見出し画像

【海のナンジャラホイ-36】海に潜って聞こえる音は?

海に潜って聞こえる音は?

沈黙の世界?

私が中学生から高校生だった頃なので、1970年代の半ば過ぎのことです。フランスのジャック・クストーがカリプソ号で世界の海を巡った時の調査映像や関連の書籍が広く世に出回りました。私の、海やダイビングに対する憧れは、この頃に育まれたのだろうと思います。自宅の本棚に「クストー・海洋探検シリーズ」という6冊くらいのシリーズ本を並べて、大切にしていました。そのクストーのドキュメンタリー映画に「沈黙の世界」というのがあったので、私は何となく、海の中は音の無い静寂に支配された世界なのだと思っていました。
海の世界に憧れて、私はその頃から真鶴などの海に出かけてスノーケリングを始めました。そして気付いたのです。海岸の海の中は静寂の世界ではありませんでした。海中でじっと耳をすますと、いろいろな音が聞こえてきたのです。波がざわめく音の他に、絶えず細かくプチプチと音がします。海藻から出てくる酸素の泡の音でしょうか。ときどきパチンと破裂音も聞こえます。テッポウエビが威嚇のために発するはさみの音のようです。遠くからパタパタと聞こえてくるのは、沖を行くボートのスクリュー音でしょう。海中は、なかなか賑やかな世界だったのです。

アイコンタクトとジェスチャーと

スキューバダイビングを行うようになって、海中で他のダイバーとコミュニケーションを行う時に、いちばん厄介だったのは、言葉が使えないことです。聞くことはできても、話すことができないのは困ります。実は、無理やり海中で発話する方法もあります。空気があれば声を使えるので、両手に空気を溜めて、その空気溜まりの中で喋ればけっこう相手に聞こえるのです。でも、話をするたびにレギュレーターのマウスピースを外すのは危険だし、両手が塞がるのも厄介です。そもそも気心の知れた相手と潜る時は、アイコンタクトとジェスチャーで大抵の意思が伝わります。調査などの時に、互いに少し離れて潜るときは、タンクをナイフや棒で叩いて音を出したり、ブザーを鳴らしたりして、必要な時に相手の注意を引くのです。海中は音が伝わりやすいことが、こんな時にはとても便利です。

海底から響く音

潜っている時に、一番気を付けなければならない音はスクリュー音です。自分たちの乗ってきたボートは近くにいるはずなので、もちろん要注意ですが、他のボートがダイバーに気づかずに通りかかる可能性もあります。上の方から聞こえてくる接近するスクリュー音があるときは、その発生源に気をつけて、海面から十分に離れて潜る必要があります。
そして、もう一つ、気をつけなければならない大きな音があります。それは地震で発生する音です。私たちは2011年の震災後3ヶ月から、モニタリング調査のために毎月数回の潜水を行なっていました。その頃は余震も多い時期でした。潜水していると、唸るような響きが海底の方から湧き上がってきます。ボートのスクリュー音は上の方からやってくるのですが、地震の鳴動は海底から盛り上がるように伝わってきます。最初に経験したときは、それまで感じたことのない体全体が震えるような海中の唸りに、本当にびっくりしました。海中地震が発生したら、どんな作業を行なっていてもすぐに中断して、海面まで浮上しなければなりません。これは、ダイバーの約束事です。海面で互いの安否と地震の発生状況を確認して、津波発生の可能性があるときには、すぐに退避しなければならないからです。

鼻歌歌えば怖くない

今年で東北での震災から12年が経ちました。これまで、私は宮城沿岸の同じ海域で潜って潜水調査を続けてきました。思い返してみると、やはり震災後すぐの海の中は、平常時とはかなり様子が違っていたのです。とくに、沖合にはいつも濁った海水のゾーンがあって、海岸の満ち引きがあってもそのゾーンはなかなか無くならなかったのです。私たちは沿岸の調査を行うときに、岸から沖にかけてラインを伸ばして、その調査線上で計測を行なってゆきます(第10回参照)。浅い場所では明るくて容易に計測ができるのに、沖の方に向かってゆくといきなり濁った水塊に突っ込んで、その中は、晴れた日の昼間でも薄暗いのです。震災直後の調査では、沖合に行くほど増す恐怖感がありました。そのうえ真っ暗になるのです。暗くて見通しのきかない海中で長い時間作業を行うとき、なんだか言いようのない恐怖を感じました。そんな時は聴覚も鋭敏になって、空耳のようなものも聞こえる気がしてくるのです。そんな状況に打ち勝つために、私は歌を歌っていました。口を開けずに鼻歌のような感じで、鼻と喉を鳴らして歌っていたのです。手には物差しやノギスや水中ノートを持って、歌いながら計測を行っていたわけです。リズムのはっきりした曲が歌いやすくて、「ミッキーマウス・マーチ」やジャズの「モーニン」などがレパートリー(?)でした。今考えるとだいぶ滑稽ですが、その頃は必死だったのです。

人新世の海中音環境

実は沿岸の生物には、海中で音を利用しているものが多いようです。クジラやイルカやアザラシなどの哺乳類は餌の探査や相互の交信に音を使っていることが知られていますが、ほかにも魚類や甲殻類などにもコミュニケーションに音を使うものがあるようです。人間の海洋進出とともに、人間の活動によって発生する音が、海の音環境を撹乱するようになったと言われています。船のエンジン音、貨物の積み下ろしの音、沿岸の建設工事の音、漁船や調査船が使う魚探などのソナー音などが人間活動によって発生する音です。これらが、音を使った生物の活動を大きく妨げるようになったのが、人新世(人間活動が顕在化してきた地質年代)の海洋の音環境だと言われています。私たちの活動が思わぬところで海洋生物たちの障りになっている可能性があるわけです。海の中の音環境が、海洋生物にとって優しいものであるように、私たちは気を配る必要がありますね。

○o。○o。 このブログを書いている人
青木優和(あおきまさかず)
東北大学農学部海洋生物科学コース所属。海に潜って調査を行う研究者。

いいなと思ったら応援しよう!