「俺は父さんみたいにはなりたくない」と「ああ なんて素敵な日だ」の二本立て
さて、今回は浪人時代の話を絡めてバーアルバイト時代の話を
私が働いていたバーもといパブは地元のお客様に長年愛されているお店で8割のお客さんが常連さんまたリピーターさんでした
その中の一人、Aさんという方のお話をさせていただきたいと思います
ちなみに私にしかわからないけど常連のAさんは3人いました。苗字が同じなんですね、激戦区でしたね
嬉しいことにAさんと私は私が働き始めてすぐに仲良くなりました
理由は三つ
一つはAさんと私の母が高校時代クラスメイトだったこと
当時の母はアイドル的人気を誇っていたようで、Aさん含め密かに母に憧れていた男子学生は多かった様です
まあ息子の私から見ても今年55歳と言われて信じれないですねうちの母。小学生6年生の時に片想いをしていた子に言われました
「お父さんかっこよくてお母さん美人でお姉ちゃん可愛くて、どうして?」
子供とは時に残酷なものです
話を戻しまして二つ目の理由
それはAさんの息子と私が高校時代これまた同級生だったこと
特段中が良かったわけではありませんが廊下ですれ違う時に一言二言ぐらいは交わすぐらいの仲でした。私の親友とその子が仲が良かったのもあります
そして三つ目。シンプルイズベストなのですが
いーーーー人なんですよ。Aさん
私みたいな浪人して大学行ったくせにさらに半年休学して留年して地元に半年だけ逃げてくる若造にもリスペクトを持って接してくれたんです。私はすぐにAさんが大好きになりました
注文は決まって「フォアローゼズ」というバーボンウイスキーのストレートとチェイサーとしてファジーネーブルのお酒強め
なんだか可愛い注文なんですね
そして悪酔いすることもなくサッと帰る
実にお行儀の良い酒飲みです
そんなAさんが珍しくベロベロになって私にあるときこぼした話が今回主題になるんですね
Aさんも私と同じ浪人生
浪人生は相手も浪人生と分かった途端に距離が一気に縮まるもので、Aさんは浪人して良かった、あそこで努力できたことはいい経験だった、と私とよく話していました
私が浪人をどう思っているかはまた後で
Aさんの息子さんで私の同級生
彼は太鼓の達人がとっても美味かったのでドンと呼びましょうか
ドンも私と同じく大学入試に失敗してしまいまして
しかし私と違ったのは私立には受かっていたんですね
私全滅でしたから。見事に全落ちしていました
彼には目の前に選択肢があったんですね
行きたかった大学ではないけど、私立の大学に進むか。それともうまくいくかはわからない浪人の道に進むか
Aさんはドンに言ったそうです
「金のことは気にするな。俺は浪人して良かった。だからお前も苦しいかもしれないけれど、浪人して頑張ってほしい」
それに対してドンが返した言葉が今回のタイトル
「俺は父さんみたいにはなりたくない」
それを私に伝えてきたAさんの悲しそうな顔はなかなか忘れられるものではないです
だけどもだけども、ドンに何をいっているんだお前はと彼を責めることもなかなかできないと思います。あなたはどうでしょうか
私は現役時代全く勉強をしていませんでした
課題は当たり前のようにやらず予習復習なし
センター試験1週間前に友達とクイズ大会してました
そんな私でも大学に落ちた時は目の前が真っ暗になりました
人生終わったとエンディングが始まりそうでしたよ本当に
そんな私だから浪人に向けて苦しいとは分かっていたけどワクワクするつもりも少しあったんです。これ以上悪くはならないだろうと感じていました
だけど彼は違うんです
文系と理系で関わることは少なかったけど、彼がそれなりに、少なくとも私よりは真っ当に「受験生」でした
私とは比べられないぐらい悔しくて、絶望したと思います
すり減らして研ぎ澄まして、そうやって積み上げたものが「君はだめです」と行きたかった、そこでの暮らしを夢見た場所に否定される
そこから立ち上がってもう一度戦えと言われて、テンカウントを選ぶ人を、誰が責められるんでしょう
もちろんドンの言ったことは結果として父親を傷つける発言ではありました。でも浪人って、本当にきついんです
そんなこんなで私の浪人時代の話も少しさせてくださいな
話すことはキリがないから心が折れた夜を二つ、その話を
私は北九州予備校という九州で幅を利かせて関東には全くと言っていいほど影響力のない、地方国立大学みたいな立ち位置の予備校の寮に入りました
それが親が浪人を許す条件だったんですね
「悔しいんなら浪人しろ。その代わり寮に入って全力でやれ」
まず心が折れたのは3日目
初日はなんとなくワクワクが勝って寮の周りの街をぶらついてました
初めてお店のナポリタンを食べて一人カラオケにも挑戦してみたりして
ちなみにうちの寮バカみたいに厳しいことで有名でして
・門限は18時半。1秒でも遅れたら退寮
ちなみに授業が終わるのが18時過ぎ
・毎日夜最低4時間の自習、18時半が門限で19時半には自習が始まるのでその1時間で飯と風呂を済ませて残った時間が1日で唯一携帯が使える時間。自習開始時携帯は提出。朝食の際に返ってくる
・自習が終わるのが23時10分。23時半消灯
・人の部屋に入ったら退寮
・自殺者がいるので窓には鉄格子付き、また曇りガラスで2センチぐらいしか開かない
こんな感じでした
合格して寮を出ることを「脱北」と言われる寮です
そんなこんなの3日目の夜
その3日間ほとんど誰とも話さず一人で過ごし
今まで全く勉強をしてこなかった男が急に夜だけで4時間自習しろと言われたらどうなるのか。私はひたすら英単語帳の単語をノートに書き写して時間が過ぎ去るまで耐えていました
その夜に布団にくるまりながら気づいたら大粒の涙が流れていました。明日の朝になったら親にもう無理だと言おう。浪人はやめて地元に帰って、知り合いのコネでもなんでも働こう。そう決心しました
その次の日は入校式
予備校の入校式なんざそんな不名誉な式典があってたまるかと思いましたが泣いて泣いて迎えて朝は少し朝はスッキリ、だけどやっぱりもう無理なんじゃないかと思いながらイキってスーツ用の革靴をなぜか私服で履いて一人で会場に向かっていた時です。友達作る気ないですよね?この人
「上山君よね?一緒に行こうや」
人生いつだって不思議なものでもう無理だと思った時に救いがあるものなんですね。この時ももうだめだ、と思った日に初めて話しかけてくれた人がいました。後に2浪して東北の大学に行くRという男です
まあコミュ力を蒸留して優しさをもこみちが使うオリーブオイルぐらいかけた男です
かといって急激に仲良くなることはなく、入校式後二人で一緒にカツ丼食べに行ったはいいものの、話すこと無くなってもう水が入っていないコップをぐいとあおるという人類皆したことがあるムーブをしました
しかし彼という存在ができたことでなんやかんやもう少しやってみるかと思い留まれました。彼を通じて他の寮生とも仲良くなれたんですね
ちなみに彼が僕に話しかけた理由は
「女子に慣れてそうだから紹介とかしてもらえると思った」ということだったと1年前に飲んだ時発覚して大笑いしました。感動返してください
追記すると彼は予備校で出会った可愛い長谷川ちゃんという子に恋をしますが、同じ寮生のKという今東京の大学でバンドをしていてカナダに留学中の19歳と付き合っているワンオクのTakaに激似のくそ陽キャに掠め取られます
1度目の絶望はこの日
そして2回目の絶望は少し時間が経った夏の日のこと
当時九州大学を目指していた私は必死に苦手だった数学を勉強していましたが一向に結果は出ませんでした
「夏までは基礎がため。焦ることはない。上山は夏終わりに伸びるタイプだからこのまま努力を続けよう」
チューターの先生も励ましてくれていましたがきついものはきつい。そのまま夏期講習に突入するも数学の授業の予習をしようにもまず最初から何から書くのかがわからない。必死に先生の解法をノートに丸写ししてそれを丸暗記しようとして、
んで糸が切れてしまったんですね
その日は自習もやる気が起きず寮長に行って早く上がらせてもらいずっと布団の中で目を閉じていました
携帯を預ける直前にインスタのストーリーにただ
「きつい。励ましてほしい」
そのSOSだけなんとか書き込みました
怖いですよね友達がこれだと
みんながみんな浪人していることを知っているわけではないので知らない人からすれば本当にただ病んでる人でしたね
そして当然のような顔しながら太陽は昇りやがりまして
朝憔悴しながら携帯を開くとメッセージが20件ぐらい届いてました
どれもこれも読むのに時間が要るぐらい愛のこもったメッセージばかりでした。長文長文励まし励まし
「頑張れ」という言葉があまり得意ではないんですがこの時ばかりは元気100倍アンパンマンでした
その中で特に心の残ったOという女子のメッセージ
彼女が勧めてくれた何曲かのうちの一つが
「僕のこと」Mrs.greenappleさんの楽曲
「ああ なんて素敵な日だ
幸せと思える今日も
夢破れ崩れる今日も」
実は、彼女もまた受験に失敗した一人
高校1年生の秋、部活終わりに忘れ物を取りに教室に帰るとOは一人で机に向かっていました
「何しとん」
「受験勉強」
「は?」
幼稚園が一緒なんでそれなりに仲はよかったんです
ただ、1年の秋ですよ?
親戚の成長ぐらい早い
そこから2年、彼女は努力を続けていました
奇しくもセンター試験前、最後の席替え
彼女の隣になりました
そしてセンター試験が終わって自己採点の日
隣の席からは泣き声が聞こえてきました
一応進学クラスだったうちのクラス
その中でもセンター試験後の憔悴が彼女が圧倒的に酷かった
だけど3日後の古典の時間
先生にペアワークを指示されチラッと彼女をみると
こちらを以てニヤリと笑ってくれた彼女
本当に強い人です
結果的に彼女は私立の大学に進みました
そんな彼女が曲と共に送ってくれた言葉
「大学生目線で言わせてもらえると、真剣に悩んだり頑張れたり苦しんだりするのって受験期しかないから、悩んで成長して、絶対後悔しない1年にしてほしい。全力で応援してるよ」
今でも辛い時。苦しい時
「僕のこと」はいつも私を支えてくれます
卒業以来会うことはないけど元気かな彼女は。社会人になったんだろうな
なんか大学入学後露骨に男遊びに目覚めてたけど
最後に私にとっての浪人を
してよかったとは思っています
結果的に出会えなかった人もいるけど結果的に出会えた人、全ての結果として今の一浪一留の私ですから
浪人しないと多分一生「努力」をしない人間になってたと思います
だけど身近な人が浪人で悩んでいたら
浪人した方がいいとは言えません
途中で挫折する人も何人もいて、ある日急に予備校に来なくなってしまった人も。センター試験後にもう少しだけ頑張らせてと号泣しながらも親に引きずられるように予備校を辞めさせられた人もいました
必要なのは覚悟ときつい時にSOSを送れる人達
でも今振り返っても北予備の寮は厳しすぎると思うかな