
2024.11.25
何かしらの共作をしたい。ひとりで作る人生から、ふたりで作る人生になれるのではないかと今からワクワクしている。きっと感覚の異なるふたりで作る物語は思考が交錯して面白いはず。
前回の日記でこう書いた。
でも、違った。
こんなものは私の勝手な期待だった。
私には「書く」ということが物語を紡ぐことと密接になりすぎているようだった。「書く」行為と、それを生業とすることには、いろんな種類があることを失念していた。
友人が「書くことを仕事にしていきたい」と話していたのを聞いて、一緒に作品作りができるのだと嬉しくなった。もとより二次創作をよくしていた子だったし、一次でも一緒に戦ってくれるのだと勘違いをしてしまった。共作なんてできたら嬉しいよなとか、未完成になっているノベルゲームを一緒に構想から作っていけたらいいなとか。そんな想像をしてしまっていた。
先日友人と話をしているときに「物語を書きたいわけじゃない」と聞いた。ショックだった。やっと仲間を見つけたんだと思ったけれど、友人とは同じ方向を見ているわけではなかった。
友人は何も悪くなくて、私が勝手に言葉の奥を都合よく解釈して勝手に期待して、勝手にショックを受けているだけなのに、またひとりかと思ってしまった。
まるで相手がいないままのワルツの練習。
ひとりよがりなステップばかり繰り返しているせいで、誰もペアを組んでくれない。初めからそんなつもりがなかった友人を無理に踊らせようとしてしまっていたようだった。
踊れば踊るほど理想は高くなっていく。私のダンスは誰かと踊るには適さないものになっていく。
指先が奏でる不揃いなステップが、キーボードの音となって部屋に響いている。