推しの客|常識のない喫茶店|僕のマリ
本連載の書籍化が決定しました(2021年8月4日付記)
今年は波乱の年。疫病による未曾有の事態に、忘れえぬ2020年となった。一年前には予想だにしなかったが、一従業員ながら「喫茶店」という場所を守り、それと同時にお客さんにも店が守られていることを実感できた年でもあった。今年の最後は、「推し」のお客さんを語って締めるとしよう。
わたしの接客はめちゃくちゃ塩対応である。特に笑顔も見せないし、気に入らない感じのお客さんには「いらっしゃいませ」すら言わない。鬼のような接客だ。でもそれでいいと思っているし、自分が客のときに店員さんがそうであっても全く気にならない。しかし、そんなわたしにも「推し客」がいる。来るとうれしい気持ちになる神のような存在がいるのだ。
早速だが、「神セブン」というあだ名の中年男性を密かに推している。毎週木曜日に決まって訪れる、とにかく平身低頭の彼。丁寧な言葉遣いや所作は勿論のこと、お冷やを注いだだけで「合掌」をして感謝してくれる。ある日の深夜、店の近くのセブンイレブンに立ち寄るとなんと彼が働いており、全てのお客さんに神対応をしていたのが「神セブン」というあだ名になった由来である。神セブンは店にいるときの控えめな印象とは裏腹に、「っしゃあせえ〜!?」という元ヤンの鳴き声のような「いらっしゃいませ」を連発していたのが衝撃的だった。彼は夜勤明けにうちの店に来て至福のひとときを過ごしているようだが、いつも一心不乱にものすごく汚い字の日記を書いているので、いつか読みたい。神なので畏れ多いが。
たまに来る、いや、普段は月に一回来るかどうかの無愛想なお姉さんが、コロナ禍のときには毎日来てくれて「ツンデレかな?」と思った。普段は笑顔も見せず、会話も交わしたことはないのだが、お店のピンチを憂慮してか、店の売り上げが厳しい頃には毎日通ってくれて感動した。お姉さんはクール系の美人で、(いつ見てもイカすぜ)と思うほどなのだが、常にがに股で座っているというギャップがある。いつもは一人で来るのだが、以前彼氏と来た際も終始がに股だったと聞いて、信頼できる人物だと思った。ちなみに、今はもうあんまり来てくれないので、店の状況は良くともお姉さんロスである。
ジャッキー・チェンに激似のジャッキーさんは、その天真爛漫な笑顔で我々を魅了してくれる。みんなジャッキーさんのことが好きなので、サラダをこんもり盛ったり、レモンティーのレモンは心なしか大きめのものを選んだりしている。みんなの気持ちは見事に料理に反映されていて、かなりわかりやすいなと思う。でも何年もの間、店員たちが「ジャッキーさん」と呼んでいることは、当の本人にはとても言えない。あだ名はお客さんに知られてはならないのだ。
モーニングの時間帯に訪れる礼儀正しい女子大生も大好きだ。いつもはにかみながら会釈をして入店してくるのだが、その仕草だけでもう結婚してくれと思う。いつも一人で来て本を読んでいるので、話しかけたいけど恥ずかしくて出来ない。その代わり、彼女がいつも注文するウィンナーコーヒーには、こぼれんばかりの生クリームを載せて「手が滑ったわ」と小芝居を打つ。気持ちが生クリームになって実際にこぼれているので、いつも日本酒の益みたいになってしまっていてごめんと思う。
ただ女の子と話したいだけのセクハラ野郎が多いのが店員の悩みの種なのだが、そんなわたしたちが一番ありがたいと感じるお客さんは、何よりも「店員に興味が無い人」である。「無」の感情でコーヒーを飲み、話しかけてもこず、サッと帰るお客さんこそが我々の癒やし、そして希望である。ちょっと親しくなっただけでグイグイ迫ってくるおめでたい男性が多いぶん、ドライな対応の人にはときめいてしまう。
「教授」と呼ばれている御年90歳の男性がその最たる例かもしれない。教授はどこぞの大学の名誉教授で、高齢にもかかわらずいまだに仕事をしている。毎日店に通って何十年になるだろうか、店員人気、不動のナンバーワンである。チンパンジーのような愛らしい動作や(たまに鼻くそほじって散らしてるけど許す)、そのほのぼのとした性格が人気の理由だが、どれだけわたしたちから愛を受けようが、当の本人は全く気にしていないというところが一番良い。話しかければ二言三言返ってくるが、あんまり人に興味がなさそうなので気楽に接することができる。90歳なので、ややぼけてしまっているが、それすら魅力に思える。毎日来ているのに「えーと、あれ頼もうかな……なんだっけな……」といつもの注文を思い出せなかったり、杖を付いてきたのに杖を忘れて帰ったり、ガーゼのマスクが口元から盛大にずれていて何の対策にもなっていなかったりと、とにかく目が離せない人である。口癖は「へいへい」なので、「へいへい」で全ての会話を成立させる。「おはようございます」「へいへい」「コーヒでいいですか?」「へいへい」といった具合である。今年のお正月、親しい常連さんには新年の挨拶をしよう、と自分なりに勇気を振り絞って「あけましておめでとうございます」と教授に言ったら「へいへい」と返ってきた。90年も生きていたら正月なんてどうでもよくなるのかもしれないが、なんか失恋したような気持ちになった。でも、そのブレなさが好きだ!来年の正月もめげずに言ってみようと思う。
今年一番衝撃的だった出来事がある。
わたしは喫茶店好きが高じて、休みの日も喫茶店巡りに余念が無い日々。先日、街歩きが趣味の知人男性から「喫茶店オタの間で伝説と囁かれている喫茶がある」と耳にした。そこは、SNSへの投稿一切禁止、店の住所もネットには載せないという固いポリシーがあり、実際に検索してもヒットしない店だった。とにかく外観がイカれているという情報と、「伝説」という甘い響きに魅了された我々は、わずかな手がかりをもとにその店を探した。そして、駅から徒歩20分ほどの閑静な住宅街に、忽然と現れたイカれた外壁を見た瞬間「ここだ!」と確信を得た。作りとしては普通の民家なのだが、外壁には統一感のない絵がビッシリと描かれていて、ただならぬ狂気を感じた。ただの落書きなどではなく、なにか信念のようなものを感じる絵の数々である。かろうじて「喫茶店です」と小さな文字で書いてある。一体どんな狂人がやっている店なんだ……と恐る恐るドアを開け、「いらっしゃいませ」と近づいてきたのは、うちの店の常連さんだった。
さすがに噴き出したし、なんだか自分の人生の「縮図」のような場面だなと思った。その常連さん、いやマスターは、夫婦でうちの店に来てモーニングを食べる。常連といっても毎日来るわけではなく、たまに来る程度だが、二人の物腰の柔らかさと慎ましい態度が印象的だったので、よく覚えていたのだ。イカれた店とはいえ、この夫婦が接客業だということに合点がいった。「趣味で店やってるだけなのよ」と謙遜するママであったが、それが「伝説」と呼ばれているのだからかっこいい。そんなわけで話に花が咲き、お互いに「また行きます」と誓い合って店をあとにした。本当にまだ来てくれている。「不思議な縁」というより、「ものすごい磁場」だと思った。こんな面白いこともあるから、人生捨てたもんじゃない。
コーヒーを淹れる傍らで、定点観測のように常連さんの人生模様を眺めている日々だ。単調なようでいて、生活や日常は目まぐるしく変わる。ただの詩人だと思っていた人がある日突然ウーバーイーツの配達員になっていたり、長年付き合っていたカップルが別れたり、最近来ないなと思っていた女性に突然赤ちゃんが生まれていたりする。しかし、どんなことがあっても、わたしはお客さんにあんまり話しかけない。話しかけられるのが嫌な人、ほどほどの距離感を保っていたい人、というのは一定数いる。わたしがそうであるように。しかし言葉を交わさなくとも、お互いを慮ることは出来る。マスクから覗く目がしっかり合わさる瞬間に、いつもそう思う。
僕のマリ(ぼくのまり)
1992年福岡県生まれ。物書き。2018年活動開始。同年、短編集『いかれた慕情』を発表。ほか、単著に『ばかげた夢』と『まばゆい』がある。インディーズ雑誌『つくづく』や同人誌『でも、こぼれた』にも参加。同人誌即売会で作品を発表する傍ら、文芸誌や商業誌への寄稿なども行う。2019年11月現在、『Quick Japan』でbookレビューを担当中。最近はネットプリントでもエッセイを発表している。
Twitter: @bokunotenshi_
はてなブログ: うわごと
連載『常識のない喫茶店』について
ここは天国?はたまた地獄?この連載では僕のマリさんが働く「常識のない喫茶店」での日常を毎月更新でお届けしていきます。マガジンにもまとめていきますので、ぜひぜひ、のぞいてみてください。なお、登場する人物はすべて仮名です。プライバシーに配慮し、エピソードの細部は適宜変更しています。
追記:本年はありがとうございました、来年もよろしくお願いいたします!