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084「誘惑に負ける幸せ」

「もうちょっとだけ」

人は誘惑とせめぎ合う。食欲、睡眠欲、下心、見栄、怠惰……。
程度の差はあれ、目の前の欲求と自分の意志を、毎日のように戦わせている。

欲求に抗う。誘惑に負ける。
自分の欲求や誘惑は、基本的には悪いモノとして捉えられがちだ。欲求には「抗うべき」、誘惑に「負けないべき」とされているのには、いくつか理由があるだろう。

ひとつは、自分が誘惑に負けると、コミュニティに迷惑をかけるため。
コミュニティに属する人間は、他者との調整を余儀なくされる。
全体のために個人の欲求を抑える。社会全体のメリットを考える。
種の存続の目線からしても、「個人は誘惑に勝つべき」という意見は、比較的イメージしやすい。

もうひとつは、未来予測に基づく損得勘定がはたらくため。
人間は言語能力を獲得したとき、過去を記録し、未来を考える術を手に入れた。目の前の”今”とまだ見ぬ”未来”を比べる力を得たことで、生き抜くために、より的確な判断を下せるようになった。
良かったのかはわからない。いずれにしろ、結果として人類は過去に固執し、未来に不安を感じるようになった。皮肉なことに、「目の前の野性的欲求に従わない」選択肢は、人間の進化によって生まれたと言える。

つまり誘惑に打ち勝つとは、「いま自分がやりたいことを、未来のために否定する」こと。これはいつも、未来に向けた冷静な損得勘定であり、社会に気を遣った結果である。

今の気持ちに素直にならない。未来の自分のために我慢するーー。
理性的かつ合理的な判断。褒められたことだ。

ただ、自分の欲求を打ち消し、「誘惑に打ち勝った」と表現することに、さみしさを感じるのは僕だけだろうか。

だからこそ僕は「負けるべき誘惑」。その存在を信じたい。
100年生きねばならないこの異常な現代でも、未来を忘れ、今に身を任せることの大切さを説きたい。

僕らはもともと動物だし、そもそも今でも動物である。
いつもがいつも、今やりたいことを我慢すべきとは限らない。

いつもとは言わない。ただ、時には「負け」に振り切る姿勢が、自分らしく生きることに、きっとつながると僕は信じている。

働きつかれた平日を経て、僕はこの日曜の昼にフットサルに参加した。
2時間走り回った後、何人かで昼からビール500ml缶を開け、家に帰って担担麺をたらふく食べて、ハンターハンターを読みながら寝落ちした。
起きたときには夜。今はロールパンをつまんでいる。

「ほら」とつぶやく。
終わりかけた一日も、これはこれで、悪くないと思う。

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