日溜まり
私の家の屋根は青かった。
夜中の静かな海よりも深く、嵐の次の日の空よりも鮮やかで、山奥の誰も知らない小さな池よりも澄んでいた。私は何かしら青を見るたび、家の青のほうが綺麗だ、と思うのだ。
あの青は、今はない。
雨風の轟音で自分の声さえも聞こえないほどの夜、私は家にいなかった。今思えば、それで良かったのかも知れない。あの綺麗な青色がくすんだ灰色に混じって吹き飛ばされてゆくのを、見ずに済んだのだから。
決まって毎日することなど、せいぜい食べることと寝ることくらいで、あとはその日によってまちまちだ。今日はじっとしていようと思ったら家から顔だけ出して、青い屋根と空を見ている。家から出ずにいると、ご飯を食べることはほとんどできなかった。それでもいいくらい、私は青が好きだった。私の家の青は、この世で最も美しいものだと知っていたから。
私の家には、たまに知り合いやら、友人やらが来る。何か用事があるわけではなく、その時によって寝たり、喋ったり、遊んだりする。そうしてあれが良かった、これは良くない、などと話していると、私の口は自然と屋根の青の話をしだす。自分でも何度話したか覚えていない。その度にまたその話か、という顔をされるけど、それでもやめられないものはやめられない。
片耳の欠けたあの子も、面白そうなものを見つけたら突っ込んでいく癖が治らないのだから。
まあでも、それよりも、だ。
問題は私の屋根の青が、嵐の次の日の空よりも、夜中の静かな海よりも、山奥の誰も知らない小さな池よりも、時折水たまりに映る私の目よりも美しいあの青が、飛んで、落ちて、そこら中にバラバラと散らばっていることについてだ。
何年かに一度はこうなるとは知っていても、悲しいものは悲しい。私にとってはこの青が、今までに見たどんなものよりも美しいのだから。
また来年、それまでどこに行こうか。そう考えながら、散らばった紫陽花を踏んだ。
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