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かしこがぜんぜんすごくない話

Photo by 名塚ちひろ

こんにちは、かしこです。秋田名物だまこみたいな顔で失礼いたします。

2018年かあ〜〜この世に生まれ落ちて22年かあ〜〜と思っていたら、
2019年になってました。早いよ。もっとしんみりさせてほしい。

昨年は様々なことがありました。
遊びも勉強もまとめて振り返るとこんな感じ。

プロジェクト学習@函館(〜2月)
富士通アイデアソン@東京(2月)
トビタテ同窓会@仙台(2月)
大学院訪問@関東(2月、3月、5月)
富士通ワークショップ@東京(3月)
道東誘致大作戦@オホーツク(3月〜)
移住ナイト@函館(3月)
トビタテ合宿@東京(年3くらい)
九州ひとめぐりtour@熊本(4月)
余ト市@函館(年3くらい)
森、道、市場2018@愛知(5月)
都市景観賞プロジェクト@函館(2017年〜)
山口正栄記念奨学財団採択@札幌(6月)
卒業研究展覧会@函館(6月〜)
森ジャム2018@下川
登山@道南(8月、10月)
Gラボ2018@東京(8月〜12月)
脳天直撃学校祭(8月)
北の合宿2018秋@白滝(9月)
柳下さんとのイベント@釧路(10月)
デザイン学会@秋田(10月)
藤本さんとのイベント@釧路(11月)
クスろのルンルンブイブイラジオ@釧路(11月〜)
秋田・ソーシャルデザインの学校登壇@秋田(11月)
釧路高専でのキャリア講演@釧路(12月)

こうして並べてみると、きちんと遊んでるし、大学関連のプロジェクトもいくつかやっている。
本当は一つひとつ書きたいけれど、遅筆なのでやめます。
「大学行ってる?」と家族や友人から心配されているけれども、細い糸ながら大学とのつながりも保つことができている。今年はもっとちゃんといい子しますね……。


プロジェクト学習成果発表

3年次プロジェクト学習として履修していた「すうぃふとプロジェクト2017」の成果発表があった。


私たちのグループはお互いをお互いが罵り合い、しかしもっともSlackでのやり取りが多いという非常にうるさいグループだった。楽しかったなあ。

この「じぷり」という、前年度の方が制作した町内会向けイベント管理アプリの改善が私たちのテーマ。
フィールドである函館市陣川町へなんども足を運び、町内会の方と会議をなんども開いていただき、アジャイル開発を行った。
私はそこで唯一のデザインコース生だったので、主にUI改善を担当した。
UI改善は楽しいけれど、それを形にするスキルがまだまだない。
もっといろんなツールを使えるようになったり、基本的な知識を身につけないとなあと思っていたのがこの頃。


進路

進路について考え始めたのが2018年の春頃。
もともと大学院進学を希望していたので、社会工学やデザインを中心に研究科を探し、いくつかの研究室を訪ねた。
マッチングしそうな研究室も二つほど見つかり、プレゼンした研究内容についても面白がっていただけた。
一方で、最近「本当に大学院に行きたいのか?」と考え直すようになってきた。高専→大学編入→院進がメジャーなキャリアなことには変わりないのだが。
先々月、柳下さんに、「君は本当に学校が好きだね」と言われた。
柳下さんから見た素直な感想だったと思うのだけれど、なぜかその言葉が刺さっている。
それから、きむ兄にも「かしこは社会に興味があって、社会性の高いことがやりたいんでしょ?」と念押しされた。その言葉も刺さっている。
「大学院へ行って研究としてやりたかったこととは一旦なんなのか」ということより「いま私がやるべきことはなんなのか」
すなわち、「私が腹をくくるべきことはなんなのか」ということだ。


卒業研究展覧会

私の大学では、デザイン系の研究室に所属している学生を中心に、卒業研究を展示するイベントが行われる。
2月に函館と東京で開催されるので、お時間ある方はぜひ。

まあこんな感じで楽しく運営メンバーをやっております。

今年、真剣に卒業研究に取り組めたのは夏までだった。
そもそも今まで電気工学のフィールドで研究していた私にとって、デザインの研究は未知のことだらけだった。
「デザイン」という言葉の曖昧さ、数値ではかることが難しい結果など、研究の進め方に苦戦した。
正直今は全く研究に身が入っていないので、展覧会に間に合うか不明だが、もしよろしければ遊びにきてください。


道東誘致大作戦

今年最も感慨深い出来事といえば、道東誘致大作戦。
何度Macで打ち込んだか忘れた。それくらいたくさん打ちまくった。

詳しくは以下をご参照ください。

1.道東誘致大作戦クラウドファンディングページ

2.イベントレポート

3.道東誘致大作戦派生の諸々をまとめた年表

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「道東誘致大作戦というイベントをやるんだけど、かしこも手伝ってくれない?」と言われたのは2017年の12月頃。クスろちひろさんから電話を受けたのだった。
「よくわからないけれどやります」と言って受けたことを覚えている。
よくわからないなりに仕事を進めていくと、準備段階から想像していなかった展開に物事が転がり、思いもよらない評価をいただくことになる。
クラウドファンディングも目標金額を超え、Twitterでもある程度認知度が広がった。
北海道の東側から始まったことがインターネットや仲間内を通して広がっていくことが楽しかった。イベント当日がとても楽しみだった。

しかし、当日になってみると、そんな風に思っていた自分が恥ずかしくなることばかり起こる。
オホーツクで開催されたツアーの行程はギュウギュウ詰め、ツアーがうまくいくか心配でしょうがなくて、自分自身の余裕がなくてイライラしてばかり。お客さんを迎えて開催したトークイベントも予想以上にグダグダしてしまう。
そうして、私たち道東誘致大作戦の運営チームは、最終的にゲストの方に様々な不手際を詰められてしまうことになる。

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この記事の中にもあるように、「ローカル怒られない問題」というローカル独特の事象がある。

ローカルでメディアや編集の仕事をしていると、「良い」「悪い」の評価さえほとんどもらえないんですよ。仕事で写真を撮ったりサイトを作っても、クライアントさんから返ってくるのは「ありがとうございます。受け取りました」。
都会に比べて、高いクオリティを知ってる人がどうしても少なくなるので、内容に関してなかなか指摘できないんですよね。だから仕事をする上の指標が自分の絶対的な評価しかないので、すごく悶々とすることが多くて。

記事内で拓郎さんが言及するように、道東地域に限らず、このようなことはどこにでも起こりうるのだと思う。ローカルでは「良い」も「悪い」もないことがある。「成長」ってなんだっけ、と思う瞬間がいくらでもある。

私自身はどうなのかというと、「怒られない」どころかちやほやされまくっていた。
私は高校生のとき、地元のお祭りを手伝ったことから釧路に関わり出した。
当時の釧路にはその年齢で地域のことに興味を持つ人はおらず、私は単に「若い」というだけでちやほやされまくった。
FMくしろというコミュニティラジオでパーソナリティを務めた。
留学経験を生かしたイベントを立ち上げたり、「クスろ」に参加してイベントを手伝ったり、釧路を軸にいくつかのイベントに関わっていった。
どこにいっても何をやっても、たとえ失敗したとしても、「若い人がこういうことをやっているだけで偉い」と褒められ続けた。

道東誘致大作戦でも、一緒に運営に参加した方は全員年上だった。
Twitterを更新すれば褒められ、Google マップで道案内すればできる女だと言われ、写真を撮れば優秀だと言ってもらえた。
褒められることは好きだ。好きだけれど、そこに不安を感じ始めた。なぜなら、運営として当たり前のことをやっているだけだから。
その上、運営として当たり前のことを免除してもらったりした。ついていけない話もたくさんあった。迷惑をかけたこともある。それでもみんな、褒めてくれるのだ。

そんな状況で、ゲストの方に詰められたことは私にとって大きなショックだった。
いや、全然できていないことはわかっていたけど。でも。私は褒めてもらってたし。
もしかしたら、そんな風に思っていた瞬間もあったかもしれない。自分のことを、心底嫌な女だと思った。

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道東誘致大作戦の最終日が終わり、藤本さん、ヒラクさんと釧路で夜ご飯を食べることになった。もちろん話す内容は、道東誘致大作戦について。

一緒にいたちひろさんは、そのときヒラクさんにこんなことを言われている。

その中でも特に痛かったのは、デザインの悩みを相談した時のこと。
独立してちょうど1年くらいで、クオリティに対する自信を持てない真っ最中。それでもなんとかして釧路のデザインのレベルを上げたいと思っていた。
そのことを小倉ヒラクさんに話したら
「自信がない人に誰もディレクションなんてやってほしくないから、それならやめたほうがいいよ」
あ…ですよね…?
図星過ぎて何も言えなかった。藤本さんは渋〜い顔で見ていた。

私もこの様子を見ていた。心が痛かった。

その後、ふいにちひろさんが、「かしこはすごく頑張ってたんですよ、今回」と話し始めた。どんな顔をしていいかわからなくて、曖昧に笑った。
ヒラクさんに「今回どうだったの?」と感想を求められ、私はぽつぽつと話し出す。
疲れ切ったこと。自分が思うように動けなかったこと。今は混乱していてよくわからないこと。
小学生のような語彙をつなげて、小声でそう話した。
すると、黙って聞いていた藤本さんが、

「かしこは全然すごくないねんな」

と言った。私は言葉に詰まってしまう。これは、褒められていない。

「もっと全国にはたくさんすごいやつがおんねん。かしこよりもっとすごいやつが」

複雑な感情で胸がいっぱいになった。嬉しいような悲しいような悔しいような、なんとも言えない感情が押し寄せてきて、私はボロボロと泣き出してしまった。

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その後、何日か経ってもその言葉は消えなかった。
「すごくない」と言われたことはショックだった。ショックというか、驚いた。
「私は全然、すごくないんだ」と思った。
その言葉の前にくる言葉には、「やっぱり」も「そうか」もどちらも当てはまるだろう。驚きでもあったし、合点もいった。
自分のことを「すごい奴だ」と思ったことはないけれど、それでも新鮮に、素直に驚いた。今まで、「すごくない」と言い切ってくれた人はまわりにいなかったからだ。

「すごくない」私は、しばらく悶々とし続ける。
道東誘致大作戦という文字をTwitterで見るのも嫌で苦痛だった。
正直、ゲストの皆さんにももう会えなくていいとさえ思った。会わせる顔がないと思った。
しかし、その思いに反して、「その後の道東誘致大作戦」は1年間続いていくことになる。

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拓郎さんのnoteからの引用になるけれども、道東誘致大作戦関連のイベント一覧である。

2月 クラウドファンディング スタート
3月 道東誘致大作戦@オホーツク
4月 道東誘致大作戦反省会@札幌 UNTAPPED HOSTEL
5月 森、道、市場@愛知(中西・須藤・蝦夷丸)
7月 森ジャム出店@下川町
8月 脳天直撃学校祭@十勝・更別村
9月 北の合宿2018秋@オホーツク・遠軽町白滝
10月 週に3回通える本屋ができるまで@釧路
11月 魔法をかける編集・道東ツアー第1弾@釧路・帯広
11月 道東誘致大作戦秋田へ行く@秋田各地
12月 魔法をかける編集・道東ツアー第2弾@津別・根室
(遊び& かずきゅん合宿なども入れ込んじゃいました)

わかるだろうか。3月の道東誘致大作戦以降、毎月イベントが詰まっている。

あんなに会いたくないと思っていたゲストの方にも、3ヶ月に1度のペースでお会いしているし、こちらから会いにいったりまた道東に来てもらったり、ひたすらに用事が詰め込まれている。
誰かがどこかへ行くことになればそこにイベント突っ込み人を集め、誰かが来ることがあれば無理やり構って酒を盛る。

あんなに二度とやるもんか、と思っていた道東誘致大作戦も、がむしゃらに走り出してみれば、いつの間にかいい思い出になっていた。
ゲストの方に会うことも楽しみになっていたし、さらにそこから新しい人に出会うことができるのも嬉しかった。
自分が「すごくない」ことなんて気にならなくなっていた。

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つまり、私は最初から「すごくなくてよかった」のだと思う。
「すごいねえ」「えらいねえ」と言われることは嬉しいけど、きっとそんなことはどうだってよかったのだ。
いつの間にか私は、「すごくある」ことに価値を置かなくなっていた。

それよりも、ずっとずっと嬉しかったのは、脳天直撃学校祭でのシーンだ。

私は、イベントに都合で1日目しかいることができなかった。
トーク配信の手伝いをしていたのだが、位置としては、トークに登壇するゲストの方と、主催である神宮司さんの目の前だ。
神宮司さんのnoteを読んでもらえればわかるのだけれど、あの時期の神宮司さんは、ほんとうに辛そうだった。明らかに表情も疲れていたし、私はどうにか無事にイベントが終わってくれと願うばかりだった(無事に終わらないのだけど)。

1日目の終わり。私が「1日目しかいれなくてごめんなさい」と伝えると、神宮司さんは心底悲しそうに「ほんとうだよ!行かないでよ!」と引き止めてくれた。
それを聞いて、私は「社交辞令だったとしてもありがたいな」としか思っていなかったのだけれど、その真意は反省会でわかることになる。

脳天直撃学校祭の反省会。
涙目の神宮司さんから「かしこちゃん、ほんとうに手伝ってくれてありがとう!」と言われた。
感謝されるほど貢献できたと思っていなかったので、「なんか、もっとできることがあればいいんですけど」と正直に伝えた。
道東誘致大作戦でも、脳天直撃学校祭でも、私は誰にでもできるようなことしかできなかった。それがコンプレックスだった。私は、なんでもできるように見せかけて実はできることが少ないのだ(一番いい例が、名前が「かしこ」なのに全然賢くないことだ)。

すると、神宮司さんは、「違うよ」と言った。

「私が、かしこちゃんがいてくれてよかったなと思ったのは、イベントのトークの最中、配信ブースでかしこちゃんが目の前にいてくれたことだよ。いてくれるだけでよかったんだよ」

それを聞いて、心底驚いた。そんな風に思っているとは思わなかった。
それじゃあ、「すごくなくて」いいじゃん、と思った。
「すごくなる」ことはできないけど、イベントに行って、人を手伝って、誰にでもできるようなことをこなして、走り回ることはできる。
「すごくなる」っていらないのかもしれない、と思った。

もちろん、これはいま私が若いからできることだし、もっと成長しなければいけない。もっとスマートになるべきだとも思う。
けれど、わけのわからぬままでも、勢いと人情だけで、すごくなくても走り続けることを、続けていくべきなのだ。

だから、あのとき藤本さんに「全然すごくないぞ、お前」と言われたことは、本当は完全な救いだった。
ご本人がどんな意図で言ってくれたのかはわからない。けれど、私の特技は都合の良い解釈である。
そうですよね、藤本さん!そういうことですよね!そういうことにします!

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以上が「かしこすごくない」話の顛末である。ずっとモヤモヤしていたのだけど、なんかそれっぽく出せてよかった。

マジでこの人たちといると、できないことが多すぎて正直嫌になることもある。勘弁してくれと思う。あと10年しかないのに、ここまでいける気がしない。でも続けるぞ。

この人たちも嫌。ずるいキャラばっかり。こういう大人になれるのだろうか。嫌だなあ。でも続けるぞ。

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というわけで、2018年は移動して遊んで、「結果:かしこは全然すごくなかった」の年でした。
すごくなくていいや、ほんと。すごくなくてもできることをやろう。
2019年は、一旦学生最後の年になりそうです。まだわからないけれど。
今年も節度をもって全力疾走する年にします。どうぞよろしくお願いいたします。

お年玉をもらっている22歳の図です

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