驕らないことは卑下じゃない
2024.11.19(日記)
無理なく、でも無理をして自分を売り込むために、直近の戦えそうな文学賞を調べた。
ここでいう戦えそうというのは「勝てそう」という意味ではなく「自分に見合う」という意味である。土俵に立つことすら難しい、身の丈に合わない舞台に挑んで勝てるわけがない。自分を驕らないこと。
そうして、自分でもどうにかできるだろうという日程で、3つの賞を挑戦する棚に飾った。正面から見て眺める時間を終えて、今は手に取って横から見たり下から見たりしているところだ。
二年前くらいに購入した「ネタ帳」がまだ使い切れていなくて情けない。小説を書くネタだったり、思考だったり、プロットだったりを書き連ねているのだが、やっと半分を超えたところだ。いかに私のギアがかかっていなかったのかというところが透けて見える。恥ずかしい。
外出する際に持ち運んでなくて、他のノートを使ってしまっていたからという理由も一応カバンの中に忍ばせてはいたが、そんなものを出すのなら何も出さない方がましである。
小説を書くために脳を明け渡していたはずのノートでなぜか漫才やコントを書き、それらを本にするという時間もあった。その「ネタ帳」だった予定はない。書くことで表現できるものならばなんでもと思っていたが想定外である。
私に書くことができるものはなんだって書きたい。そう思っていたが、全てが中途半端な私にとって、今は「何も書けていない」状況かもしれないと憂う。そんなのって生きていると呼べる?
できることを模索することで、自分をマイナスに見積もってしまうことはままある。私の性格上、それがものすごく多いような気がしている。最近は「良い」「悪い」の前に作品を完成させられるか否かというところに焦点を置くようにした。そう考えると、書き上げることはある程度できる。投げ出すということがなくなってきている。大なり小なり完成させたものは多くある。それって私の強みじゃんね。
目標とした文学賞は目先のものが12月の末に締め切りがやってくる。
一か月半程度もないが、文字数が少なかったので間に合うと思った。書くことができると思った自分を信じて向き合いたい。