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歌人見習いが車の免許を取るまで日記その20

どうにもこうにも、ただただ暑い日々です。

外に出なければならぬ予定も用事も使命もないので、それを良いことにほぼ部屋に引きこもっています。しかしさすがに家でだらだらとなんの生産性もなく(!)過ごしているのにクーラーを一日中つけるのはなんだか後ろめたくて、午前中は窓を開けて扇風機をつけてなんとか暑さを凌いでいます。

窓を開けていると(網戸は閉めているのだけど)その間をすり抜けてか、虫が入ってくる。昨日おとといだけでクモ、羽蟻二匹、それと大きなアメンボのようなものを認めた。

大きなアメンボについて、夫に話すと「それはガガンボ」なのだと言う。ガガンボって聞いたことあるようなないような、ガガンボを詠んだ短歌を知っていた気もするけれど。

そんな話をしている時にガガンボの姿はなく、どこに潜んでいるのかしらと思っていたのだが、今朝リビングの窓辺でひっくり返って昇天しているのを見つけた。
夜半の蒸し暑さにやられてしまったか、かわいそうに思うも大きいのでなんとなく触れられずにそのままにしている。夫が帰ってきたらなんとかしてもらお。

暑さを言い訳に家にいるので、人とのやりとりがなく、免許取得もしてしまったので書くこともなく、気づけばかなり日が経ってしまいました。

そう、晴れて免許を取得したのである。その日早速、ワタシの運転でお祝いのケーキを買いに出掛けた。そのまた数日後には、ワタシの運転で海へ出掛けた(写真はそのときのもの)。先日なんかは、夜飲み会があるという夫を職場まで送りとどけた。そしてその帰りは一人で運転した。

なんと。ワタシはもう「運転できる人」になってしまったのだ。「運転できない人」から「運転できる人」へ。このように「できない」から「できる」への華麗な転身を遂げたのであるけれどしんじつ、この歳になってあらたな能力を得ることはなんだか不思議で、そしてそれはとても嬉しいことなのだった。
あと十年遅く、地方に移住していたとしたらどうだったかな、やはり今回がいいタイミングだったのかな、なんて思いつつしかしなんでも。どうも、やる前から恐れてしまうことは多いけれど、やってみたらなんとかなって結果オーライ、なのかもしれない。

さて。そしていよいよ予定というものがなくなり、これは恐ろしいことだと某所へ履歴書をひとつ出してはみたものの、やはりもう次のステージへと動き出すときなのだろうなぁ。

午後、暑さに耐えかねて近くの図書館へゆきあてもなく読書をしたりしていると、ちょうど十年前、自宅浪人生をしていた自分と今の自分の状況がまったく同じであることに気づく。来年の同じ頃、いったい自分はどこで、誰と何をしているだろうということが想像できなかったあのとき。何者でもないことの不安。同じように自転車で近くの図書館に行って、ただただ逃避としての、読書に明け暮れた日々。場所は違えどその十年後にこうして同じようなことを考えていることをなんだろうこの十年のサイクル、と不思議に思ったりする。ワタシのなかの真面目でわりに思い込みのある住人が「今がまさにこれまでとこれからを見つめて立て直す、変革の時である」と諭してくるのでエーそうなのかなぁと思いながらもここで何かひとつ。がんばってみなければいけないのかもしれないとも思う。
しかし十年前と違うのは、となりに夫という人がいることだ。ひとりだけれど、ひとりではないことへの頷きを繰り返しながら、やはり一緒に生きてゆけるひとがいることはとても心強いことで、その心強さを得た今の自分ならばまた、前に進めるだろうと思う(なんだか壮大で重いはなしになってしまったワ)。

とか色々思いながらもただただ暑い日々なのだけれど、このnoteでの記録も一応一区切りとしようかな、という所存であります。免許取っちゃったし。今回でちょうど20回目だし。
今まで読んで下さって、ありがとうございました。またどこかで。

人はみな馴れぬ齢を生きているユリカモメ飛ぶまるき曇天 (永田紅)



#エッセイ #コラム #自動車免許 #日記 #短歌

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