時がきたら働く日記 16
無職81日目
東京。何ヶ月ぶりか。学生生活を終えたことと新型コロナウイルスをきっかけに、ほとんど行く機会を失っていた。
就職するための面接を受けに行くので、かなり無職らしい出来事である。
釧路から羽田までの航空チケットは、先輩が出してくれた。びっくりするくらい気軽に出してくれた。zoomの向こうで「え、私だすよ。いいよ」と言っていた真面目な顔を思い出す。
この日の東京は雨だった。東京で雨、かなり最悪である。地下鉄の中で濡れた傘が邪魔になるからだ。
代々木上原には初めてやってきた。「代々木上原」とはなんなのか。「代々木」と「上原」なのか、「代々木上」の「原」なのか。
左手の小指と中指で傘を持ち、傘の柄とスマホを挟み込むように持って、駅の辺りをしばらくうろうろしながら見つけたゲストハウスにチェックイン。1階がカフェスペースになっており、身軽な人間たちがPCを開いて作業をしている。
フロントで名前を告げて、「少々お待ちください」と言われる。スタッフはしばらくiPadを操作していたが、なかなか顔をあげなかった。パッと顔をあげたかと思ったら、自分の後ろでコーヒーを注いでいるスタッフに何か話しかけ、またiPadに顔を戻した。やたらと表情の少ないスタッフばかりがいる店だな、と思う。思うだけで、特になんの感情も湧き出てこない。
予約が見つかったらしく、iPad上で精算を済ませ、そのままゲストハウスの説明動画を見ろと言われ、真面目に30秒ほど見る。
見ました、とiPadの向きを戻すと、くるっとiPadをひっくり返して画面を見せ、今度は画像で説明を受けた。きっと動画には入らなかったか、動画を作った後に発生したルールなのだと思う。
チェックイン完了。カフェで使えるドリンクチケットをもらい、財布にしまった。ゲストハウスには外にある細い階段をスーツケースを持って上がらなければいけないことになっていて、スタッフの女性は私より細い腕でひょいっと持ち上げてカンカンカンと階段をのぼっていった。
「黄色のスーツケース、可愛いですね」と、外に出た途端笑ってくれるスタッフ。
ドミトリーには、それぞれ長期滞在者の濡れた靴下や下着がぶら下がっているのが見える。白い箱の中から、明かりや音楽が漏れている。
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面接。ゲストハウスは会場まで近いが、少しの距離でも湿気ではねてしまう髪の毛の質を呪う。
面接が終わると、口の中が乾いていてうまく話せなかった。
「今回はどれくらい滞在されるんですか?」
と面接官。
「二泊します。明日は観光して帰ります」
というと、「いいですね」と言われた。
部屋の外まで見送ってくれ、「雨なので気をつけて」と言われ、何度もお辞儀をしながら退散した。
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代々木上原から高円寺へ。学生時代からの友人が長く中野に住んでいて、私も東京に行くたびに中野や高円寺に遊びに行っていた。何ヶ月も中野にも高円寺にも行っていない。彼女はきっと自転車で来ると思っていたが、駅に着いた瞬間雨だったことを思い出した。
持ち込みができるお店に行くことになったので、コンビニでお菓子や飲み物を買い込む。人とたくさん話した日は、やたらと喉が乾く。お酒を飲むつもりはなかったが、アルコール度数が低い缶チューハイを一本買った。
彼女は先に店で待っていてくれていた。高円寺駅は、北も南も同じように見える。いつも自分が行きたい場所が北にあるのか南にあるのか、よくわからなくなる。雨で濡れて街灯がチラつく夜は、尚更そっくりに見える。
この辺りだった気がする、と思って路地に入ると、懐かしい店の看板が見えたので、傘をたたんで階段を上っていった。途中で若い男の子たちが降りてきたので、道を譲ろうと思ったが無意識に足が伸びてしまって、結果的に狭い階段ですれ違ってしまった。
店の中は薄暗く、甘い煙がもくもくと充満している。
「待ち合わせですよね」
とすぐに声をかけてきた店員に案内されて店の奥へ行くと、暗がりでもわかるくらい以前と違った髪型にしている友達を発見。ソファ席で隣同士に座った。左斜め前にいるカップルと目が合いそうで、少しだけ身体を右に向けた。
なぜ東京に来たのかとか、最近どうしているというような話をしながらチョコレートなどを食べる。店の一番目立つところに設置されているテレビの明かりがダイレクトに目の中に入り込んできて、目の水分がどんどん失われていくようだった。
彼女にしては珍しく、恋愛についての話を切り出した。黙って聞きながら、自分の身の回りには恋愛の話をする人間がほとんどいないことに気づく。学生時代の友人もそうでない友人も、皆やたらと恋愛に興味がなさそうな人たちばかりだった。20代も半ばをすぎてくると、友人の何人かは婚約したり結婚したりする。自分にもいつかくるかもしれない未来の話をしてくれる貴重な友人に感謝しつつ、どうしてもこの話題に適切な答えを見出せない自分にイライラしてしまう。
私はいい答えが見つからないまま、彼女は消化不良のまま、二人とも話題の暗さに少し疲弊してしまっていたので、私の面接の話を少しする。
どうなるかわからないけれど、というと、でもとりあえずお疲れ様だよ〜とのんびりと話しかける友人。
以前は深夜2時頃まで営業していたこの店だったが、最近は日付が変わる頃には閉めるのだという。精算し、並んで高円寺駅へと歩き始めた。
雨だったが彼女は自転車で来ていたらしい。「小雨だから大丈夫だったよ」と言いながら喫煙所へ向かうので、「あれ?」というと、「ちょっと吸ってからでもいい?」と笑うのでついていった。
東京では喫煙所が事件現場のようになっていたらしい。テープなどで入れないようになったり、物々しい張り紙が貼られたり。「この喫煙所も最近まで封鎖されてたよ」と可愛らしい煙草ケースから一本抜き取って彼女は言った。
高円寺駅には以前のような自由そうな人々の姿はなかった。みんな、しっかりとステイホームしているのかもしれない。高円寺駅に来ると、いろんな友人から死ぬほど聞かされた「向井秀徳が高円寺駅で弾き語りしているのを見た」という話を思い出す。目撃証言と証拠が多すぎて、もはやUMAのように思えてくる。
先ほどまでいた店では見せなかった辛そうな彼女に、もう少し恋愛の話を振ってみると、ポツポツと話し始めてくれた。恋愛の難しいところが詰まっている話で、聞いているこちらも苦しい気持ちになった。
終電には間に合った。人身事故があったようで、終電が早まったらしいが、代々木上原には帰ることができそうだった。
終電の人混みと、雨の後の湿気と、少しだけしか飲んでいないはずのアルコールで気持ちが悪い。ゲストハウスに帰ったら、すぐにシャワーを浴びて寝ようと思う。
競争のように服を脱いで、シャワーを浴びる。深夜なのですべての動作をスローモーションのようにして済ませる。
ドライヤーで髪を乾かしながら、暇つぶしに「東京に来ています」とInstagramでストーリーをあげた。