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2025.01.03
三が日。
今年こそは寝正月にしないようにというのをモットーに、外出する用事を作り、化粧をし、着替え、家のドアを開ける。
年末に別途で仕事をしていたので、年明けを大掃除の時間に当てていた。
キッチンの油汚れに、ダイソーのシートが凄く良いことを昨年知って、ずっと愛用している。
すごくいい。オススメ。
これがなくなってしまったので、買いに出掛けた。
掃除は楽しい。
綺麗になっていくのが楽しい。
時間がかかるのだけが嫌だ。
作業をしている間の時間がもったいないので、ラジオを聞く。standFMやGERAを開く。
二年前からよくお笑いを見るようになって、そのままラジオをよく聞くようになった。
昔からラジオが好きで、小学生の頃も好きだった声優さんのラジオをよく聞いていた。ラジオは少しだけ閉鎖空間なような気がして、それを聞く私も共犯者になれるような、そんな気持ちになれるので好きだ。
ずっと、やりたいと持っていること。
書きたいと思っているものがある。
小説を書きたい。
書けば良い。
脚本を書きたい。
これも好きに書けば良い。
ノベルゲームを作りたい。
これが一番難しいように感じている。
文章を作って、絵を描く。
どうやって動かせば良いのかわからないままだ。
絵を書くのは好きだけれど、どうやったら見せられるものになるのかわからないし、どうやったらゲーム的な見せ方をできるのかわからない。これを学びたい。
そもそも私は何を書きたいんだろう。
側だけがあって、中身がないような欲を抱きすぎている。
掃除が好きで、ラジオが好きなのは、そんな欲を考えなくて済むからだ。
本屋が次第に苦手になっていくのは、そんな欲を叶えられずにいる私が取り残されていくような気がしてしまうからだ。
好きだった場所が嫌いになるのは、私が地団駄を踏み続けてるせいだ。
書きたい。
書きたいという欲だけがある。中身がないまま、ずっと時を浪費しているのだ。
2025年はそんな欲を無駄にしたくないのだ。
しないために書くのだ。
それが自分を肯定するための手立てだと思うから。
noteは気楽で良い。
自分の欲を吐き出せる。肯定できる。
このままで良くないが、ここからの私を表現できる。
昨日、いや、今日の明け方になるが、公開した日記に書いた通り、始業までに公開したいと思っている作品も、まだ書き上げられるのか不安な状態だ。
才能がないことはもう当然のように理解しているからこそ、繰り返すことしかできない。
掃除は、時間が結果になるからわかりやすい。
作品は、書き続けてもそれが、良いものになっていくのかわかりにくいのが怖い。
それでも、才能がなくてもできる努力を、重ねていく。
私は数で勝負するしかない。
その数を勇気と自信にすることしかできない。
これだけやったのだという証拠を作ることで、自分で自分の背中を押してやりたいのだ。
それができるのは私だけ。
私だけなのだ。
恥ずかしくて痛いことを書いている自覚はあるが、曝け出すことで、逃げ場をなくしていきたいという気持ちが強くある。
100年後に掘り出されて、情けなさを笑われてもいい。
私が私であった証拠だから。