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先日、4歳の娘がくそダサイ靴を買った。

履いている靴がサイズアウトしかかっていたため、
4歳の娘と靴屋に向かった。

そこそこいいブランドを置いている店をチョイスしたはずなのに、くそダサい靴を買った。



3歳になるかならないかあたりから、
私のセレクトする服装に、いちゃもんをつけだした。

理由はいつも、

「これ好きちゃうねん。」

最初からそうのときもあれば、途中からそうなることもある。
一度も着てもらえずお蔵入りになる服も数知れず。
ただでさえ時間のない朝に大モメするのは
決まって服装のことである。

その靴は、大きな宝石が付いていて、
サイドにオーガンジーのタックの入ったフリルも付いている。
何やら全体にレースやらラメが入っていて、
ボディは絶妙に淡いパステルカラー。
成分のわからぬ艶もある。

正直、全くわたしの好みではない。



ぐるっと靴屋を一周して、この靴の前でピタッと動かなくなった。

「これ欲しいん」

4歳の娘はボキャブラリーもぐっと増えてややこしい。
親にもはや選択の余地はなく、
靴を一足買うというタスクをこなすためには、
もうこれを買うしかないのである。



私が小学生の頃、母と服を買いに行くといったら、
近くのダイエーだった。
しかも中に入ってる専門店でもなく、
普通の衣料品売り場の服である。
母に何か言われたわけでもないのに、
どこか子供なりに遠慮して、
お手頃な値段のものを選んで買ってもらった。

当時流行っていたネオンカラーのスカートにスパッツを合わせる奇抜なファッションに憧れていた。
でもダイエーにはそんなものは売っていなかった。

それでもお気に入りの服はいくつかあって、
母もそれをなんとなくわかってくれていた。
お気に入りの服を着たその日の夜に
洗面所で手洗いしてくれていた姿を
なんとなく覚えている。
そのおかげで思い出の静止画はお気に入りの服ばかりである。

正直あまり気分が上がらない服がまちがいなくあったはずだ。
なのに明日の服をタンスから選りすぐるワクワク感にしろ、お気に入りの服で登校するときの高揚感は忘れはしない。
わたしにとって、その時着ていた服は大切な思い出と密接に関わっているように思う。


自分の稼いだお金で好き勝手に服を買えるようになった二十代の頃は、
なかば自転車操業状態で服を買い漁っていた。
年がら年中、服のことばかり考えていたと言っても過言ではない。

好きが高じて、大学生の頃から服屋で働きはじめ、そのまま就活をすることもなく、
卒業と同時にお店を一つまかされた。
華やかな職業とは裏腹に、
体育会系で、重労働だった。
レジのお金が合わず深夜になることもあれば、
開店前の棚卸し作業のため、始発で出勤することもしばしばであった。
朝が苦手なわたしには棚卸しが一番キツかった。

だけど、
大好きなお洋服を全身にまとって、
ピンヒールをカツカツ鳴らし、
また、そのリズムと交互に外巻きの髪をくわんくわんと揺らして、
まだ夜明けに近い、
今日の日になりたての街を歩けば、
みんなわたしを見て!といわんばかりの
自意識過剰に思われるんであろうけれど、
実際はむしろその逆で、
もう誰の目も気にしなくてもいいと思える
解放感を身体全身で感じ、
最高に高ぶる感情が得られたその感覚を
未だに鮮明に思い出せる。

やはり、わたしの思い出にはお洋服がついて回る。


娘がわたしと同じとは決してそうは思わないけれど、
その靴を履いて、自宅マンションの廊下をルンルンと保育所に向かう姿が自分と重なった。

そのくそダサい靴の宝石が、
朝の光でキラキラと廊下に反射して嘘みたいに美しくて、ディスった自分を恥じた。

直球で好き嫌いをはっきり言える娘は、
ただのわがままという類なんだろうけれど、
自分ができなかったことなのでちょっぴり羨ましい。

そして、この何でもない毎日が、この靴と共に、娘の思い出として切り取られようもんなら、
もうそれで大満足である。