2024.09.06
弊社では月に一度、営業成績上位者の表彰式がある。各社員のモチベーションを向上させるための取り組みなのだろうが、私のようなメンタルの持ち主にとってこの時間はあまりにも惨めになるばかりでとても苦痛だ。
入社してから感じていることだが、営業マン特有の陽の気というのだろうか、芸の時間のようなものも苦しい。おもしろいの感覚や尺度が違いすぎている。簡単に言えばノリの違いなのだろうが、これをどう処理したら良いのかがわからない。
漠然とした「合わない」ではなく上手く言語化出来たら良いのだけれど。今ひとつ思うのは、模倣による下位互換でしかないということかもしれない。プロを真似、それをやって滑ることで、プロをバカにすることになっていることに気がつけないレベルのリスペクト。それでいながら「賑やかし担当」のような肩書きで立ち回る。オリジナルでやれとは言わないが、下振れがすぎるのもどうかと思う。上手くやってくれ。
やはり、日々同じことの繰り返しというものが性にあわないようで、どう考えれば前向きになるのかが分からない中で業務にあたっている。全くもって同じことは無いと人は言うだろうが、画面に向かい同じ動作の中で時折会話が変わるだけの繰り返しを同じと呼ばずして何と呼ぶのか。
描かれた指標の上を歩き進むだけ。私の意思が乗ることはない。なぞるだけ、立ち止まらないように進むだけ。
午後になって、上手く行きそうだと思った仕事が全部上手くいかなかった。わかりたいのにわからなくてどうしたらいいのかわからなくて苦しくなる。会話を怠ってきた皺寄せがここにきてやってきている。話しかけていいのかよくないのかわからない。頭の中で思ったことを言語化できない。頭の中ではしっかり文章になっていて、これを聞こうと思うのに口から出るときには文章たちが方々に遊びに出かけてしまってしまって大人しく待っていてくれた子達で伝えようとしても足りなくて曖昧になって「やっぱいいです」となってしまう。
いつ見ても忙しそうな上長に声をかけていいタイミングがわからないし、隣の席の人とはあまり話をしたことがなくて、私に話しかけられるの迷惑だろうなと思って踏み出せない。人の顔色をうかがうが故に何も出来ないままの愛想のない人間が出来上がっていく。もうころしてくれよ。こんな無能を置いておくくらいなら。
表彰式を見て感じた惨めさを一日かけて濃く、煮詰めていった。私には何ができるというのだ。
自分を愛せるように、月末の文学賞にはどうにか原稿を間に合わせたい。何も考えられないままだけど。