見出し画像

「虫を素手で触る母は、時々、大の虫嫌いになる」碧月はるさん『いつかみんなでごはんを』試し読み

凄かった。読み終えると世界が澄みわたって見えた。生き延びて、なおかつ伝えることを諦めずにいてくれる碧月さんに心の底から感謝する。

村山由佳さん(作家)より

2024年10月24日、虐待サバイバーである自身の原体験をもとに、マイノリティの現状や課題について発信してきたライター、碧月はるさんのデビューエッセイ集『いつかみんなでごはんを――解離性同一性障害者の日常』が刊行されました。

装丁=小川恵子(瀬戸内デザイン)
装画=嶽まいこ

刊行から1か月が経ち、読了した方々からも日々、想いのこもったご感想をいただいています。また、著者インタビューのかたちで、本書を取り上げてくださったメディアや書店さんもありました。

▼永田豊隆「苦しみを背負ってくれた私の中の「5歳児」 六つの人格と生き抜いた」『朝日新聞デジタル』2024年10月19日

▼『まだ、うまく眠れない』著者・石田月美さんによるインタビュー@マルジナリア書店(分倍河原)

本稿では、さらに多くの読者に本書が届くよう、本編の「試し読み」として1本のエッセイを公開します。ご一読の上、ぜひ手に取っていただけたら幸いです。

(編集担当・天野)

本書には、差別的な言動や性暴力、虐待、あるいは自死に関する記述が多数含まれます。くれぐれもご自身のペースと体調を優先して、無理なく読み進めていただけたらと思います。


虫を素手で触る母は、時々、大の虫嫌いになる

 私の故郷は東北の片田舎で、祖父母の家は特に奥まった山間部の古民家であった。そのため、幼少期から虫と共存する環境で育ち、毒虫以外は素手で触るのに抵抗を感じない。カマキリは首をつまめばカマを避けられる。コオロギはお腹の側面を優しく持てば足を傷つけずにすむ。そういう知識が、保育園時代にはすでに体感を伴って身についていたように思う。大人になってからも、虫を触ることに苦手意識はない。だが、それはあくまでも「私は」の場合である。
 交代人格のひとりに、「優」という女性がいる。優は交代人格を統率する役割を担っており、基本的に冷静沈着である。私が苦手とする行政関係の雑務さえ、彼女は難なくこなす。しかし、彼女にも苦手なものがある。それが、虫だ。
 ある日の夜、優は息子が所属するスポーツ少年団の会計事務作業を進めてくれていた。この日、私は終日調子が悪く、生活全般を彼女が回していた。しかし、そんな優の前にある生き物が現れた。茶色の羽根と、ぬらっと光る胴体。多くの人がみ嫌うゴキブリである。彼女も例外なく悲鳴を上げ、息子たちを大声で呼んだ。
「ゴキブリ! どうにかして! 早く!」
 日頃、ゴキブリが出た場合、私はスリッパなどの身近なもので手早く仕留める。厄介な場所にいるときは、躊躇いなくスプレーを噴射する。スプレーをまいた瞬間にバサバサと飛んで向かってくる勇敢な個体は、素手で叩き落とす。私のその動きは、虫を苦手とする同性にとってひどくまぶしく映るらしい。元夫の転勤を機にバイト先を離れた際、「これからゴキブリが出たら、私たちは誰を頼ればいいんですか!」と泣きつかれたこともある。職場にとって私の存在意義が、ゴキブリ退治以外にもあったことを信じたい。

 何はともあれ、普段の私がそのようであるからして、当然子どもたちは面食らった。
「お母さん、どうしたの? いつも自分で退治するじゃん」
 きょとんとした顔で問いかける息子たち。その顔を私は見ていないが、容易に想像がつく。優の虫嫌いは筋金入りだ。小さな蜘蛛やダンゴムシさえ無理だというのだから、ゴキブリなんて恐怖の大王くらいの恐ろしさであろう。
「お母さん、虫嫌いになったの! とにかく嫌いになったの! 早く! 逃げちゃう!!」
 必死に叫ぶ優。その姿は私と同一なのに、昨日まで素手でバッタやカマキリを摑んでいた母とは大きく矛盾する。何がなんだかわからないまま、息子たちは協力して恐怖の大王討伐に乗り出した。長男がスプレーをまき、弱ったところを次男が仕留める。
「やっつけたよー!!」
 大喜びで母に戦利品を見せようとする次男を、優は一喝した。
「見せないで! ゴミ箱! ゴミ箱!!」
 いつもなら、仕留めた害虫を見せればお母さんは褒めてくれるのに。「凄いね、強いね。でもやっぱり可哀想だから、ごめんなさいしてさよならしようね」と言ってくれるのに。どうして今日は違うんだろう。きっと次男は、そう思ったことだろう。優は悪くない。次男も、当然ながら長男も悪くない。誰も悪くないのに、すれ違う。そういうことが、時々起こる。子どもといるときは、解離する確率が低い。でも、ゼロじゃない。

 翌朝、私は〝わたし〟として目覚めた。記憶が飛んでいることに気付き、スマホのメモに目を通す。

・スポ少の会計事務、終了
・眠剤2錠服薬
・ゴキブリ発生。子どもたちに退治してもらう

 優はいつも、こうして簡潔かつ明瞭なメモを残してくれる。そのメモに従い、欠けたぶんの記憶の穴埋めを行なう。ただ、その穴埋め作業はパズルみたいにすべてのピースがはまるわけではなく、どこかしらが欠けている。メモに残せるのは、情報のごく一部だ。その瞬間の表情、流れる空気、発言の詳細。体験していない記憶を己のこととして引き寄せるのは、容易ではない。
「おかあさん、虫嫌いになったの?」
 次男が、不安そうな声で私に尋ねた。彼は虫捕りが大好きで、夏のあいだは日がな一日、野山で虫を追いかけている。当時の次男はまだ幼稚園生で、私の付き添いなしに外出できる年ではなかった。私が虫嫌いになってしまったら、次男は虫捕りに行けない。行けたとしても、捕まえた虫を誇らしげに見せられない。彼はその可能性を考え、不安になったのだろう。
「昨日はごめんね。お母さん、時々虫が苦手になっちゃうことがあるんだ。でも、苦手になるのは時々だから大丈夫。お天気だし、虫捕り行こうか」
 その言葉に、次男は喜び勇んで頷いた。飛び跳ねるように、日除けの帽子を取りに自室へと駆けていく。小さな背中を眺めながら、私はこの先のことを考えていた。解離の回数が増えれば、それだけ子どもたちに与える混乱も増える。すべてを打ち明けたほうが、彼らの負担はむしろ減るのかもしれない。「わからない」から、人は恐れる。なぜ、いつもは好きなものが嫌いになるのか。なぜ、昨日までとは違うことを言い出すのか。その理由が「別人になっているから」だとわかれば、理由がわからぬままでいるよりよほど合点がいくだろう。そこまで考えてから、自嘲気味の笑いがこぼれた。長男はともかく、次男はまだ「内緒だよ」が通用する年ではない。「内緒だよ」と言ったことを、「内緒の話なんだけどね」と言いながら話してしまう幼い子どもだ。私の病名が近隣住民に知られたら、子どもの同級生保護者に知られたら、おそらく子どもたちは、今と同じ生活は送れない。

 解離性同一性障害。この病名に対する世間の印象は、決して優しくない。子どもたちに真実を告げることは、世間にまんえんする差別や偏見の視線に彼らまでをも引きずり込む可能性がある。「わからない」不安を払拭することはできても、それ以上に大きなものを失う。「差別される前から差別を恐れるなんて、被害者意識が強すぎる」――そんな声が聞こえてきそうだが、「差別された経験があまりに多いがゆえに、警戒せざるを得ない」というのが実状だ。虐待の後遺症が心身に与える影響は、そのまま生活に直結する。日々の何気ない一コマに影を落とす過去のしがらみは、いつもねっとりと重い。
 ピーター・A・ラヴィーン氏による『トラウマと記憶』(花丘ちぐさ=訳/春秋社)に、こんな一節がある。

辛い記憶は思いもかけない形で私たちの人生を形作っていく。次から次へと出てくるヒドラの頭を切り落とそうとする無駄な戦いのように、どれだけ消し去り否定し、あるいは神聖視しようとも、こういった記憶はわれわれを苦しめ、呪い、型にめようとよみがえってくる。

 私たちは、みな今を生きている。だが、その〝今〟は過去と地続きで、思いもかけないかたちで現在に侵食してくるのだ。「過去を言い訳にするな」という論調を、SNS上でたびたび見かける。その主張のすべてが間違っているとは言わないが、その一言だけで片付けられるほど人生は単純じゃない。少なくとも両親からの虐待がなければ、私が交代人格を生み出すことはなかった。我が子が、解離する母親の挙動に振り回されることもなかった。過去から連綿と続く記憶の痛みが、今この瞬間の私の可動域を縛る。

「おかあさん、見て! トノサマバッタ!」

 満面の笑みで、次男が私を呼ぶ。右手に摑まれたトノサマバッタは、空を恋しがって暴れている。「大きいの捕まえたねぇ」と駆け寄る私の頭上を、夏の太陽が照らす。こういう感覚は、伝聞だけでは決して得られない。交代人格への感謝と、記憶の欠如による焦燥。その両方を抱え、私は今日も外側だけは〝ひとり〟であるふりをする。

(了)


目次

はじめに——私の人間宣言
交代人格

「はるさんはゴレンジャー」
眠るのが下手な母と、長男の憂鬱 試し読みあり
虫を素手で触る母は、時々、大の虫嫌いになる
「もう子どもだもん!」
精神疾患と親権
つながる海
「どうしてみんな意地悪するの?」
ありふれたトリガー
約束のオムライス
「帰りたい」場所
飲めないレモンスカッシュ
いつかみんなでごはんを
〝怒り〟の瞬発力を養う
食べることは生きること
桜の庭
二度目のはじめまして
パートナーが適応障害と診断された日
支える者は「つらい」と言えない
もし、二度目の人生があったなら

おわりに——幸福と絶望は行き来する

著者略歴

碧月はる〈あおつき・はる〉
エッセイスト/ライター。書評、映画コラム、エッセイ、インタビュー記事、小説など幅広く執筆。主な執筆媒体は『ダ・ヴィンチWeb』『婦人公論』『osanai』『withnews』など。虐待サバイバーである自身の原体験をもとに、マイノリティの置かれている現状や課題について綴る。本書が初のエッセイ集となる。

▼全国の書店で好評発売中▼

▼著者の想いを綴ったnoteも公開中▼