見出し画像

少しだけ踏み込んで考える日常 #2 失敗から学ぶこと

少し前に顔を怪我しました。

最近は、竹炭用の竹を取りに山に竹を切りに行きます。チェーンソーと枝打ち用ののこぎりで切った竹を、軽トラックに載せて炭焼き窯のある作業場まで運びます。その時に負った怪我です。
竹は20mほどにもなり、中が空洞とはいえども相当な重量になります。まっすぐ生えている竹の根本から、地上60cm程の幹に対して斜めにチェーンソーで切り込みを入れ、今度は反対側から真横にカットして竹を切ります。そうすればたいていは斜めに切込みを入れた方向に竹は倒れてくれます。
竹が完全に切断されそうになると、ミシミシとゆっくりずれて横に倒れていき、隣の竹に寄り添うように斜めに傾いて止まります。切断された竹をガツガツと蹴ってストンと真下に落とし、今度は竹の根元を両手で包み込むようにして持ち、腰を入れて持ち上げてからゆっくりと引きずり、ゆっくりと斜めに倒していきます。
竹の先端を地面付近まで倒しましたが、先端はどうやら何かに引っかかっているらしく、1mほど浮いた状態で止まりました。そのまま何とか引きずっていき、どうにか切断できるなというくらいにまで竹を横に倒し終えたところ、根元部分が敷地をはみだすギリギリのところまで来てしまいました。敷地の外は市道になります。この時、そのまま端から切断していけばよかったのですが、切断しにくかったために竹の真ん中辺りから切断することに、、。
実はこの時、竹は吊り橋状に両端の方の障害物に引っかかるようにしてテンションが掛かっていて、そして、その竹の真ん中のところをチェーンソーで真っ二つにする形で切断した瞬間にバイーンと竹が跳ね上がってしまいました。その反動で顔に竹が降ってきてしまい、それを左手で払おうとしましたが、左手一本では到底支えきれず、顔に太い竹が直撃してしまいました。

ドゴッと顎のあたりをヒットした瞬間、激痛が走ります。これはまずい。
右手に持ったチェーンソーがまだ回転していて、すぐに指を放してゆっくり地面に置きます。くらっとした瞬間、唇の感覚がマヒして、血の味が口にぬるぬると拡がり、『これは傷が深いな』とだんだんと自覚してきました。
今思えば、夕方なのに蒸し暑く、汗だくで、少しふらついてもいました。長袖のシャツを恐る恐る唇に当ててみると、湿った白シャツが真っ赤になります。唇がびりびりして全身の血の気がさーっと引いていく感覚に襲われ、その時、右手の親指の痛みに気づきました。『指が動いていない』。

薄暗くなってきた辺りをよく見て、意外にも冷静に状況を考えていました。頭は冷静でも手足はジーンと震えています。
先ず、蚊取り線香が地面でくすぶっていたので踏みつぶして消しました。そして、チェーンソーのスイッチを切って、唇の止血をするために車に戻ります。車のドアを開けようとしたら、右手の親指がじんじんしていてドアノブが開けづらい。他の指でゆっくりドアノブを引き、車の中を覗き込んでティッシュを探して止血をしました。
その時、ミラーを覗きたくなかったのですが、ミラーには真っ赤に染まったティッシュと、なまなましく出血した削り傷が痛々しく映っていました。
『こりゃやっちまったなぁ』と思いつつも、流れる汗と血をティッシュで押さえ、だんだんと体のあちこちから痛みの信号を感知していきました。心臓の音が良く聞こえる。うっすら涙を浮かべてゆっくりと運転席の座席に座り、何が起きたのかを反芻しました。

あれから2週間。
唇は思ったより軽症で、ほとんど傷跡は残っていません。ただ、親指の突き指はまだ痛いです。あと左下の奥歯が少し欠けていました。

今になって思うと、これは失敗ではなかった。怪我の状況や、痛みの状況、傷の後遺症や、顔を見た他者の反応。みんな、『そのくらいで済んでよかったよ』と言ってくれました。
その通りのことです。
結局のところ、人は『本質的なことは失敗からしか学べない』ものもあるということ。
本当にその通りで、大事なことは自分が痛い目に遭ってその痛さに気づくことでしか学べない、ものもあるということです。もちろんそれが学びのすべてではありません。
まあ、取り返せる失敗は取り返せばいいし、教訓にしていけるものとして学べばよいのです。

学びには色々なパターンがあります。

・反芻して繰り返して学ぶ学び
・貴重な体験をして得た学び
・楽な学び
・意味のない学び
etc.

色々です。中でも今回のような『痛みを伴う学び』というのは、痛みがあるだけに大変貴重なものです。それをせずともよければそれでいいのですが、おそらくそんな人生なんてのは、無いのでしょうね。

2024年 9月18日 加瀬伊助

#2 失敗から学ぶこと  了


よろしければサポートお願いします! いただいたサポートはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます(^^ゞ