留学中に聴いていた音楽たち
本当に夢見が悪い。父親譲りの夢見の悪さである(父親は毎日のように寝言で怒っているか怯えている)。
夢見が悪い上に、きちんと正確に夢の内容を覚えているものだから、
寝起きはとても気分が悪い。
自分が覚えている中で一番古い夢は、5歳頃に見たもので、
なんだか怪しいテントの周りに黒猫のスーツを着た女性がぐるっと集まっていて、
怪しい集会を開いている様子がアニメのように流れていた。
当時の夢は現実離れしたタッチで描かれていて、「ポピーザぱフォーマー」のような雰囲気だった。
とにかく、小さい頃から夢見が悪い。
夢に関していえば、留学中にストレスがマックスだった頃、毎日砂漠の夢を見ていた。
ザーザーと砂埃が舞っている黄土色の画面に顔を突っ込んだように、目の前が霞んだ夢ばかり見続けた。
原因はストレス以外にもいろいろありそうだが、
留学中にずっとceroのYellow Magusを聴いていたというのもありそうだ。
当時19歳だったので、だいたい3年前くらいの話である。
留学中に聴いていた音楽はずっと覚えているもので、当時何を考えながら聴いていたかもぼんやりと思い出せる。
留学前半に聴いていたもの
フィンランドに行っていた。
成田からヘルシンキまで飛び、トゥルクという西側(スウェーデン寄り)の街に向かった。
この頃はceroブームが来ていたのかわからないが、なぜかceroばかり聴いていた記憶がある。
フィンランドは予想以上に寂しかった。
石川啄木が私の出身釧路で詠んだ歌
「さいはての駅に下り立ち雪あかり さびしき町に あゆみ入りにき」
にもあるが、釧路ほど寂しい街もなかろうと思っていたが、なんと遠く離れた北欧にあった。
トゥルクと釧路には街の構造が似ている部分があった。
あまり駅前は混んでおらず、一方で大きな川を隔てた向こうに街の中心がある。
鬱々とした雰囲気の街でOrphansを聴くと、予想以上の寂しさがあった。
しかし、ホームシックになるわけにはいかない。
フィンランドに着いた頃、夏は新しい生活に馴染むのに忙しかった。
音楽なぞゆっくり聴いている暇がなかったのか、あまり記憶はない。
しかし、この後すぐ人間関係のトラブルでひどいストレスを感じるようになり、不眠が続く。
不眠が続けば悪い夢を見て、毎夜黄色い砂漠でぼーっとする日々が続いた。
当時付き合っていた男の子が丸の内サディスティックのカバーで学校祭に出るというので、なんとなく丸の内サディスティックも聴いていた(記憶がある)。
人間関係でゴタついていた相手にtofubeatsのPOSITIVE feat. Dream Amiを聴かせたら、「趣味が悪い、何がいいのかわからない」と言われたのも思い出した。
そういえば長く短い祭もこの年だったか。なんだか椎名林檎ばかり聴いているような気がする。
Gigandectの、たぶんこの曲だったんじゃないかと思うのだが、何か可愛い曲も聴いていたような気がする。だんだん思い出してきた。
白夜を抜けてフィンランドの短い夏が終わっていく。
新しい音楽を聴いて酒を飲まなければやっていられなかった。
留学後半に聴いていたもの
留学して何ヶ月か経ち、紆余曲折あり、留学の肝である調査をフィンランドだけで行うことを諦める。
留学初期からほとんど大学には通っていなかったが、11月に学校を休んでフィンランドを出国して、スウェーデンからデンマークまで渡ることにした。
早朝、トゥルクの港からタリンク&シリヤラインに乗り、
10時間ほどかけてストックホルムに渡ろうとする。
お金がないのでキャビンは借りずにロビーやカフェで眠ったり本を読んだりして、なんとかストックホルムに着いた。
スウェーデンの工業の歴史を知りたかったが、なんと工業資料館は冬季のため休館だという。なんということだろうかと思った。
ストックホルムから国際鉄道でデンマークに渡った。
コペンハーゲンからさらにカルンボーという街に渡ろうとする。
学生料金を支払ったが、学生証の他に何らかの証明書が必要で、駅員に怒られる。
サムソ島という孤島に渡り、5日間調査を行った。
台風が来てしまったので、丸2日外に出られなかったが。
11月に来てしまったが、本来は夏が素敵なリゾート地である。
デンマークでは、この年の11月にアンジュルムを卒業した福田花音さんのソロ曲、わたしを聴いていた記憶がある。
作詞を福田花音さんご自身が手がけているのだが、「まっさらなわたしだとしても、好きになるって言って欲しい。」という卒業ソングにありがちなオタクへの感謝や思い出を振り返る内容とは方向性の違う歌詞が素晴らしい。
明日からはすでにアイドルではない福田花音さんをどれだけオタクが愛せるか、今までに愛してきたかを問われる、次世代の福田さんらしい卒業ソングである。
KOTOのおとこのこちゃんも聴いていた気がする。
フィンランドにいた頃は毎日KOTOを聴いていた気がする。
KOTOはソロアイドルで、持ち前のダンススキルとピコピコサウンドに映える甘い声が特徴的である。
この頃は同世代の女性アイドルの曲を聴きながら頑張っていた。
この人たちが曲を歌って踊ってくれなかったら、ずっと辛かったと思う。
帰国したらこの人たちに会いに行こうと思いながら日々を過ごしていた。
本当に女性アイドルは素晴らしいなと思う。
調査を終えた開放感から、「怪盗セイント・テール」を見始めてしまう。
女優の松雪泰子が歌うオープニング、時を越えて。
-----
コペンハーゲンに戻って、デンマークの建築物や美術館を巡る。
もう解散してしまったEspeciaのWe are Especia 〜泣きながらダンシング〜。
これもコペンハーゲンを散歩しているときに聴いていた記憶がある。
作詞作曲はあの若旦那である。
「夏がやってくる前にキレイになる 夏がやってくると信じている」という歌詞が甘々なアイドルじゃないEspeciaっぽくて好きです。
ミッドナイトConfusionは名曲。
-----
デンマーク滞在中に、パリでのテロが起きた。
デンマークの街が厳戒態勢になっているのを横目に、ストックホルムへ戻る。
帰りの国際鉄道では、行きには実施されていなかったパスポートチェックが行われていた。
学生ビザを持ち歩く習慣がないので忘れていたらどうしようとビビっていたが、持ち合わせていてよかった。
木村恵子という人はあまり有名ではないシンガーソングライターだけれど、
このSTYLEというアルバムの上品な歌声と少女漫画みたいな歌詞が好きだ。
このアルバムの中の、電話しないでという曲をひたすら聴きまくっていた。
たぶんこの人で一番有名なのは、資生堂のCMでも使われた体重計とアンブレラだと思う。
こちらはSTYLEの雰囲気とは打って変わって明るい曲調である。
ストックホルムに着く。駅前のゴミ箱の周辺に、怖そうなお兄さんが複数人立っている。
テロは怖い。
経験しなかったが、最近では私が住んでいたトゥルクで人が刺される事件が起きた。
同じように、帰りはストックホルムからトゥルクへ帰る。
行きよりもハイになっているので、勢いでキャビンを予約してぐっすり寝ることができた。
フィンランドはデンマークよりも暗く寒い。毎日天気は冴えない。
寮に帰ると、同じ寮に居る友人はしきりに「国へ帰りたい」と口にしはじめていた。
-----
フィンランドで聴いていた曲は今も好きなものばかりだけど、
今よりももっと生き残るために聴いていたという感覚が強い。
物理的にはとても満たされていた留学だったけれど、
精神的に毎日誰かを呪わないとやっていけなかったようなことを思い出させるプレイリストだ。
たぶん帰りの飛行機の中で聴いていたのはこの曲だったような気がする。
あとは大貫妙子の都会。
どんな風に帰国したのか全く覚えていない。
精神的に追い詰められていた時期を思い出すのは辛いことだが、
辛いときに聴いていた曲のプレイリストは面白い。
いつまでも健康で生き抜かねばならないと思う。