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ヨルシカの世界「曲のつながり」

 ヨルシカの音楽は、描かれる世界観が一貫している。
まずこのことをご存知でしょうか。


 もしヨルシカ作品の中で、お気に入りの曲があるという人は、その楽曲が収録されているアルバムもチェックしてみてほしいんです。なぜならヨルシカは、アルバムごとにコンセプトが作られているため、必ず何らかの共通点が見つかるからです。

 アルバムの中で対にっている曲もあれば、アルバム間で対になっている曲もあります。一部を紹介しますと、1stアルバム『夏草が邪魔をする』に収録されている『言って』と『雲と幽霊』。

 『言って』は、何も言わず先に逝ってしまった彼に対して、どうして何も言わずに逝ってしまうの、ちゃんと言ってよ!という強い想いが込められた、何とも切ない曲です。
 この曲の歌詞の中で、

あのね、空が青いのって どうやって伝えればいいんだろうね
夜の雲が高いのって どうすれば君もわかるんだろう

『言って』

と誰か相手に問いかける場面があります。
 この曲だけではただ独り言のように自問自答しているようにも聞こえるのですが。一旦、次の曲を見てみましょう。

 次に『雲と幽霊』という曲。
 この曲は幽霊になった“僕”が“君”に会いにいく様子を歌った曲。
幽霊視点という不思議な曲になっているのですが、この幽霊の正体こそ『言って』で先に逝ってしまった彼になります。
 そして曲の中で、以下の部分を聴くとすぐにあることに気付くと思います。

君と座ってバス停見上げた空が青いことしかわからずに
雲が遠いね ねぇ 夜の雲が高いこと本当不思議だよ
だからさ、もういいんだよ

『雲と幽霊』

 そう、実は『言って』の中で問いかけていた内容は、彼に伝わっていたのです。空が青いこと、夜の雲が高いこと、君が伝えたかったことは全部伝わっているから、だからもういいんだよ。
 そんな彼女には聞こえないメッセージが隠されている、何とも切ないやり取りが、この2曲間で行われているのです。

 このように『言って』の返答となる曲が、『雲と幽霊』であって、対として描かれていました。


 この他にも『だから僕は音楽を辞めた』と『エルマ』もアルバムとして対になっています。『だから僕は音楽を辞めた』は、エイミーという少年が残した詩を歌にしたアルバム。『エルマ』は、そのエイミーの詩を元に模倣して作った曲を収めたアルバムとなっています。


 そのため、『八月、某、月明かり』と『夕凪、某、花惑い』や、『藍二乗』と『憂一乗』のように、タイトルを真似して書かれたものがあります。

 また、エイミーが『夜紛い』の中で、“君に一つでいい ただ穴を開けたい”と謳われると、それに対しにエルマは『心に穴が空いた』という曲で応えています。

 このような例は挙げ出したら止まらないので、他は雑多にいくつか紹介しておきます。

『雨とカプチーノ』⇔『詩書きとコーヒー』
2人の出会いは、雨の中でコーヒーを飲みながら詩を書いていたエイミーに話しかけたことによる。つまり詩書きとはエイミーのこと。

『踊ろうぜ』⇔『神様のダンス』
エルマにとってエイミーは神様のようなもの。その人が踊ろうぜと誘ったのなら、それは神様のダンス。

『六月は雨上がりの街を書く』⇔『雨晴るる』
雨上がりの街を書く、と言ったのにも関わらず書かなかったので、エルマが代わりに書いた。

『パレード』⇔『声』
『パレード』で歌われるものとは、つまり声のこと。 


 特に、この2つの『だから僕は音楽を辞めた』と『エルマ』の2つのアルバムは、密接に繋がりが見えます。エイミーが書いた詩を模倣しながら、エイミーの辿り着いた答えに近づきたいエルマ。この2人によって創られたアルバムだと分かれば、繋がりが強い理由は明白ですね。


 いかがだったでしょうか。
 ヨルシカの世界はこのようにして曲同士、アルバム同士が繋がっています。1つの曲を聴いただけでは、分からない世界が、その奥に潜んでいます。もしヨルシカの曲でお気に入りの曲があったら、一旦アルバムを聴いてみて、その世界観の深さを味わってみてほしいです。

 ではまた次のヨルシカの世界のお話をお楽しみに。


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