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「俺の話を聞いてくれ」と思いたい

3月31日、私は東京にいた。新年度が始まる前日のことである。
次の日から晴れて社会人となる大学の友人と一緒にオホーツク生まれシーシャ育ちの先輩、磯川大地さんが経営しているいわしクラブというお店に遊びに行った。

その友人は東北出身なのだが、大地さんとの会話の中で、

大地さん「東京で働くの?」
友人「そうなんです」
大地さん「ずっと東京に住む予定?」
友人「いえ、いつかは離れたいですね。北海道とかで暮らしたいです」


というシーンがあった。
それについて初耳だったので驚いた。てっきり自分の地元に帰りたがっているものだと思っていたので、北海道出身の私としてはなんだか嬉しい気持ちになった。

しかしである。

その後しばらく友人と二人であれやこれやと話していたのだが、会話の中でふとその友人が「かしこと俺の人生は、ほぼほぼもう交わらないだろう」という趣旨のことを呟いた。
どういうことかとすぐに訊き返したかったが、言葉のパンチ力が強すぎて、思わず言葉に詰まってしまった。
その後の会話や文脈から、「かしこ(私)が取り組んでいる『地方』での取り組みに、今後自分がなにかで関わるイメージがつかない」ということだと察した。

私はいま釧路のにぎやかし団体「クスろ」としての活動を軸としていて、その「クスろ」は商品開発、イベント企画、デザイン、編集などなど、いわゆる制作業務を主として行っている団体である。
「デザイン」という言葉だけ切り取れば、デザイン会社で勤めている彼の仕事もしくは業界と、十分に交わる可能性はある。
けれど、彼が「ほぼほぼ交わらないだろう」とはっきりと告げたのには、どんな意味があるのだろう

「ていねいな暮らし」という「線引き」

地方をテーマにした活動や仕事を通して都市部在住の人と出会うと、よく「北海道いいですね」「私も移住したい」などとよく言われる。
北海道という土地そのものが魅力的ということもあるが、だいたいこういう発言には「地方暮らしっていいですね」というニュアンスも含まれていることが多い。

これまたオホーツク生まれインターネット育ちであるかずきゅんことさのかずや先輩が書いた「田舎と未来 手探りの7年間とその先について」の中の「『ていねいな暮らし』がもたらす、都市と地方、身体と精神の分断について」という章がある。

この章では、「都市」と「地方」の間に横たわる極端な溝、対立構造について述べている。

最近、都市と地方の断絶が進んでいるのではないか?ということを強く感じている。
大まかにいうと、地方産品が都市文脈で消費されていること、「地方でていねいな暮らし」というイメージがいまだに支持されていること、というふたつの流れによって、都市と地方の断絶が進んでいるのではないだろうか、と考えている。


「田舎と未来 手探りの7年間とその先について」 p120-121より引用

書籍やWEBメディアなどのメディアだけではなく、例えばアパレルブランドそのものが「ていねいな暮らし」文脈に沿っているものもあるし、音楽やカフェ、スーパーにでさえ「ていねいな暮らし」の欠片を見かけるようになった。

2014年の「まだ東京で消耗してるの?」の流れから、2015年、2016年とじわじわ「地方でていねいな暮らし」に時流が傾いてきたように思える。非常にわかりやすいカウンターカルチャーだ。ここには明確に、都市でものや関係にまみれて生活をしている「普通の人々」に対する、「地方で暮らす」という「普通でない人々」からの優越感がある。

「田舎と未来 手探りの7年間とその先について」 p122より引用

この「ていねいな暮らし」という言葉は、「地方」と強く結びつきながら世間に浸透していった。
「憧れの土地に引っ越して農家を始めた」「古民家を改装してカフェ営業」などなど、そういった「地方」だからこそできる「ていねいな暮らし」というイメージはいまだに強く支持されていると思う。

しかし一方で、「ていねいな暮らしとはいったい……」という意見や反応もSNS上などで見かけることも多くなった。

Twitter上で「#ていねいな暮らし」と検索すると、ハッシュタグつきの投稿に添えられたチェーン店での食事風景や煙草と缶コーヒーの写真など、自虐的なツイートも見受けられるが、
中にはわざわざ「私は『ていねいな暮らし』を実践しているものではありません、本当の、私が思う『ていねいな暮らし』とは……」ということを述べている人もいる。
2014年の「まだ東京で消耗してるの?」からはや5年が経ったが、型にはまったステレオタイプ通りの「ていねいな暮らし」の支持ではなく、それぞれの「ていねいな暮らし」を提唱する流れにシフトし始めてきている。
テンプレートとしての「ていねいな暮らし」の流れは終わり、「ていねいな暮らし」=「地方の暮らし」とは言い切れなくなってきた(元々この等式に当てはまらない「地方の暮らし」の方が多いと思っているが)。

(中略)そしてなにより、そういうものに引っ張られて、「地方って『ていねいな暮らし』したい人が行くところなんでしょ?」というイメージが蔓延して、地方がどんどん都市の人と無関係なものになってしまう。

「田舎と未来 手探りの7年間とその先について」 p125より引用

ただ、かずきゅんが指摘するように、今もなお「地方って『ていねいな暮らし』したい人が行くところなんでしょ?」という「線引き」のようなものは、確かに存在していると思う。
「ていねいな暮らし」に限らず、人それぞれに価値観や趣味嗜好があって、合う合わない、好き嫌いを判断して、界隈に飛び込んだり付き合いを続けたりすることが、人間が作ってきたコミュニティというものなのだと思う。

「いつかは北海道とかで暮らしたい」。
彼にはそんな希望があるのに、どうして「交わらない」などと言ってのけられるのだろうと不思議だった。

もしかしたら、彼の「いつかは北海道とかで暮らしたい」という彼自身の暮らしのイメージと、私が取り組んでいるアクションのイメージとは、一致しづらいのかもしれない。つまり、コミュニティが一致しないと判断されたのかもしれない。

私は、自分の活動の悩みや迷いを友人たちにあまり吐露してこなかった。「クスろ」の話もするにはするが、自分がどんなことをしているか、きちんと人に説明しようとしてこなかったと思う。
その結果、「何をしているのかよくわからないけれど地方(釧路)でなんかやっている人」というレッテルが貼られていることに気づいてしまい、もしかすると自分自身でも、「どうせ友達に話してもわかってもらえないだろうし」という「線引き」をしてしまっていたのかもしれない。

違うコミュニティで暮らす、身近な人に

「かしこと俺の人生は、ほぼほぼもう交わらないだろう」という言葉は、常々「地方で何か友達や家族が『やりたい』と思ったときに、それを応援できるような土壌を作りたい」という思いを持っている私にとっては、かなりショックなものだった。

もし彼に限らず周りの友達がそう思っているとしたら、彼らが何か地方で「チャレンジしたい」と思ったとき、声をかけてもらえない、見つけてもらえないかもしれないと思ったのだ。
そもそも「チャレンジしたい」とすら思わないかもしれない。

道東で活動を続けてるうちに、仲間が増えた。それぞれが釧路や十勝、根室、オホーツク、道北、道南などでローカルに根付いたアクションを起こしている。私はいま、そういう人たちが集まるコミュニティに所属している。
でも、いつかさらに時間が経ち、環境が変わったとき、いまのコミュニティだけとしか繋がりがないとしたらと思うと、ゾッとする。
もっとコミュニティの外、いまは「交わらないだろう」と思っている人にも、少しずつ話していきたい。関わっていきたい。
「ていねいな暮らし」とかどうでもいい。無自覚に線引きをしたくない。「俺の話を聞いてくれ」と思いたい。

身近な友達に、少しでも「面白そう」とか「関わってみたい」と思ってもらいたいと切に願うのは、贅沢なことなんだろうか。たぶんそうだと思う。
ただちょっとだけ、「かしこ、また『釧路』とか言ってるよ」と思われてもいいから、誘ったり、声をかけたりしていきたい。正しいかわからないけど。友達を失わないようにがんばります。

こういう、都市と地方の間にある妙な溝に気がついている仲間と一緒であれば、現状を打破するなにかのアクションが、都市と地方を、そして身体と精神を地続きにするための方法が、その手がかりが見つけられそうな気がする。
なにかしら連携して、都市と地方の新しい関係を、そしてぼくらだけでなく、いろんな人にとって身体と精神の新しい関係を作る、そのきっかけになることができればと思っている。大きなムーブメントまで、少しずつ。


「田舎と未来 手探りの7年間とその先について」 p128より引用



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