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韓国映画「母とわたしの三日間」の余韻

韓国ドラマや韓国映画に、わたしは興味がなかった。だいぶ昔に「チャングム」を見ただけで、その後の「愛の不時着」も見ていないし、BTSもチャングンソクもよく知らない。

この映画を観たのは偶然で、
珍しく乗った国際線の帰りの飛行機の機内サービスで上映されていたのでなんとなく見始めた、というだけだったのだ。

なのに途中で涙が止まらなくなってしまった。
(一緒に乗っていた家族に「具合でも悪いの?」と聞かれたほど)

観てからすでに三日たつのに、まだその余韻が残ってしまってどうしようもないので、noteに記録しておこうと思う。

ストーリーはこんな感じ。(ネタバレ含む。わたしの解釈です)
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ポクチャ(母)とチンジュ(娘)は、仲良し母娘ではなかった。母子家庭だったポクチャは娘を育て上げるため、幼い娘を伯父夫婦に託して住み込みで働く道を選ぶ。(途中生活のための再婚もしていたかも。。そのへんわたしの解釈が曖昧)
少女だったチンジュはさみしく思っていた。母と会う日は待ち遠しく、一緒に暮らせないことが恨めしかった。が、ポクチャ(母)の望みは、娘チンジュが高学歴を得てしっかりした職業につき、幸せな人生を歩むこと。だからなんとしてでも学費を稼ぎたい。そのためならどんな苦労も厭わなかった。
思春期を迎え、たまにしか会えない母の熱い愛情をチンジュは素直に受け取れないことが増えていく。会うたびにたくさんの料理でもてなす母と笑顔で過ごせないときもあった。
けれどチンジュは母の願い通り大学を卒業してアメリカに留学し、UCLAで数学教授になった。

ポクチャの願いはかなったものの、その後すぐに彼女は心臓発作で急死してしまう。

・・・ポクチャが天国に召されてから3年、ポクチャに三日間地上に降りる「休暇」が与えられる。「休暇」の間、自分の姿は生きている人からは見えない。だからポクチャの姿はチンジュからは見えないし声も届かないと説明される。でもポクチャはもちろん娘チンジュの元へ行く。

ところが数学教授として活躍しているはずの娘は、なぜかポクチャの故郷で定食屋を営んでいた。ポクチャの期待していたチンジュの姿ではなかったことにポクチャは愕然とする。
チンジュは定食屋で母の作ってくれた料理を再現していた。
母と過ごした日々、母に反抗していたこと、母の死に間に合わなかったこと・・・母との思い出とたくさんの後悔がチンジュの歩みを止めてしまっていた。でも、あれほど否定していた母の料理をチンジュは再現することができていた。少女時代に母からプレゼントしてもらった筆箱もまだあった。母の言葉は娘の記憶に残っていたのだ。

ポクチャは娘に、母への思いや後悔などは置いて、幸せに暮らしてほしいと心から願う。だから自分のことはいいし、チンジュの気持ちは十分伝わっていてそれだけで自分は幸せなんだと伝えたい。そしてチンジュがやりたいと思っていたことをもう一度がんばってやってほしい、立ち止まらないでいいと伝えたい。
でも天国からの「休暇」のルールで、ポクチャは声を出したり姿を見せたりすることは一切できない。そのルールを破った場合は重いペナルティが課せられてしまう。
そのペナルティとは「母から娘の記憶を全て消す」。ポクチャの宝物であるいとおしい娘の記憶はポクチャから消えてしまう。時間が過ぎていつかチンジュが天国に召されたとき、母ポクチャに娘チンジュの記憶はない。
ポクチャにとってこれ以上のペナルティはあるだろうか、、、

悩んだ末にポクチャはチンジュの前に姿を現し声を発する道を選ぶ。自分がどれだけ辛かろうと、チンジュは前に進んでほしい。たとえ不仲が続いていたとしても母にとってかけがえのない娘であることはかわらない。料理を覚えていてくれたことで十分。
チンジュの前に笑顔で現れたポクチャ。チンジュの表情は緩み、「おかあさん、どこへいっていたの・・」とたちまち笑顔になる。
暖かな会話をかわして食事をし、ポクチャの休暇は終わる。そして天国から一緒に来た担当者の持つタブレットからポクチャにある娘の記憶がひとつづつ消えていく。ポクチャは娘の記憶を失うのだ。
でも、ポクチャは娘にメッセージを残していた。
いつか時間がたって天国にきたら、わたし(母)を探してね、わたしがもしもあなたを忘れていたとしても、きっと探し出してね・・・
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泣けるでしょ・・・
泣くしかないのよ・・・

ストーリーの細かいことを言えば、「預けずに働くことはできなかったのか」とか「なんで故郷で出ていけ運動が起こっているのか」とかわからないこともあったけど、
「娘の記憶を消す」
というのは何より重いペナルティだということはわたしにもわかる。
映画の最初のほうで、娘ポクチャがかかっている心療内科の先生が

「記憶というのは生きていくための燃料というようなもの」
「よい記憶はよい燃料になる。ハイオクのように」

というのが最後に響いてきてしまい。。。

確かに、
しんどいときに思い出すのはいいこともいやだったことも含めて大切な人の記憶だもんね。親や子供や親しい人や、ペット、大切な宝物。それがわたしを支えている。

ちょうど母の7回忌を終えたところだったことと、娘に会うために飛行機に乗っていたことが重なって、

この映画も、わたしにとって「生きていくための燃料」になったと思う。

それとタイトルだけど「母と”わたし”の三日間」なんだな、と思った。主人公は娘。「わたしと娘の三日間」でも良いような気もしたけれど、この三日間の記憶はわたし(娘)のほうに残るわけだし、これから人生を歩んでいくのは「わたし(娘)」のほうであるわけだから。

天国に帰ったあとのポクチャのことは描かれていなかった。
だけど、映画の最後に娘のチンジュはスーツケースのパッキングをしていた。想いに一区切りをつけて、前を向いているのだ。

きっと、、
遠い将来にチンジュが幸せな人生を終えて天国に来たとき、まず最初に母ポクチャを探すだろうな、と思った。
そしてポクチャを見つけてお母さん、と言ったときにポクチャはチンジュのことを覚えていない。だけどポクチャはすぐにチンジュのことが大好きになると思う。それからチンジュがポクチャとの想い出をひとつづつ話して母とむすめはまた、一緒にすごせると思う。

それから最後になるけど、もちろん、お料理がとってもおいしそうだった。甘い大根を餃子に入れるのはやってみようと思う。
あと、白いワンコかわいすぎた。

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