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勉強を続けよう

「我々がものを考えるとは何をすることか。最も簡単な例をとると、コンピュータと同じ作業をすること。コンピュータには記憶装置があり、そこにデータが入っており、これによって答えが出る。(中略)出せる答えは蓄積された記憶の量に限定されるということである。こう考えると記憶の量を増やせば増やすほど、その人間の発想の総量は増えていく。これが人間が生き、そして自由な発想をする一番の基本になる。」山本七平、日本人の人生観より

 浪人時代にお世話になっていた大学受験予備校に合格報告に行ったときに校長先生に言われた一言。
「お前良く受かったなぁ~。勉強を続けろよ!」
「はい。」と、返事をしたものの、勉強=受験という考えだったのでピンとこなかった。その後も、特に目標も定まらないまま大学から大学院に行って製造関係の会社に就職。
日本の会社員は勉強しないって言わるけど、まさにその典型だったなぁ~。遅くまで会社に残って仕事して、飲みニケーションとゴルフやって。そうやって会社という社会にどっぷりと浸かることが社会人なんだって思ってた。
でも一方で、どんどん自分が空っぽになっていく感じがあった。そんな時ふと思い出したのが、予備校の校長先生の言葉。そうだ、絶対的にインプットが足りていなかったんだ。これに気付くのに何年かかったんだろう、俺?
 自分の記憶装置にいろいろとインプットしておくと、いろいろな場面で不思議なくらいいろんなことが自動的に繋がってくる。これ、とてもワクワクする瞬間。森信三さんは『人生論としての読書論』の中で、
「われわれにとって必要な読書は、
1.自身がこの二度とない人生をいかに生きるべきかという問題を中心とする読書、即ち人生論とか宗教関係の読書
2.自己の職業を中心とする読書、即ち専門的な読書
3.以上の二つを合わせたものを円心としつつ、自分の生命力を半径として、出来るだけ大きな円周を描こうとする読書、即ち広義における教養としての読書」
と、言ってるけど、予備校の校長先生が言ってた「勉強を続けろよ!」っていうのは、きっと3番目の教養としての読書のことなんだろうなぁ~。

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