無理はない。ヨンニムの二人の兄もタルシクといっしょに銃殺にあったのだ。
 義勇軍に連れられていき危うく逃げてきたソンマンは、そのころウサン旦那の家で作男をしていた。彼はゴカイを掘りに対岸へ行き、ヨンニムが石灰を掘っているのを何度か見た。ヨンニムは世間の口うるさい連中がなんやかや言いながら横を通りすぎても眉ひとつ上げなかった。白のチョゴリに紺のチマを着てやや青い手拭いを巻いた彼女は、まるで啞か白痴にでもなってしまったかのようだった。彼はそんな彼女の姿を毎日のように見なければならなかった。この年は初秋の釣りが例年になく良くて、ウサンの旦那は海苔の世話とか農事をすべてソンマンにまかせて一日の大半を海の上で過ごすようになったので、ゴカイもそれだけ余計に使われたのだ。釣りはシーズン中ずっと続けられ、ゴカイ掘りもそのつどしなければならなかった。そんなある日、対岸の島からちがやを背負い子でしょって来る仕事ができた。ウサンの奥さんが茅を買って彼女の実家に置いて来たのだ。ソンマンはある程度ゴカイを掘った後、急いで島に渡った。足跡で固められた砂州の道があった。
 彼は駆けるように道を急いだ。しかし茅は担い帰り途は勢いを増しながら押し寄せる満ち潮に追われた。この入江に押し寄せる満ち潮は、水門をくぐって出る水のように力強かった。満潮になると三尋を越える深い海になってしまう場所だった。この入江でぐずぐずして満ち潮に巻かれ水死する者が年に何人かは必ずいた。それほどここの海水は速くて猛々しかった。だが背が高く力の強いソンマンはそれをものともしなかった。腰の水をかきわけ威勢よく一気に渡りきって、荷を砂の上に放り出しどかっとあぐらをかいて煙草を一本喫った。
 このとき、かなり遠くのほうで下のほうのてらてら光る水に入る女がいた。一目でヨンニムだと認めることができた。ソンマンはここに来るとき、もしかしてヨンニムがいやしないかと窺っていたのである。そのときは見えなかったのに、どこでなにをしていて今ごろ渡ろうとしているのか知るすべがなかった。男でさえ、一度巻き込まれたら抜け出すのが難しい早瀬を、どんなつもりで怖じ気もなく飛び込んでいるのだろう。
 砂浜に座っていたソンマンはぐっと体を起こした。太陽はそろそろ山の鼠の穴と呼ぶ所に隠れようとしていた。下の海のてらてらした水は赤黒い夕焼けに染まっていた。彼は水をぐんぐん切っているヨンニムに向かい、
「おいっ、やめろ、駄目だ、無理だよ!」
 と叫んだ。でも、その声は波の音でヨンニムの耳には聞こえないようだった。
「無理だってんだ、島へけえーって待ってろ。俺が船に乗っけて渡してやるから」
 ソンマンはもっと大きな声で叫んだ。だがヨンニムは彼のほうを眺めようともしなかった。聞こえないのがはっきりしていた。チマを向こう脛の上の白い太腿までまくりあげて縛り、片手にざるを持った彼女は早い足どりで進んだ。ふくらはぎが浸かった。ソンマンはあきれた。そして必死になって叫んだ。
「やめろ、死ぬぞ、死ぬ!」
 すぐヨンニムの太腿が沈んだ。
 ヨンニムは支署にいるとき両脚を縛られ、その間に棒をはさんでねじられる刑罰を受けもし、電気拷間にかけられたりもしたという。あるいはそのせいで気が狂ったのかもしれないという考えがソンマンの脳裡を走った。一瞬、目の前が真っ暗になった。ヨンニムがいま、立っているところは太腿が浸かるくらいだが、真ん中の深いところは丈を越すだろう。そこに入ると体が水に浮き、浮いたら流れにさらわれて渦の中に巻き込まれるのは間違いなかった。渦は河や小川にも所々あるように入江の中にも何箇所かあった。満ち潮や引き潮のさいには、とくにそれが激しくなるのである。
「無理だと言ってるのが聞こえねえのか」
 ソンマンは声をかぎりに叫びながら、水際に向かって走った。真ん中の深いところは青い海になっていた。ヨンニムの腰が水に浸かっていた。しだいに胸が浸かった。彼女はざるを頭に載せて、落ちてもふわふわ浮く鴨にでもなったように水の中に入っていた。
 ソンマンは水神のことを考えた。水神に惑わされた者はどんなに水が深くても、それがコップの水ほどに見えるため、水を恐れず深みに入ってしまうというのだった。
 砂浜の背に向かって走った。 砂浜の背は卵を孕んだうなぎの腹のように膨らんで高くなっていた。砂浜を越えるあいだヨンニムの姿は見えなかった。砂浜の背に立つと、深みに至ったヨンニムの首の辺りまで水に浸かっていた。
「ちょっと待ってけろ」
 彼はヨンニムに叫びながら浜辺を走りまくった。割れて先が鋭く尖った貝のカケラが足の裏と足の指の切れめを鋭く刺した。ソンマンは水の上をパシャパシャ、音をたてて走りながら牡蛎の皮がくっついた石に足の先をぶつけ、そこから血が流れるのを感じた。股のところが沈みはじめ早く走ることができなかった。
 満ち潮は狭苦しい灘を抜けて流れる河のようにますます強く押し寄せて来ていた。腰まで沈むところに来たとき、ざるを頭に載せていたヨンニムの姿が見えなくなった。水に巻かれたようだった。巻かれたとしたら深みへ嵌ったのだ。まるで水の中に飛び込んで溺れ死のうと決心した女の行動みたいだった。ソンマンは歩みをとめ、少し前にヨンニムが立っていたあたりを窺った。すると、ヨンニムのざるが横のほうへ流れていた。その側に水の中に沈んだり浮かんだりするヨンニムの手と頭があった。彼は両手を風車のように回して水を引き寄せたり、足に触れ砂州を蹴ったりしながらヨンニムのほうへ向かった。やがて足先に反応がなくなった。そして泳ぎはじめた。その辺は引き潮のさいも、二尋にはなるところだった。どれほど泳いだだろう。水に浮かびバタバタするヨンニムのそばに着いていた。けれどもどうやってヨンニムを引っ張るか迷った。彼は水神に惑わされ水に落ちた者を救おうとして、いっしょに死ぬ羽目になった話を聞いてよく知っていた。溺れた者は自分を救おうとする者の腰や足を一度摑むと、死んでも放してはくれないというのだ。水神に惑わされた者を救うには、縄紐で体を縛って引き出すか、女の場合は髪の毛を掴んで引きずらねばならない。ソンマンはヨンニムのもがく手を避けながら八方に乱れる髪の先を掴んで引きずった。深みを抜け出て足のつくところまできたとき、ヨンニムは死んだように伸びていた。
 黄昏が迫りつつあった。水が腰のところまでしかない場所に来ると、彼はヨンニムの両手を合わせて引きずりながら砂浜の背に運んだ。そこでヨンニムを背負った。茅を置いた砂浜に出たときは闇のとばりが下りていた。横にならせて胸と腹をさすったり、鼻を吸ったり、風を送り込んだりした。

 ソンマンは水の中から拾った品物を自分のものにするように、ヨンニムを妻に迎えたのだった。
 ジンメの尾根を越えて農楽の音が聞こえてくる。ケケン、ケン、ケン、ジャジャーン、ジャジャーン、鉦と銅鑼が乱打で鳴り響いた。ノルバウィの船着き場に至る谷間のチャンセムの通りでクッ(家の安泰、家族の幸運や病気の快癒を祈り、また神霊の託宣と死霊の意志を伝達する目的で、巫女に歌わせたり踊らせたりするシャーマニズムの儀式=訳注)をしているのだ。チャンセムはノルバウィ沿岸で海苔の養殖をしたり、地引網漁業をするなどして生活する者なら、みな年に十回以上は飲む水の泉である。夏には歯の先が冷たく、冬には湯気が立つ泉であった。涸れずシュッシュッと吹き出るのはもちろん、だれもがこの水を飲んで災いが起きないことを祈る厄除けなのだ。クッを囃す鉦の音は、〈シュッシュッ、湧き出ろ、シュッシュッ、湧き出ろ〉だった。
 ソンマンは鉦の音を聞きながら苛立ちを覚えた。彼は周辺のずんぐりした松林を覗き込んだ。彼のいるところから岩穴までの距離があまりに遠く感じられた。農楽隊が押し寄せるまえに岩穴の周辺に移って隠れなければならない。
 彼は砂浜を見下ろした。月が真昼のように明るかった。砂浜を歩いて岩穴の前に行くのはまずかった。穴の中に入った妻がすぐ尾行に気づいてしまうからだ。険しいけれど岩穴がある尾根まで黒松の林を突き抜け、そこから岩穴の横に降りて隠れようと思った。棒切れを杖がわりにして傾斜をなした松林をかきわけ進んだ。
 農楽の音がノルバウィの船着き場を過ぎ、ジンメの村はずれに入りかかっていた。尾根を伝って、月の下で魚のうろこのように銀色に輝く海面がいっぱいに広がった。遠くの島や半島が水っぽい海霧の中に潜んでいる。
 ソンマンが松林を抜け岩穴があるあたりまで来たとき、農楽隊は人間の鼻筋のように尖った山の端の砂浜へ姿を現した。正月十五日の海神まつりは、毎年この山の端のノロックバウィで行うことになっていた。ノロックバウィは満ち潮のときは水に沈む平べったい岩で、岩穴から見るとちょうどムシロを敷いたように偏平だった。
 農楽隊はノロックバウィ周辺の砂浜をぐるぐる回った。その真ん中で焚火がたかれた。農楽隊に従ってきた村人たちが薪や木切れを集めてたいているのだ。焚火が燃える間に村人たちは供え物を岩の上に整えて置くだろう。
 ソンマンは尾根を降りて岩穴の入口近くにある岩の後に身を隠した。岩穴の中では何の気配もなかった。ただノロックバウィあたりから響いてくる農楽の音が岩穴をいたずらに通り過ぎるだけだった。妻は穴の中に腰を下ろして、海神まつりが終わりチョムパウが早く来てくれるのを待っているようだった。ソンマンは岩に寄りかかって座り、カッカッ燃える焚火を眺めた。二人の人間が砂浜を通って岩穴のほうへ来るのがぼんやり見えた。ソンマンは彼らがどこへ行き、何をするのかはよく知っていた。
 岩穴の前から海の下へ橋をかけたように黒く伸びきった岩があった。鹿の首橋ノルモックダリだった。彼らはこの橋を降りて、海神まつりが終わるまで隠れていなければならないのだ。
 彼らが鹿の首橋を降りて行くあいだ、農楽隊は焚火を中心に輪をかいて回った。まもなく農楽の後に女人形が現れ、女人形をほしがるせむし男と、そのせむし男を火搔き棒の銃で狙い撃って倒す、猟師がつき添いながら踊りまくるだろう。焚火は村から持ってきた石油をぶっかけ、月の明るいジンメ付近の空に火の粉を飛ばし、音をたてて燃え上がった。 火の勢いにつられ農楽がまた気忙しく熱気を吐き出していた。農楽は〈星を摘め、星を摘め、空をつかまえ星を摘め〉を鳴らしだした。
 鹿の首橋に降りて行った二人は岩の陰に蹲ったのか姿が見えなかった。このとき、とつぜん鉦がケケン、ケン、ケンと音を響かせた。それに従うように銅鑼や小鼓が一斉にジャジャーン、ジャジャーンと乱打された。そして鉦がケーンと断切音をたてるといったん農楽は鳴りをひそめた。 続いてもう一度の乱打をジャジャーンと響かせた後、しんと静まり返った。供え物の準備が整ったのでこれから祭祀を行うのであった。それまで農楽の音に消されていた波の音が蘇った。ザザッ、ザザッと波の音が岩穴にぶつかって砕けた。
「水の下ののっぽの旦那!(海のトッケビ、すなわち海神を意味する=訳注)」
 山の端でいい喉をした男の声が長く尾を引いて海に向かい広がった。音頭取りを務めるチョムパウの声である。海のほうからは何の応答もなく、ジンメの谷間から軟らかい谺が返ってきた。チョムパウがまた同じように二度、叫んだ。すると鹿の首橋のたもとで、
「おーい、俺を呼んだのか」
 と答える声があった。その声にはわざと不気味な調子をまとった気配があった。細くて高く裂けた声だった。ちょうどブリキの板を錐で引っ掻くときに出るキイーッという音に似ている。鹿の首橋のたもとの岩の陰に隠れた男一人がつくっている鬼神の声を聞いて、だれかがひひっと笑った。そして笑いをたしなめる声がぼそぼそと続いた。チョムパウの同じ声がふたたび、海に向かって広がった。
「ここは海東朝鮮の土地、全羅南道長興郡大徳面新方里というところだがね。おまえもよく知っているように昨年はおまえのおかげで海苔やひしこ秋刀魚さんまやわかめや青海苔、そして縄釣り、うなぎ釣りがよかった。だけど少し悲しいのは、昨年は漁場に雑苔がはなはだしく、殻が多く生えたことなのよ。それに風があまりひどくて漁場はもちろん、わかめや青海苔、縄釣りをするのに苦労したことさ。そこで今年はうちの漁場に来る風はおまえが食い止め、太平洋のど真ん中へ持ってっておくれ。そしてうちの漁場には墨のような海苔だけ運んで来てちょうだい。雑苔はお金の多い日本とかソ連のような国にでも送ってよ。またうちの回漕では新米でも毎日ぼらを一篭ずつ捕まえ、鯷の時期には水際すれすれにかしぐほど満船になるよう頼んます。……どうだ、わかったかね?」
 言葉が終わると鹿の首橋のたもとで、
「よくわかった」
 と言う男の鬼気がこもった仮の声が聞こえた。チョムパウが声を高くして下へ向かって叫んだ。
「今年の十五夜はうちの村が昨年、海苔が不作で満足した供え物ができねえけど、来年は充分なもてなしをするからふてくされねえでナムルで一杯やってけれ」
 また鹿の首橋のたもとで、
「心配するでねえ」
 と言う声がした。この返事があるやいなや鉦が急にケケン、ケン、ケンと鳴り、それに合わせて銅鑼と小鼓が鳴った。焚火の周囲を農楽隊が輪をかいてぐるぐる回りはじめた。それは〈どんどん追い出そう、どんどん追い出そう〉という厄除けの歌だった。
 鹿の首橋のたもとに降りていた二人が鬼神に追われでもしたように砂浜に走って来た。 砂浜を通り抜け山の端にたどり着いたとき、農楽の音が一瞬とだえた。赤々と燃えていた焚火が光を失っていった。村人が襲いかかって砂をぶっかけたのだ。焚火をたいていた場所から白みがかった煙が上がった。人々は農楽の音を出さずに山の端を曲がって船着き場のほうへ消え去った。供え物を水の下ののっぽの旦那が食べるよう席を空けたのだ。
 このときだった。黒い闇に閉ざされた岩穴の中がピカッと光り明るくなった。 妻がマッチを擦ったのである。しばらく火がゆらゆらした後、穴の中はますます明るさを増した。蠟燭に火を点したのだ。穴の天井についた水滴と苔が火の光をうけて眩しくきらめいた。彼は岩角に上半身を寄せたまま岩穴を見ていた。穴は五、六歩入ると西北の方向にくぼみ、そこから五、六歩入ったところで塞がっていた。 天井から滴った小さな水溜りが真ん中にあり、その横に平たい地床があった。夏は涼しく、冬は部屋の中のように暖かな場所だった。妻は平たい地床の奥の隅っこに茣蓙を敷き、ざるにつめてきた食べ物を供えていた。それらは家で祭祀をまつったさいの膳にのっていた、ききょうや大根やもやしの類だろう。しじみの汁があり、雁木鱝がんぎえいの煮物とこのしろ焼きがあるだろう。妻が酒瓶を持ち上げた。 四合入りの瓶だった。どうせそれは家で彼に注いでくれた耳が聰くなる酒であろう。酸っぱいようでぴりぴり喉をさし、ほろ苦いようで香ばしい清酒の味が舌の先と歯の根元から生唾を湧かせた。汁椀につかう真鍮の平鉢に酒を注いだ。それをお浸しの皿の横に置き、そのまえで膝を折った。しばらく首をうなだれていた。首を上げ酒盃を持った。ゴクッゴクッと飲んだ。また酒を注いで首をうなだれた。首を上げその酒をまた飲んだ。四合瓶の酒をそのようにして全部飲んでしまった。酒を飲んだ妻が膝を曲げてそのあいだに顔をうめた。しばらくして体を起こし服をパッパッと脱いだ。
 ソンマンは顔と胸が同時に熱くなった。少し前に村人たちが海神まつりを終えて消え去った山の端のノロックバウィのあたりを眺めた。砂に埋まった焚火からはまだ煙が立っている。砂浜を打つ波が銀色に輝いていた。何か異常だった。チョムパウが現れないのである。こちらに隠れて覗いていることを気づかれたのだろうか。あるいはそうかも知れないと思った。彼はまた岩穴に目を戻した。
 妻は裸になったまま礎石の上に身を横たえていた。両腕を伸ばした。両足をしきりにもがいた。それは女が性的な交わりをするときに男の体を受け入れる姿勢であった。彼は背筋がゾクゾクしてきた。瞬間、頭をよぎる記憶があった。
 昨年の真夏のある夜、彼は妻といっしょに縄釣りに出掛けたことがあった。妻が櫓を漕ぎ、彼は延縄はえなわをたれた。あとは獲物が食らいつくまで待つだけだった。櫓をひき上げた妻は舳先に行って蹲っていた。彼は船尾で延縄を引く用意をした。ガラスの壁に煤が真っ黒くついたランプの灯が船床の真ん中に立った柱でゆらゆら揺れていた。ポケットを裏返して煙草を一本とりだし口にくわえた。このとき、舳先に蹲っていた妻が「あんた」と絶え入るような声をあげて立ち上がると服をパッパッと脱いだ。チョゴリ、モンペ、シャツ、パンティーまでみな脱いだ。そして船床に横たわり悶えた。彼は妻の行動をただ啞然として見ていた。いくら船の上には夫婦二人きりしかいないとはいえ、事前に目配めくばせ一つなくこのように堂々と交わりを要求することができるものだろうか。他の船が近くにでも来たらどうするのだと、彼はつっけんどんに叱るように言った。妻は彼の言葉なんか知らんぷりで体を悶えながら、獣のように切なく悲しい呻き声を出していた。もしや欲求不満にでもなられたら困りものだと、彼も服を脱ぎ捨てた。その瞬間のことを彼は忘れることができない。妻の体は炎の塊のように熱く燃えており、熱湯に浸かったようになみなみと汗に濡れていたのである。ぐらぐら沸いているようだった。でも裸になった彼が近づいたとき、妻は彼を押しやり船べりを抱いたまま体を縮こまらせた。そして性行為の絶頂に達した女が断末魔の悲鳴をあげるように「あんた」という言葉を連発しながら体を震わせるのだった。彼は目の前がぐらっとした。そのまま放っとくと妻が死んでしまいそうで気が気でなかった。妻の体を開いて抱きよせた。妻は彼の体が触れる前にすでに全身の力を抜いて死んだように伸びてしまっていた。彼の逆立った男性がそんな妻の肉体を貫いても、妻は彼の行為とは関係なく深い眠りに落ちた。ようやく目が覚めた妻がなにか重病でも患った人のように起きあがるまで、彼は裸のままぼんやり立っていた。妻は疲れた手つきで服を拾って身につけながら大粒の涙をこぼした。
 岩穴の中に長く伸びた妻の振舞はその真夏の夜、船の上でしたこととまったく同じだった。悶えるように四肢をもがき、交尾をする雌犬のように呻きながら、首を火に炙られた虫のように振る妻が、歯を食いしばり断末魔の悲鳴と同時に痙攣を起こした。その瞬間、ソンマンは自分がこれまで誤解をしていたことに気がついた。妻はチョムパウとひそかに情を通じるためにこの岩穴にやって来たのではなかったのだ。妻は重病に罹っているようだった。それがどんな病かはわからないが、それを治すため海神まつりのこの日の夜、水の下ののっぽの旦那にお祈りを捧げたのかも知れなかった。ソンマンは棒切れを投げ捨て岩穴に飛び込んだ。
「おまえ」
 彼は気を失いダラッと伸びた妻の頭を支えながら呼びかけた。真夏の夜の船の上でしたように妻は歯をきしり、体を震わせた。体がぐらぐら沸いた。熱湯に浸かったようになみなみと汗に濡れていた。痙攣のような震えはじょじょに首を刎ねられたバッタの足のごとく微かな動きに変わり、ぐったり伸びて果てしない深い眠りに落ちていった。
 明日にでもさっそく妻を連れて病院へ行かなければと思いながら、ソンマンは妻の裸になった体に彼女が脱いだチョゴリとチマを被せた。隅に立てた蠟燭の灯が揺れていた。
 まもなく、気が抜けたような身動きで起きた妻が彼を認めハッと驚き体を竦めた。顔をそむけて横に座りなおしワッと泣きはじめた。彼が肌着を拾い集めて彼女に着せた。妻は彼が服を着せてくれるまま腕や足を縮こませたり伸ばしたりした。服を着た妻はチマの裾で顔を覆いながらむせび泣いた。
「どこかが悪いのなら悪いと言わにゃならん。こりや、どうしたことなんだべ?明日、すぐ病院へいかにゃ」
 ソンマンは妻の腕を掴んで起こそうとした。妻は崩れるように礎石の上に屈んで泣きだした。遠くから農楽が響いてきた。 下の村の者たちが海神まつりを行いに来るようだった。礎石に屈んで泣いていた妻が、
「あんた、他の人をもらって暮しんしゃいな。さっきみんな見んしゃったでしょう。あの人があたしをジッとしておかないんだから」
 と言った。ソンマンは後頭部を角棒で一発、ガツンとやられたように目の前が真っ暗になった。その瞬間、蠟燭の灯の揺らめきで彼の影法師が穴の天井で揺らめいたのか、あるいは銀色に輝く波の照り返しが穴の入口を照らしたのかははっきりしないけれど、それまで穴の中にひそんでいただれかが抜け出すような、黒い裾がすばやく擦れちがう気配がした。
「昨年の夏、船の上でもあんたが側にいたのにあたしが勝手にしたでしょうが?」
 妻の言葉で、ソンマンは海神まつりのときに鹿の首橋のたもとに隠れた人が応えた、水の下ののっぽの旦那の仮の声を思い出した。水の下ののっぽの旦那は体を縮めると八尺長身の男ぐらいになるけれど、その体を伸ばすと海がいっぱいになるほど大きいので、気が向けばこの海に数限りない魚や墨のように真っ黒な海苔やわかめや貝類を引き寄せてくれ、悪気が起きるとそれらをすべてよその海へ追い立ててしまうということだった。
 同時にすんなりした高い背丈に顔が月の光のようで丸く平べったいタルシクの面影が重なった。麗水・順天反乱事件のとき、反乱軍となって戻って来て、海に向かって銃を射ちまくったタルシクだった。人民軍が押し寄せて来ると赤い腕章を巻いて保安署長になり管内の反動分子をドシドシ検挙して行ったタルシクだった。修復後、目を真っ赤に充血させた遺族たちによって銃殺になりながら、タルシクはこのように言ったというのである。
「陰暦の正月十五日の夜、俺の骨のかけらをノルバウィの穴の前で海の水に流してください」

(姜尚求 訳)

『韓国の現代文学 第5巻 短編小説』(柏書房, 1992年)

※なお本作品のなかには、今日の人権感覚に照らして差別的と思われる語句や表現がありますが、作者自身に差別的意図がないこと、執筆当時の時代背景を考え、当該箇所の削除や書き換えは行わず、刊行時のままとしました。