思わず口走った言葉は、本心なのか?
中学一年生のときだったと思う。
その夜は友達の家に泊まりに行くことになっていた。
そのしたくをしていた。
どういう理由だったかは忘れたが、母親が「今日はやめておきなさい」と言い出した。
困った。友達とはもう約束してあるのだ。「お母さんが行くなというから、やめておくね」なんて言えない。
口論になった。
それがだんだん激しくなっていった。
そんなに泊まりに行きたかったわけでもないのだが、口論というのは勝手に盛りあがっていってしまうものだ。
この興奮の中で、私は思わず、
「なんで泊まりに行くと思っているの? この家にいるのがイヤだからだよ!」
と叫んでいた。
びっくりした!
そんなことはまったく思っていなかったのだ。
そんな重い理由で、友達の家に泊まりに行くわけではない。ただたんに、ひと晩中いっしょに遊ぼう、楽しもうというだけのことだった。
(いったい何を言っているんだ?)と内心、当惑した。
しかし、口はさらにこう言った。
「こんな家、いたくないんだよ!」
(えーっ!)と思った。(本心でもないのに、なんでだめ押しするんだよ
!)と、あわてた。
しかも、私は涙を流し始めていた。
泣きながら、こんなことを言ったのだ。
(なぜ、泣くんだ? 泣くほどのことが、どこにある?)と、私は本当にびっくりしていた。
友達の家に泊まりに行くのを止められたという、ただそれだけのことなのだ。
なぜ、こんなひどいことを、しかも泣きながら言う必要があるのか?
自分でもまったく理解できなかった。
母親は、驚いて、言い返せなくなった。
その母親の肩ごしに、むこうの部屋にいる父親の姿が見えた。
なんとも言えない悲しげな顔をして、黙ってすわっていた。
本当はそんなふうに思っていたのかと、父親はショックだっただろう。
(そうじゃないんだ!)と、これは本当に心からの叫びとして、父親に言いたかった。
口論していた母親はともかく、とばっちりで父親にこんなひどいことを言いたくはなかった。
本心でもなんでもないのだから。
しかし、「本心ではない」という本心は口に出せなかった。
母親は、私をなだめるように、「行ってきなさい」と言い出し、私を送り出した。
そのまま、私は友達の家に泊まりに行った。
家に戻ったら、あれは本心ではないということを、ちゃんと言わなければと思った。
しかし、信じてもらえるだろうか?
子どもが、興奮した状態のときに、思わず、泣きながら叫んだのだ。
これはどうしたって、「ずっと隠してきた本心」という感じがすごくする。
どう否定したって、「つい本心を口に出してしまい、それをあとであわてて否定しているだけ」というふうに、受けとられてしまうだろう。
困った。
けっきょく、そのことについては、何も言えなかった。
そのまま、そのことにはふれずに過ごし、今に至る。
人が激したときに、つい叫ぶ言葉。
酔ったときに、つい漏らす言葉。
寡黙な人の口から、ぽろりとこぼれ出た言葉。
そういう「思わず出てしまった言葉」は、「本心そのもの」のように、どうしたって感じられる。
ドラマなんかでも、そういうシーンで口走るのは、日頃から思っていることで、でも言ってはいけないと隠していることだ。
人間は心の中に、強く思ってはいるけど、決して口に出してはいけないことを、たくさん抱え込んでいる。
それを抱え込み続けるには、常に理性の力が必要とされる。
なんらかの理由で、理性のたがが少しゆるんでしまうと、本心があふれ出てしまう。
だから、思わず口にしてしまった言葉は、本心であることが多いだろう。
しかし、100%ではない。
私の場合のように、心にずっと秘めていたことを叫んだとしか見えないが、じつは心の中にまったくないことだった、という場合もある。
こんなことは私だけなのだろうかと思って、何人かの人に聞いてみたことがある。
「そんな経験はない」という人もいたが、「自分もそういう経験がある。思ってもいないことを、ずっと隠してきた本心みたいに言ってしまった」という人もいた。
だから、全員にありうることではないかもしれないが、決して珍しいことでもないと思う。
相手から、隠してきた本心としか思えないことを言われると、衝撃は大きい。
その言葉がずっと心の傷になっている人もいるだろう。
それは本当に「隠してきた本心」だったかもしれない。
しかし、「まったく思ってもいなかったこと」の場合もある。そういう可能性もある、ということは知っておいたほうがいいと思う。
なぜ、思ってもいないことを言ってしまうのか?
その理由はわからない。
そういう経験のある人たちに理由を聞いてみたが、それぞれにちがうことを言っていた。自分でも理由がよくわからなくて、推測するしかないという感じだった。
私の場合は、ドラマの中の言葉か何かが出てきてしまったのかなあと思う。自分の本心ではないどころか、外からの借り物が、そんなときに出てしまうこともあるようだ。困ったことだ。
というわけで、思わず口走った言葉というのは、本心というふうに重く受けとめられやすいが、そうとも限らないということだ。
ただ、どうしてそんなときに本心ではない言葉が出てくるのか、その理由はわからない。
でも、言葉にすると力を持ってしまう。
「言葉にすること」のおそろしさのひとつだ。
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