
表皮余談
炎環賞自体は該当作なしだった。本作品「表皮」は選考委員全員の票を集め最高点を獲得したが本賞受賞には至らなかったのだ。しかし激しい議論が起きたことが選評の誌面からも伝わり、賛否関わらず本気で読んでいただいたことはありがたかった。思えば今年1月に炎環賞獲得を目的にした研究会を結成したことが大きかった。メンバー五人の中から受賞者を出そうという気持ちで五分の一会と名付けた。この中で作品発表と評を繰り返したのだが、私はいつまでも調子が上がらず、作品も評も滞っていた。着々と完成度を上げていくメンバーの作品に焦りを感じていた。このままでは到底敵わないと思い、一から練り直したのが本作である。五分の一会の存在がなければこの作品も結果もなかったと思う。メンバーそれぞれ高得点を獲得したことも嬉しかった。
しかし、炎鑑賞自体は該当作なし、そこに届かなかったことは悔しく、今後の課題である。
「表皮」は現代的な感性で、これまでの俳句にはない世界観を拓きました。一方で俳句表現上の瑕疵とも言える技術的な傷が目立ったことも否めません。
この「傷」は、「表皮」が表現しようとする世界観を成立させるためには必要なものと私は理解しましたが、受賞に至るためには少なからず障壁となりました。
結果から見れば「惜しい」としか言いようがありません。しかし、今回のこの「表皮」という作品への評価と、その作者に与えられた課題は見た目以上に深く、重いものです。なぜなら、ここでこの作品の受賞を阻んだものは、例えば「てにをは」や文法などの技術的な問題のみならず、もっと不可解で理不尽で計算不可能なものだからです。
つまり、「表現上の傷」が解消されたとしても、この作品が受賞に至るためにはさらに大きな力が作品に必要だと思われるのです。
(炎環2020年11月号 選考委員田島健一評抜粋)
このジレンマを抱えているのが確かに私の俳句である。正面から向き合い、越えるべき壁だと思っている。