歌人見習いが車の免許を取るまで日記その18
カレンダーをふと見ると、この土地にやってきてちょうど3カ月が経ったということに気づく。3カ月も経てばそれなりに自分の周りにも人間関係というものが生まれるかしらと思いきや、生まれない。まあそりゃそうか。自分が関係していかないと、他者との関係はそもそものぞめない。
現在夫以外で唯一、ワタシの名前を知る人は教習所のI先生だ。田舎といえどこのまあまあ肥沃な土地でただ一人。自ら関係していった(教習所に入校した)結果はじめてできた「知り合い」だ。
しかしそんなI先生とももうすぐお別れなのである。今週、いよいよ卒業検定が控えている(早い!運転のアレコレが全然書けていないまま!)。卒検に受かれば教習所は卒業。当たり前だけれど、卒業したらなかなか先生にお目にかかることはないだろう。ということは。この土地での唯一の人間関係が、終わってしまう。
人間関係って有機的に関係し続けないと終わってしまうものなのだろうか。記憶の中で。関係は生き続ける…?けれどもわれわれの関係ははなからそんな特別なものではない。教習所の教官と一生徒というなんてことはない、一対数多の関係。一人卒業させればまた一人、新たな生徒が入ってくる。ロケット鉛筆のような、そのめぐりのなかの一人であるだけで、そのうちそんな一人のことは忘れられてしまう。
まずい。ワタシの唯一の人間関係。
しかし別にI先生との関係を終わらせたくない、という話ではない。そりゃあ。寂しくはあるがワタシは。次の関係へと進むのだ。進まねばならない。新たな人間関係へと。
人間関係は、降ったり湧いたりはしない。関係は雨ではないし、また温泉でもないのである。
今日見ていたヒルナンデスで、カラフルなわたあめが流行っているというようなことを言っていた。わたあめ。そうだ、わたあめだって。
ザラメを入れなければいくらその器械のなかで割りばしをぐるぐる回しても永遠にわたあめは出現しないのだ。
人間関係は、ワタシがザラメをその器械へ、さらさらと流し入れること。そしてその、出来上がったわたあめを、誰かにそっと差し出してみること。そこからしか、始まらない。そうなのだ、そのことになぜ気づかなかったのだろう。
そうだ、そうなのだ。
わたあめを。温泉を。自らの手で。
しかし、かといって公園や図書館などの公共施設に行って、手当たり次第に「ワタシと人間関係を」と言ってわたあめを渡して回ればたちまち狂人とみなされる。この土地での居場所はもはやない。
大人として。社会的な生き物として。新たに人間関係を結ぶべく、まずは労働という形式的なやりとりによって、ワタシはわたあめをはじめて誰かに渡すことができる。
ここで自分にとって今まさに、労働することが意味を帯びてくることになる。
内田樹は「労働の本質は『贈与すること』にある」と言っていた。昨年度まで教えていた現代文の教科書(明治書院)のなかでたしかそう言っていたのだけれど(「働くことの意味」というタイトルの評論)、授業で自分がこれについて話しているときには、ほんとうはそのことについて、分かっていなかったのかもしれないと思う。
ワタシがあなたに、作ったわたあめをどうぞと差し出してみること。そこからすべてが始まるのだということ。労働も、切実な物言いをしてしまえばそれは人間関係を欲することではないか。まっとうな方法として一応は誰もがなんらかの形で欲することのできる関係性。人生における、新たなその可能性のなかに入ってゆけること。いや入ってゆきたいと思うこと。それが労働することの、根本的な欲求なのではないか。
ワタシが手渡したいと思っている、そのわたあめに価値があるのか、わからない。あなたにも、わからないかもしれない。しかし、ワタシはあなたに、ワタシが作ったわたあめを、手渡したいのだ。そして、もしできれば、「ありがとう」とあなたに言ってほしいのだ。
✴︎
わたあめで最後まで引っ張ってしまった。
わたあめはじつはそんなに食べたことがなくて、小さい頃夏祭りで食べたその翌日にあんたはお腹を壊していたよ、と母が言っていた。それ以来、わたあめを積極的に食べた記憶がない。
ワタシの作ったわたあめで、あなたがお腹を壊しませんように。
そして教習所、なんと予定では明日「高速教習」となっている。しかしこれはあくまで予定だ。I先生が「この日空いてるなら高速教習入れちゃいますね!」とニコニコ決めてしまった予定なのだ。本当にワタシが高速道路まで運転して、本当に高速道路本線に車を合流させて、時速80キロとかでアクセル踏み続けることによって、はじめて実現することなのである。それをやるのは、このワタシなのだ。やるのか。やれるのか。自分の意志で。やるのだろうか。わからない。
しかし教習所ライフもいよいよクライマックスの感がある。
路上に出てからの感想など、まだ全く書いていないのだけれど。教習所を出てからも、回顧形式にはなるけれど、もう少し続けて書いてゆきたいと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?