日本史24 税金からにげるためなら性別を変えるさ
ラクダは背中から太るんですけど!!!!
ラクダのコブあるじゃないですか。
あれって脂肪なんですよ。
砂漠という過酷な環境でも生きていけるように、背中に脂肪を蓄えて、もしものときのエネルギーにしてるんですね。
だから、ラクダって、食べ過ぎると背中のコブから太っていくんですよ。
僕なんかはお腹から太っていくんですけど、ラクダは背中からなんですね。
だからどうした!!!!!!
宇多天皇の次は、醍醐天皇が天皇になります。
醍醐天皇は摂政・関白というポジションはつくらず、自分自身で政治をおこないました。
自分で政治をすることを親政って言ったりするんですけど、やっぱり自分で政治をすることが、天皇の理想なんですね。
なので、醍醐天皇の親政も、天皇の理想とされて、「延喜の治」なんて呼ばれました。
自分で政治をするぜ、といつつ、当初、醍醐天皇は、お父さんの宇多天皇に
「学者の菅原道真を右大臣、藤原氏の藤原時平を左大臣にしなさい」って言われて
「了解!」
って感じで、お父さんの宇多天皇に言われた通り、菅原道真と藤原時平の二人を重要な役職に就かせるんですね。
でも、この菅原道真と藤原時平が仲悪かったんですよ。
二人とも、トップの権力を牛耳りたかったんでしょうね。
先手を打ったのは、菅原道真でした。
「菅原道真が謀反を企んでいる」と藤原時平が醍醐天皇に密告するんですね。
その結果、菅原道真は大宰府にとばされてしまいます。
左遷ですね。
地方に飛ばすって、もうこの頃からあったんですね。
でも、俺は思うわけよ。
別に遠くの勤務になってもさ、それはそれでいいんじゃないの?
俺は嫌だけど。
部下の菅原道真と藤原時平が喧嘩している中で、醍醐天皇は、政治的にはそこそこ業績を残しているんですよね。
法令に関していえば、延喜格式を作ったり、
今でも語り継がれるような古今和歌集を作らせたりね。
まぁ、「古今和歌集読みました」って人が、どんだけいんのか知らないけど。
こんな感じで多くの実績を残している醍醐天皇なんですけど、実は、一番力を入れていたのは、班田収授の立て直しです。
班田収授っていうのは、戸籍に登録されている農民に土地を与えて、その農民が与えられた土地を耕して、その収穫から税をとるっていうシステムだったんだけど、その前提となる「戸籍」が醍醐天皇の頃に完全に崩壊しちゃったんです。
つまり、どこにどんな人がいるかを、国が把握できなくなっちゃったってこと。
重い税負担が辛すぎて、戸籍に登録した農民が逃げてちゃったり、男性が、比較的税の負担が軽い女性になりすましたりして、実際には役に立たない戸籍になってしまったんです。
例えば、現在の徳島県のある地域の戸籍では、男性が59人、女性が376人という極端に女性が多い戸籍になっているらしいです。
こんな感じで、農民の逃亡や戸籍がごまかされると、税をちゃんと集めることができなくなるんですね。
真面目な人だけがちゃんと税金払って損する、みたいな。
醍醐天皇は頑張ったんだけど、結果的に、醍醐天皇の時代を最後に班田収授は行われなくなってしまいます。
人の性を見極められなかったんだね。
今の政治家も気を付けた方がいいかもね。
(´_ゝ`)