演劇集団エスキスについて①コンセプト
100 年後、日本の演劇はどんな姿をしているだろうか。
現代、日本で喝采を浴びる数多の才能。そのうちのどれが、幹となり、演劇の歴史を形作るのだろうか。
未来の歴史は見えない。だが描くことはできないか。
過去から伸びる線の、延長線。あるいは今日発生した点の、そこから始まる新たな線。
将来、演劇の歴史と呼ばれるその像の、下描きとなる線を探す劇団。
こちら、演劇集団エスキスの旗揚げと共に、SNSで公開した当団体のコンセプトです。
そして以下は、公演に併せて公開している企画書に、上の文章と合わせて記載しているもの。
現代日本の演劇には、体系化されているものが少ないと感じさせられます。演劇人たちの、才能や「やりたいこと」が先行した数々の作品の創り方は、当人以外に引き継がれていない例が多いように思います。そんな中で、体系化され、日本の演劇の特徴を示す潮流があるべきだというのが我々の考え方です。
現在、日本にある数々の演劇を見ても、どれがひとつの大きな流れとなるかはわかりません。それらの中から、歴史の流れと成り得る演劇を探し、そこから繋がる歴史を、何度でも試作してみようとする劇団です。
これまで、団体のコンセプトをこのような文章に任せて、ちゃんと言葉を尽くす機会は作れていなかったように思います。
なのでこの場で、コンセプトやその基となった課題意識、コンセプトの設定から約1年立って今思うことなどなど、語っていこうと思う次第です。シリーズです。
というわけで第1弾。
コンセプトとして掲げる、当団体の課題設定についてお話します。
(多分長くなる!ごめん!)
(あと、あくまで私の主義主張なので事実検証が不十分ではない部分・主張として受け入れ難い部分あると思います異論は認める!!)
コンセプトとして重要視するキーワードは、「体系化」です。
現代日本の演劇、特に小劇場演劇を見て、体系化がされていないのでは無いか。ということです。
(そもそも小劇場演劇ってなんやねんって話も語りだしたら終わらないからまたの機会に!!!)
ここで言う体系化は、まずは「ジャンル」という言葉を手がかりにするとイメージしやすいかと思います。
例えば歌舞伎というジャンル。
歌舞伎という体系化されたものがあります。
そのため、歌舞伎に関わる人は自覚的に歌舞伎という流れの中の一部となり、それまで受け継がれた型を引き継ぎ、あるいは新しいものを持ち込んだり「型破り」をしたりと、ひとつのジャンルの発展に大勢の人が貢献します。
(逆に「伝統」のラベルが貼られちゃうと「発展」というより「逸脱」になってしまって発展が進みにくくなるとかならないとかあるんだけどまたの機会に!!!)
あと能。
歴史の授業で観阿弥・世阿弥によって「大成した」と習うと思いますが、これはひとつの体系が出来上がったということではないでしょうか。
他の芸術は私は明るくないですが、
音楽なら「ロック」「ジャズ」など、ダンスなら「ハウス」「ポッピン」など、ジャンル名と棲み分け、その上で当事者たちがジャンルを請け負う自覚が存在しているように思います。
(境界が曖昧でも、当事者たちが自分の作るもののジャンルを意識していることが重要だと思います)
こういった例は、当事者自身が意識的にジャンルを請け負うからこそ、ジャンル名に付随した「型」「定番」「基礎」などが変容しながら受け継がれていき、新旧を併せ持った「発展」が行われるのではないかと思うのです。
これが今の演劇にあるだろうかという課題設定が、団体のコンセプトの基盤です。
冒頭で「小劇場演劇」と言いました。
これはジャンルではなく区分です。
小劇場演劇の中で、頑張ってジャンル分けをすれば「ミステリー」「ロマンス」「コメディ」「アクション」「歴史」とか言えるんでしょうか。
ただ、これはあくまでプロットや動作など、作品が持つ代表的な1要素に注目したジャンル名です。
総合芸術たる演劇は、作品単位であってもどれかひとつを名乗るということは、あまりない。
名乗っていても、それだけで勝負というものではなく、別の要素も当然入ってくる。
また、ひとつの団体、ひとりの演劇人が、長い時間、もしかしたら一生をかけて向き合うようなものではない。
歌舞伎や能とは違うものです。
(「不条理劇」「会話劇」というものは私が思うに少し違う様相。それもまたの機会に!笑)
では、何が演劇の体系を担うことが出来るか。
私は「演劇論」や「作家性」というものがその根っこになってくれるのではないかと考えていますが、当団体が目指すものは、そういった名前付きの体系化を成し遂げる、というものではありません。
(なので根っことかについてはまたの機会に…)
私が体系化のために行いたいのは、いつか日本で演劇の「体系」として確立されるもののために、それに含まれる要素、宗教で言えば「教義」になる要素を見つけることです。
例えば第1回公演『対』では、
問題提起をする「芸術」としての演劇
というコンセプトを掲げました。
その場の快楽・カタルシスで完結するのではなく、観客のその後の生活への「問題提起」を行う。
それが将来の体系の「教義」になるのではないか。
ブレヒトなどの主張とも重ねて設定したコンセプトです。
ブレヒトは「異化」を使いましたが、この公演では「葛藤・対立構造」を提示することで行おうとしました。観客に提示し、その解決を委ねることで、問題提起にするという意図です。
こういった、ひとつの「教義」を設定し、そのための演劇を作る。「教義」と完成した作品を、観客に見てもらう。
これによって、観客はその「教義」が演劇の体系にとって相応しいのか考え、今後の観劇生活・演劇活動において自分の意識に「教義」を加える/排除する。
この実践と刺激を繰り返すことにより、演劇に相応しい「体系」へと進むのではないか、と思ったわけです。
だから、演劇集団エスキスの活動は、将来演劇の歴史を形作る「幹」になるかもしれない線を、何度も引いてみる活動だと自称します。
「エスキス」は「下描き」のような意味があります。
ひとつひとつの企画の中で思い描く「演劇の歴史」の将来像を、実践で下描きするというわけです。
大変長くなりました。
この続きとして、今になって考える「体系化」への模索の可能性や、これまで頭の中で下描きした「演劇の歴史」など、コンセプトに関連して色々と考えていることを書こうと思います。もしご興味あればお付き合いいただけますと幸いです。
現在進行している第二回企画「The Return of 」のコンセプトや、今回「またの機会に」って放置しまくったものについても書きます!それはこのシリーズじゃないかも。
それではここまでお読みいただきありがとうございました。
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