昨日の感想
前日徹夜だったので、福田-森セッションの中で瞬間寝落ちしてしまい、最初の森さんの問いを聞いておらず、議論が何を起点としているのかわからないままでした。議論は、基本、あっちこっちに行くので、最初の問いがわからないとこんなにもわからないのかと思った次第です(今日、記録聞いてやっとつながりました)が、せっかく、久々に哲学的・社会学的議論がされていたと思うので、私の意見を付しておきます。
最初の値付けについていうと、私は、スクールカウンセラー問題を思い出します。河合隼雄が戦略的に臨床心理士のマーケットを開拓しようと、いじめ自殺が社会化した当時の学校に、スクールカウンセラーを導入し、その時の時給を5000円あたりに設定しました。専門家価格としてあえて高く設定したのです。この戦略は意味があって、臨床心理士はいまだにポストが不安定ですが、スクールカウンセラーを掛け持ちすれば何とか食べていける職業になりました。また、それは、臨床心理士やスクールカウンセラーの専門家としての社会的威光効果にもつながったと思います。そのあと、スクールソーャルワーカーが導入されましたが、時給は比してすごく低いです。これは、ソーシャルワーカー業界のミスです。福祉は安いという市場感から抜けられなかった。
福祉、教育、医療業界は、準市場です。公共性があることと、情報の非対称性も背景にあります。でも、医者の給与は高く、看護師が比して低いのはジェンダー問題があるし、介護保険導入時にのきなみケアワーカーの価格が低かったのは、ジェンダー問題が大きいです。高齢社会で、せっかくたくさんの人たちが食べていける市場だったのに、このせいで、福祉で働く若者男子の寿退職(結婚したら子育てのためには食べていけないので転職)が生み出されることとなりました。
スクールカウンセラー問題は、社会の成熟によって、カウンセリングの社会的価値が認められた成果でもあり、ただ価格を無茶苦茶設定しても社会的批判があっただろうから、やはり、社会的な価値の妥当性が、市場の中でもその他でも認められることは大事かと思います。とはいえ、カウンセラーは、今回公認心理士として国家資格になるまで医療界では診療報酬にならず、スクールカウンセラーの中での閉じた市場でした。
ケアマネは、もう少し給与が高ければいい人材が集まり、パフォーマンスが増したと思われます。それは、業界からも指摘されていました。
アートは、象徴闘争の世界なので、それまでの価値観をひっくり返し、それがアートワールドで評価されることが重要です。シャネルが安いジャージ服を高く売ってブランド化したとき、動きやすさや素材の質感を、それまでの女性服に挑戦して売り、それは、それまでの高い女性服を買った顧客に対してブランドのレベルで塗り替えていった事件でした。
会社については、福田さんの指摘されるような要素ももちろんあるとは思いますが、資本主義である限り、利益を生み出すことが至上価値であり、金融資本主義においては特にその要素が強いと思います。日本も、社長が会社の生え抜きのたたき上げで、労働者と一体だった時代は消え、株主の利益を優先させる会社制度の浸透の下で経営者が変わってきているかと。
ただ一方で、SDGsほか、環境問題のような公共的問題に世界が取り組まざるをえず、 機関的投資家がそちらに向かっているので、日本もやっつけのSDGsを政府方針にしているかと思います。
森さんの現場に近い話は、建築における新規専門家としてのコンサルタントの創出という先行事例がありそうです。私の大学の同僚がこの研究をしています。特に資格があるわけではなく、出自もまちまちの新しい専門家の誕生です。
障害者アートについていうと、日本は、福祉が遅れていて、この方面は遅れていました。障がい者の作品が市場に出て経済的ルートに乗れば、社会的地位は向上し、本人も金銭を獲得します。ただ、本当にそれが本人にとって幸福なのかということを最近考えています。山本さんという、第二の山下清と呼ばれる障害者は、先生と一緒に海外行きたさに絵をかき、先生が死んだ後、何年も絵をかきませんでした。それでも彼の居場所はちゃんとありました。経済ルートに乗ってしまうと、彼はかかざるをえなかったでしょう。彼の、センの言う、潜在的な能力の開花(その権利としてのケイパビリティ)という発想は、教育者のもとでその視線で培われたかと思います。障害者アート問題については、研究者からも批判があり、今の風潮は、有名アーティストとそうじゃないアーティストの分断を生む可能性が起こっているということです。売れるアートでなくても、障碍者がアートにアクセスできる権利が重要だという主張です。経済的価値を獲得することで得るものは大きいけれど、自立を経済的自立に囲い込んで彼らの固有の価値を貶める可能性があるからです。障害者自立支援法の自立の意味が問われて、総合支援法に名前が変わりました。
価格の問題は、経済学の問題でもあり、難しいかと思います。グローバル経済は、アメリカの安い肉や卵を供給し、自然農法の伝統的農家は価格で負けて潰れていきました。いいものを消費したい消費者は、高くても国産を買いますが、格差社会で貧しい人々が増えているので選択肢もありません。フェアトレードも、お金のある人しか買えていません。
自治体の入札で、指定管理事業で、品質では選ばれず安いものが買いたたかれ、埼玉の有名な、実績のある、学習支援事業が切られました。
価格の問題は、政治の問題もはらんでいると思います。
ローカル経済については、福田さんも指摘された通りです。
コメントに協同組合についてコメントしたのは、今法制化途上ですが、市場のデメリットを、福田さんの言われたようなさまざまな方策以外の方策として、重要かと思ったからです。 イタリアが精神病院を廃止し、その受け皿として協同組合があります。
正直、私は今学長補佐で、文科省路線に立ち向かわされている役でもあります(文科省的教育イノベーションをどう批判的にとらえるか)。
ともかく、日本の税金の使い方はあまりよくないのは確かです。本当に必要なところは、新しいプロジェクトで単年度制で出すのではなく、きちんと出し続ける必要があるし。教育やら文化やら。災害のお金のだし方のおかしさも、災害だと大盤振る舞いがなされる歴史があって、根は深いと思います。
結構いい仕事をしているところは、補助金でやっていないところが今多く、福田さんの指摘は今後も参考にしたいと思います。