歌人見習いが車の免許を取るまで日記その19
ここ数日。こちらは台風の影響なのか、ものすごい風と雨、特に風がすごくて昨日はアパートごと飛んでゆくのではないか、本州のはじっこがぺりっとめくれるんじゃないかと思われるほどの暴風雨だったのだけど今日は快晴。
天気にやられて取るもの手につかずDSでポケモンばかりやっていた怠惰な日々だったのだけれど久しぶりにnoteでも書こうじゃないかという気になって、太陽は人の気持ちをというか人のことはわからんがワタシの気持ちをこうも明るくさせる。蝉が鳴いている。
さて先日卒業検定にも受かり、アッサリと教習所を卒業してしまったのでした。
あとは県の交通センターでの学科試験をパスすれば晴れて免許取得である。仮免試験の時よりも卒検は大変カンタンだったので、あんまり特筆するようなことはないのだけれど、まーここまであっという間だったという所感。あと半年くらい通いたかったなあと本気で思っている。運転、楽しい。や、もすこし正確に言うとプロの横、安全な環境下での運転は楽しい。
なにやらワタシは仮免取得後の第二段階、路上教習でその才能を開花させてしまったらしく、I先生にもお褒めの言葉をいただくことが増えたのであった。
はじめて路上に出た時はアーこれが現実ぅ!というリアルの圧倒的圧、というかものすごい風圧のようなものに吹き飛ばされそうになりながら必死にハンドルを握ってギリギリのところで耐えた、というふうであったけれど、回数を重ねるごとにこの、現実が発揮してくる圧倒的圧にも慣れてきて少しずつ、運転が楽しいと思えるようになってきた。教習所に通う前には、いや路上に出る前には考えられなかったことだワ。
しかしまぁ運転してみてはじめて気づいたことだけれど、対向車の運転者の顔はわりとよく見える。若い女の子や男の子がこともなげに運転していたりしておーすごいとかおばあさんのドライバーも多くておーすごいとかおーあのおじさんおにぎり食べてらとか横目で思ったりする。
そして、真っ向から運転者と対面するのが右折である。
運転とは、右折のことだ。とワタシは言いたい。右折にこそ運転の心得と技術そののすべてがあらわれる、と言って言い過ぎることはないだろう。
右折は危ない。ビュンビュンと通り過ぎてゆく対向車の切れ目を見計らってそこを素早く横切らなければならない。右折時の直進車との事故は多いという。そりゃあそうだろう。運転の何が怖いってワタシは右折がずっと怖いのだった。いつまでも曲がれずに後続車は渋滞、クラクションを鳴らされるもやはり右折のタイミングが分からずしまいに気を失ってしまうんじゃないか。あんなこと自分にできるんだろうか、とこれまで助手席に乗るたびに思っていた。
信号はまだ変わらないか、右折先の横断歩道に歩行者はいないか、何より対向車線に対向車は来ていないか。来ているとしたらあとどのくらいで交差点まで来そうか。このような認知からのヨシ今だ、その判断。そしてハンドルを切る、その的確な操作。
毎度、あーマジで今!右折しますよーーーと心の中で叫びながら右折する。というかほぼ口に出して「今!今いきます!右折します!」と言っていた。あまりに切羽詰った口調なのでその度、I先生に笑われた。
だって右折はマジの対面だから。全ワタシをもって、全あなたに向かってゆくこの右折という行為の一瞬の、ガチンコの対面だから。
しかし右折は。ワタシをあなたに受け入れてもらうことだ。
「よーし今日は銀行であれこれ済ませたらご褒美にマックポークを食べに行く」ということが本日の目標になってしまうようなささやかすぎる日々を、笑わないでグッとそちら側へワタシを引き込んでくれるような、そんなところに一人でいないでこっちにおいでよ、そんなふうに頷いてくれているような、ああそうだったらいいな、こんなワタシを受け入れてもらいたくて、祈るように右折する。
右折は怖い。けれどなんだか嬉しい。あなたと向かい合うことができて。右折とは、あなたのもとへ、全ワタシをもって飛び込んでゆくことだ。
交差点で右折を待っていると、対向車のライトが光る。これは、お先にどうぞの合図だ。道を譲ってくれてありがとう。今すぐ車を降りて、握手をしたくなる。これからお茶にでも行きませんか。
こんなにも人が好きだよ くらがりに針のようなる光は射して 中澤系
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?