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冬の一日が暮れていくのをただ眺めている時の、あの感じ|安達茉莉子

 冬の一日は、いつも少し足りない。

 明け方に目が覚めたとき、まだ窓の外が暗いと、ああ冬になったと思う。たくさん眠っても、外が暗いと自分が早起きできたような気分になるから得した気持ちになる。夏は眠ってもあっという間に朝が来るから、物足りない。

 夜明けまでまだまどろんでいられる時間が好きだ。ベッドの中で布団にくるまったまま、ただぼんやりと窓の外を眺める時間。この時間のためだけに早起きをしている。

 だけど冬の場合、この時間はそう長くない。時計を見ると、もう7時が近い。さっき夜が明けたばかりなのに。もうすぐアラームが鳴る。猶予を終えて、一日を始めなければならない。あたたかく綺麗な夜明けの中で、もう少しこのまま眠らせてほしいような気持ちになる。

 おいしいえさがあればベッドから出られる。部屋のヒーターをいれて暖気を確保し、台所にいって、トーストをパン専用となっている魚焼きグリルに放りこむ。卵をフライパンに落とすのと同時にお湯を沸かす。

 そのまま食器を準備したりしているうちにパンが焼ける。バターを削ぐようにして乗せ、買ってあるジャムを乗せる。しばし見惚れる。目玉焼きを皿に移す頃、ちょうどお湯が沸く。冷凍庫で保存しているコーヒー豆を取り出す。友達がくれた豆はあらかじめ挽いてあって、これはこれでミルを取り出さなくてよくて楽だったりする。フィルターに粉を入れて、ドリッパーにセットしてお湯をちょいちょいと注いで少し蒸らし、ゆっくり回すように注いでいくと、眠っていたものが起動するように豆が膨らんでいく。膨らみを崩さないように、膨らみの中心にそっとお湯を注ぎ続ける。ごくごく飲める、雑味の少ない薄めのコーヒー。私の一日のピークは朝にある。

 こんな時間が与えられている朝はひと月のうちにそう何日もない。もう数ヶ月、こんなのんな朝とはご無沙汰だということもある。ハンドドリップの透明な一滴のように、雑味が少なくてごくごく飲めるような、そんな日ばかりで構成されればいいと思う。だけど大体は、乾くか乾かないかの髪で、マスクをポケットにねじこみながら慌てて部屋を出て駅まで急ぐ朝が続く。

 こんなにゆっくりできるのは、珍しくどこにも行かなくていい日だ。休みという訳でもない。我が家は自宅兼仕事場になっているので、家で仕事が思いっきりできる。予定は入っていない。どこかに働きに行かなくてもいい。どこかに打ち合わせに出なくてもいい。今日は24時間私のものだ。時間に飢えているとき、自宅の仕事机で腰を据えて仕事ができるのは、全身が温泉に浸かるような心地よさがある。

 仕事机に向き合って椅子に座り、デスクライトをつける。出先でも電車の中でもなく、自宅の作業机でメールを返す時、どうしてこんなに楽に素早く文章が書けるんだろう。ノートを開けば文章が出てくるし、大きなモニターを買ったのでパソコンで行う絵の仕事にも集中できる。

 時々台所にお茶を淹れにいく。買ってあったお茶を、どれにしようかなと選ぶ。またお湯を沸かす。ベランダに出て遠くの飛行機を眺めても、まだお昼前。今日この一日、私には無限の時間が与えられている。

 夕方頃、ずっと座っているのに疲れてベッドに座る。足を投げ出して毛布にくるまり、窓から外を眺めていると、透き通った冬の空がもうかげり始めている。冬の日はあっという間にすぎる。低い位置を通る太陽を見ていると、一日なんて始まった瞬間に終わっているような気さえする。朝起きた時にはこんなに時間があると喜んでいたのに、無限の時間は、瞬く間に終わる。だけどそのうつろう時間が美しくて、明日も一日部屋で同じように過ごせたらどれだけいいだろうと思う。

 ワーキングアーティストとして、時には仕事を掛け持ちしながら忙しく働いていた。電車の中でも、駅の構内でも、どこででも仕事をした。忙しいのは別に構わなかった。だけど尻を椅子につけて、頭の整理をして、胸を澄ませて、執筆・制作に思うように向かえない時間が長く続くのは、どうにかしたかった。本を読んだりする時間、映画を見る時間、誰かにメッセージを書く時間、何もしないでこんなふうにただ時間の流れをそのまま感じる時間。いつも喉が渇いたように過ごしていた日々を、たった一日だけでも、自分のために使えたら。魚を水の中に放つように、時間の中に潜れたら。

 先日、勤めていた職場を退職した。恵まれた場所で、多くの人と出会った。通勤で自分にリズムができたのもありがたかった。だけど、あまりにも時間がなくなってしまった。無限の一日は、少しは増えるだろうか。それとも、前よりも忙しくなって、あるいはこんな無限の時間が当たり前になってしまって、私は今この部屋にある静けさを忘れてしまうだろうか。

 冬の晴れた透明な空を横目に、一日があっという間に終わっていくのをただそのままにする夕暮れ。外は真っ暗になり、部屋のランプをひとつつける。今日はもう仕事を仕舞いにして、部屋も薄暗くして過ごす。時計を見ると、まだ6時。眠るまでまだこんなに時間がある。冬至が来て、一年の中で一番暗い日と、これから明るくなっていく日が共に存在する12月。冬の底にとどまるような日が続くが、「陰極まりて陽生ず」という。これからどんどん明るくなっていく。そこには希望がある。だけど、この暗闇が長い一日も嫌いじゃない。夜には夜の暖かさがある。お腹が空いて、料理の準備をする。 

連載『あの時のあの感じ』について 
今、私たちは、生きています。けれど、今を生きている私たちには、自由な「時間」が十分になかったり、過ぎていく時間の中にある大切な「一瞬」を感じる余裕がなかったりすることがあります。生きているのに生きた心地がしない——。どうしたら私たちは、「生きている感じ」を取り戻せるのでしょうか。本連載ではこの問いに対し、あまりにもささやかなで、くだらないとさえ思えるかもしれない、けれども「生きている感じ」を確かに得られた瞬間をただ積み重ねることを通じて、迫っていきたいと思います。#thefeelingwhen #TFW

著者:安達茉莉子(あだち・まりこ) 
作家、文筆家。大分県日田市出身。東京外国語大学英語専攻卒業、サセックス大学開発学研究所開発学修士課程修了。政府機関での勤務、限界集落での生活、留学など様々な組織や場所での経験を経て、言葉と絵による作品発表・エッセイ執筆を行う。著書に『毛布 - あなたをくるんでくれるもの』(玄光社)、『私の生活改善運動 THIS IS MY LIFE』(三輪舎)、『臆病者の自転車生活』(亜紀書房)、『世界に放りこまれた』(twililight)ほか。

獲物をとってきて見せにくる猫のように、2023年も「光のように見えたもののこと」を(特に頼まれてもいないのに)お届けしたいと思います。みなさま、よいお年を。