負けている時も変わらない華
スーパースターはどんな時も、スーパースターである。
マリア・シャラポワが引退を表明した。
朝からTwitterを見ては、涙が出そうになる。シャラポワは私がテニスを始めた20年前から、”華”だった。
20年前はあまりテニスは放送されていなかったので、たまに放送されると、録画して1つの試合を何度も見た。
シャラポワのように打てるようになりたい、と思うのではなく、その姿を見てるのが好きだった。ファンになった。
少し悲しげな表情。
おしゃれなウェア。
力強いガッツポーズ。
常に基本に忠実なスイング。力強いショット。
「シャラポワの叫び声がうるさい」と言う人がいると、
そんなことを気にしていたら、チャンピオンにはなれない。
だからシャラポワは強いんだとかばいたくなる。
ドーピングの件の時も、シャラポワは、そうしなければならない人生なのだ、とかばいたくなった。シャラポワは絶対に勝たなくてはいけない人だから、危ない橋だって渡らなければならないのだ。彼女の意図とは関係なく、勝つために周囲も危ない橋を渡らせる。
勝つためにできることを全てする人生だ。
勝ちを最後まであきらめない姿はいつも勇気をくれる。
シャラポワを思いうかべる時に浮かんでくるのは、絶対絶命の試合展開でも、常に自分のルーティーンを崩さない姿だ。
相手に背を向け、ラケットのガットを触る姿。
サーブの前に必ず、髪を両耳にかける姿。
どんな時も同じ。
雑なプレーも決してしない。
最後まで逆転を信じて、最善を尽くす。
シャラポワを思い出すと、勇気がわいてくる。そういう”華”を自分の心にもつことは、とても心強いことだ。
その彼女が引退。もう全ての手を尽くしたのだろう。
寂しいけれど、私の心の中でシャラポワという”華”を大切にしていきたい。
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