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もっと気楽に観ていいですよ——演劇の鑑賞態度についてのヒント

さて、私が主宰する演劇集団エスキスの次回公演『遠くの霧に紛れて』が予約受付を開始しました。
年明けてからの、1月31日、2月1日、2月2日、金土日の3日間。
大阪環状線「寺田町」駅から徒歩10分ほどの劇場、表現者工房さんでの公演です。
(公演情報は最後に書いておきます!)
予約リンク:https://ticket.corich.jp/apply/341797/

試しに『遠くの霧に紛れて』でAI生成させてみた。

うわ、なんか思ったよりいい感じなものが出てきたな。
使ったのはCanva内の「Imagen」というアプリ。
「遠くの霧に紛れて」という単語以外何も入力してないのに、不条理劇。
というかどう考えても、不条理劇の金字塔、ベケットの「ゴドーを待ちながら」の舞台セットを思わせます。
すごい、というか怖い、AI。
このアプリが何を学習データにしてるかとか、専門的なことは一切わかりませんが、私が『遠くの霧に紛れて』というタイトルと「不条理ミステリー」「不条理劇」というワードを並べて各所で書いてるから?そんなことある??
うーん、ブラックボックス、、、

あ、本題に入ります。

演劇、もっと気楽に観ようぜっていう話になります。
いつも皆さんがどんな感じで演劇、あるいは他の芸術媒体の鑑賞をしてるだろうか、とか考えながら読んでいただけると嬉しいです。もしかしたら演劇鑑賞体験というものの新しい面白さを見つけられるかも。

自分は様々な演劇の公演に関わってきて、一緒に作る演劇人や、(アンケートを通して)観客などが、どのようなものとして演劇を見ているのか、ということがだんだん見えてきたように思います。

その結果としてひとつ言えるのは、みんな分かろうとしすぎ。

恐らく、映画やテレビドラマのような、「物語世界」をまるで実在するかのように描写して視聴者に届ける媒体が誰にとっても身近だからでしょう。
あまりにも身近すぎて、映画・ドラマの鑑賞態度が観客の体に染みついてる、と思います。

劇場に1,2時間拘束されて、ひとつの物語を見せられる。
演劇を観るとき劇場という場所が映画館に酷似しているというのも、要因の一つでしょう。

そういった要因で、まるで映画やドラマを見るようなつもりで演劇を観る人が、どのような態度になるのか、「わかろうとしすぎる」ということだと思います。

ここはどこなのか、この人は誰でどのようなバックボーンがあるのか、ここは伏線か?この物語が伝えたいことは?このシーンを入れた作者の意図は?

よく、新海誠作品が公開された後とか、Youtubeで考察動画とか上がりますよね。演劇を観ている間に「?」と思うことがあったら、そういった「背景」がきっとあると信じて、そこまで理解しようとしてくるのです。

別にいいんですけどね。考えたら分かるものありますからそりゃ。

ただ、演劇は映画とは違って、公演期間も観る人の数もとてつもなく限定的です。Youtubeであなたの考察を助けてくれるひとは居ないです。「答え合わせ」もできず、共感を求められる相手も少ない作業として、考察をしてもらうことになります。
それを分かってやっている人が、まあ所謂マニアと呼ばれる人でしょう。私も片足突っ込んでるので気持ちは分かります。

ただ、やはりこれは演劇としては、一般的な鑑賞態度とするには求めすぎな感じがします。
映画などと比べても「もう一回観よう」のハードルが高いか、ほぼ不可能で、孤独な作業として考察をする羽目になる。それが「正解」なのか、という答え合わせもできない。普通に考えて酷でしょう。

制作者側としても、こんな酷すぎる条件で、観客が十分「理解」できるようなものにしようとしたら、映画などよりとてもわかりやすく、あからさまな作品になるでしょう。面白くないでしょうよ。
考えたい人だけ考えてね、っていうぐらいがちょうどいいんです。

じゃあ「分かろうとする」という鑑賞態度じゃなければ、どうしたらいいんだということですが、「その場を楽しむ」ということを提案したい。

例として、ゲームとか挙げてみましょうか。

例えば世界的人気ゲームのマリオシリーズをプレイしているとき、
「ここのクリボーがいることで、このステージに面白さが増している…」
とか、
「マリオのジャンプとルイージのジャンプ、2人の体格を反映した飛び方になっているのか…」
とか、
「クッパがピーチをさらい続けるのは、一人の女性に愛を捧げ続けるという昭和的な”かっこいい男性”感を自己投影しようとしているのか…?」
とか、

考えないでしょ!!!

「えこの溶岩どうやって渡んの!!?」
「ヨッシー!!おまえかー!!会いたかったぞーー!!」
「いけ!ヨッシー踏ん張れ!!」
「ごめんヨッシー、俺だけでも生きる!!」

とかでしょ!!

つまりですね、その場その場を楽しんでいただけたらいいんです。

もちろん、登場人物の性格とか、物語の舞台になっている場所とか、背景にある社会的視点とか、その場で少し考えてどこかに思い当たって、そして物語に帰ってくる。ということはやめろとは言いません。
言ったところで一切遮断できるものでもないですし、そういう少しの理解の積み重ねで鑑賞が面白くなるのは事実です。

なので言いたいのは、「わからない」となったことに対して、そこにきっと重要な何かが隠されていると信じて考え込むよりは、一旦置いといて、目の前で起こっていることを楽しんでくれたら十分です。ということ。

せっかく演劇は、目の前に本物の人間が居るんです。
彼らの本物の感情に共感したり、その身体を通して何か力のようなものを感じたり、俳優の身体で作られる1シーン1シーンを絵画のように楽しんだり、劇場に響く声を全身で感じたり、そういう、そこでしか無いものを楽しんでもらえたら十分かなと思います。

その中で、驚いたり、笑ったり、ハッと息をのんだり、そういう反応が周囲の観客とシンクロしたことに気付くという体験も、演劇ならではのものです。

まずはそういう、「目の前のもの」を楽しんでから、もし何かに思い当たったり、演劇という芸術媒体そのものに興味を引かれたりしたら、脚本のドラマツルギーや、役柄の隠されたストーリー、作品が眼差す社会的問題、などに考えを膨らませてみてください。そう、それが演劇マニアへの道です。

【公演情報】

演劇集団エスキス第二回企画「The Return of 」
2/n『遠くの霧に紛れて』

作・演出
嵩見凌(演劇集団エスキス)

【日時】
2025年
1月31日 19:00-
2月1日 13:00-/17:30-
2月2日 12:00-/16:30-

【料金】
予約:3000円
当日:3500円

【会場】
表現者工房1Fノワール

【出演】
瀬戸千尋(演劇集団エスキス)
新木光(サカナ注意報)
上坂留叶
フェン(劇団Ortensia)
池内健朗
及川歩(近畿大学演劇部覇王樹座)
羽根田彩幸(近畿大学演劇部覇王樹座)

【スタッフ】
舞台監督 上坂留叶
制作 鳴海遥真(どんぐり企画) 兼田一花(劇団Ortensia)
音響 高橋メロス 中村圭吾(劇団アンゴラ・ステーキ)
照明 林茜里
舞台美術 羽根田彩幸(近畿大学演劇部覇王樹座)
宣伝美術 村上岩人

【予約リンク】
https://ticket.corich.jp/apply/341797/

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