[連載小説] 「青春の外堀 -TOKYO1980」第五話<四ツ谷>
第五話『夜の四ツ谷でアルバイト』
大学生になったらアルバイトである。いろんな経験をしてみたかったので、アルバイトも色々やりたかったが、早速「スポソト」の先輩2人がやっていた居酒屋のバイトに誘われた。そこはJR「四ツ谷」駅からすぐの居酒屋チェーン店「くらま」。ミッション系で有名な四ツ谷大学のあるところで、そのほかにも英語の学校が多く、居酒屋のお客も外国人の先生と日本人の学生さんたちというのも多かった。最初は洗い場を3ヶ月ぐらいやって、次はホールの接客係をやらせてもらった。お客がくると「いらっしゃいませえ!!」と大声を上げる。あんまり外交的とも言えない「かしゆお」であったが、声かけは楽しかった。暇な日よりもお客さんがいっぱいでてんてこ舞い日の方が、時間がすぐ経つし、疲れないこともわかった。忙しい方が楽しいのだ。お店は23時ごろが閉店だったと思うが、そこまでやった日は、ちょっとした打ち上げに参加させてもらった。生ビールをタダで飲ませてくれるのである。「おい、生ついで来い」とか社員の人に言われて、ジョッキへの継ぎ方、泡の量とかも教わった。疲れた体につぎたてのビールは美味い!!。ビールの味はここで教わった。まだ、19歳だったけど、当時は高校卒業したらお酒は解禁だった。
「くらま」には名物のお客さんがいた。その1「大生(だいなま)巨人」。英語の先生らしいのだが、すごく背の高い外国人の人で、生徒さんたちを大勢連れてやってきて、まず第一声は「ダイナーマ10パイ!!」。その後も「ダイナーマ!」「ダイナーマ!」と「生ビールの大をひたすら飲み続ける。だから「大生巨人」。その2「ウオッカ爺さん」。開店とほぼ同時にほぼ毎日やってきて、「ウォッカ!」と一言注文。それを一杯だけ飲んで帰る。だから「ウオッカ爺さん」。その3「ステーキおばさん」。店のメニューに牛肉の串刺しがあって「牛ステーキ」という名前だった。そのおばさんも、ほぼおばあさんのような歳かもしれないけれど、一人でやってくる。で、必ず「ステーキね」と注文。何も飲まない。それだけ食べて帰る。だから「ステーキおばさん」。「スポソト」の女の先輩たちも、時々やってくる。スポーツ好きな元気な人たちだ(高校野球の追っ賭けをやっていた甲子園ギャルもいた)。カウンターに陣取り、どんどん飲む。お気に入りの料理もあるようで、どんどん食べる。店長とかも顔見知りだから、和気藹々に話したりしてる。で、散々食べて飲んでも彼女らのお会計はいつも「一人500円」だった。身内なので店長の奢りなのだ。結構頻繁にやってくるので、店長の顔が次第に青白くなっていたような気がする。
時々店の親睦会が行われた。「くらま四ツ谷店」は土日が休みだったので、多分金曜日の夜だったと思うのだが、店が終わってからみんなで歌舞伎町に繰り出す。今あるかわからないけどミラノ座のボーリング場にいくのだ。その行事は「テツボー」と呼ばれていた。「徹夜ボーリング」の略だ。男だけ8人ぐらいで、オールナイトで、ボーリングをやり続けるのだ。店が終わってから、ビールとかも軽く飲んでいたし、くたびれて眠くなって、ぐったりしていると、社員の怖い顔の人(目が細くて、色白で、完全にその筋ぽい顔をしていたが、本当は優しい)に、『寝るな!!』と叩かれた。大体その頃の東京は、みんな徹夜で遊んでいた。TVもオールナイトで、裸だらけのエッチな番組をどの局もガンガンやっていた。「まじめな人」なんて、バカにされた。どんなにいい加減で、バカかの競争。今とは全然違うTOKYO。「コンプライアンス」とか「ガバナンス」なんて言葉は、まったくなかった。「セキュリティ」なんて概念もほとんどなかった。だけど、何かを盗まれたり、危ない目にあったりもない、治安の良さもあった。
関係ないけど(思い出すと急に書きたくなるので)、「かしゆお」は、痩せていて筋肉もなく、非力な軟弱な若者だったが「ボーリング」は、割と得意だった。ボールは、一番軽い「赤いボール」のすぐ上ぐらいが多かったけど。大学を卒業してからだいぶ経った頃、友達とボーリングをすることになった。多分、10年ぶりぐらいだったので、どうせロクなスコアは出ないと思っていた。2人だったから、どんどん投げた。第1ゲーム「70何点」。そんなものだろ。第2ゲーム「90何点」、ふむ。第3ゲーム「120何点」、第4ゲーム「180点」、このぐらいから意識が朦朧としてきて、というか「ゾーン」に入って第5ゲーム「230点」、第6ゲーム多分「270点」ぐらい。ほとんどがストライク。もうこの頃には、投げた瞬間にストライクになるのがわかるという、神がかりな状態。「このまま死ぬんじゃないか」と思った。「かしゆお」は自分で自分が怖くなり、この「ボーリングという世界」から抜け出すことができなくなって、死ぬまで永遠に投げ続け、ストライクを取り続けるのではないかと思って、友達に「帰ろ、帰ろ」と言って、必死に逃げるようにボーリング場立ち去った。あれは、なんだったんだろう。
ということで、バイトの話というよりボーリングの話になってしまったが、で、「くらま」の話に戻ると、このバイトは1年生のうちだけ、1年間続けた。なぜだか冬を思い出す。バイトの後でビールを飲ませてもらっていても、終電では「荻窪」に帰らなければいけないので、店を出て走る。冬は風がものすごく寒かった。北国生まれなので、東京の冬なんて、全然平気だと思っていたが、そんなことはなかった。「さむっ」と叫びながら、駅まで深夜の東京を走る。それは、どこか心地よかった。体も、心も、だいぶこの街の人になってきたのかもしれない。
(写真は、現在の昼の四ツ谷)
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