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お母さんは子供になめられていいし。(子どもにキレて反省しちゃうけど)

「あんたね、ちゃんと叱んなさい。子どもになめられたらダメよ」

これはまだ離乳もしていない我が子を抱いているときに母から言われた言葉です。

……なめられる。こんな小さな子に。私が?
それからも会うと何度か「なめられないようにちゃんと叱って」と言われ、しばらく会わないようにしていたこともありました。

私の母は、ずっと私になめられないようにと私をみていたんだなあ。と、私への子育てについて手の内を見せられた寂しさを感じました。

我が子が自分の手に追えなくならないように。
我が子が道を踏み外してしまうことの無いように。
我が子が不幸になることないように。

母の愛の形は間違ってはいなかっただろうに、どうして私は寂しいのだろうと思う時、子どもである私を信用してくれてはいなかったのだろうなと思いました。

子どものああしたいこうしたいを聞いてやっていては、子どもはろくな大人になりませんよ、社会の厳しさや勝手はいけないということは一昔前の育児スタイルとしては当然なのでしょう。
でもそれって親都合なんですよね。親が省エネなの。

そういえば母親はその後、私の産んだ子がそこそこ大きくなってから「親が子育てで楽したらダメよ」って言ってたなあ。(YouTube見せてるって話した時とか。)なんなんだろうなあ……。

親子の逃れられない近さ

あと、「お母さんにありがとうって伝えよう!」「母の日に似顔絵を描いて持ってきてね!お店に飾ります!」「お母さんってすごい!我が家のエピソード特集!」みたいなの、多くないですか。

世の中の……母の上っ面を褒めそやしていく感じに、子どもってストレートに巻き込まれるんですよね。

子どもが母の苦労とか想いなんて分かるわけないのです!
そして、それを分からせようとする態度ってむしろ、いわゆる毒親的な態度ですよね。
母業ってあくまで裏方さんで、それを子どもに理解させるのはとても無理な話なのでしょう。

それなのに学校やテレビなど、世の中の【お母さんチヤホヤキャンペーン】で、子どもはお母さんを大事にしているような気になれてしまう。
「お母さん!いつもありがとう!」でなんだかいろいろなものをラッピングしてしまって、お互いにある醜い感情を見なくてよくなっちゃう。

本来の親子関係ってもっとねちっこくてドロドロで好戦的で切なくて。刺激が山盛りの関係なんだと思うのです。
そんなにたびたび、ありがとうありがとう!ウチのお母さんっていいです仲良しです楽しいです感謝してます!なんて、言わせたらダメなんですよね。

そしてこちら側、お母さんだってそんな上っ面の「子どもはお母さんを愛してるぞ!いつでも仲良くするんだ!」みたいなイメージにダマされちゃダメなんですよね。
オムツのおしっこが水色じゃない!っていうのとおんなじくらいラッピングされた幻なのです。

生意気な我が子にキレて反省してから

なんでこんなことを長々書いているかというと、子どもの勉強を見ていてぐずっていたのを叱りつけてしまったからという反省からです。
叱りつけてしまったというか、感情的にキレてしまった〜!
親子って距離が近くて、分かっていても、分かっているはずなのに感情的になってしまいますね。重ねて反省。

私以外のお勉強みていただく方に対して、なまいきにぐずっていたらそれは叱らないといけないと思います。それは母親として。
ただ、母親に甘えている様子って大事な成長過程なんです。よね。(分かってるはずなのに!)

やるせなさ、もどかしさ、悔しさの表現方法ってすごく難しいですよね。
これを適切にアウトプットできるかどうかって大人になっても難しい。
母親にそうしたものを出せることってすごく大事な成長の道のりなんだろうなと感じます。感情的にならずに、正しい表現方法を教えること……大事だ!とても難しい!!

お母さんへ。
私、これからも子どもに生意気なことを言われる【なめられたお母さん】になります。できるだけ、やりたいようにやらせて、嫌なこと言われてケンカしたりしながら育てます。

そういえば私は口答えしたことなかったね。それでもずっと、「アンタは私のいうこと聞かないで、なんでも勝手にやって、知らないからね!」と言われ続けた子どもでした。子育てって難しいね。がんばるよ。


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