ホットケーキが苦手なわけ
小学二年生くらいに起きた話である。
その日、母は寝込んでいた。風邪か何かで寝込んでいた。なるべく寝室に近づいては行けないと言われていたのはぼんやりと覚えているので、おそらく風邪だったのだと思う。父は不在で、仕事か買い物に行っていたはずだ。そして寝室のとなりにあるリビングで私と姉は遊んでいた。そのように記憶している。なぜこんなにあやふやな言い回しが多いかと言うと、その後に起こったこと以外ほとんど覚えていないからだ。
つまり、家には寝込んでいる母の他に、私と姉しかいなかった。
家にテレビゲームは無かったので、ふたりで絵本とか漫画を読んだり、テレビ番組を見て過ごしたり、勉強机で秘密基地ごっこをしながら自由に過ごしていた気がする。
母からは「お腹が空いたらこれを作って食べなさいね」と、子どもでも作れるホットケーキミックスがおやつとして用意されていた。
卵と牛乳とホットケーキミックスをボールに入れてかき混ぜることで生地を作り、フライパンに入れて焼けばはい出来上がり。私と姉は協力してホットケーキ作りに取り掛かる。かき混ぜるのは私の役目。焼くのは姉の役目。見事な分担作業である。2歳年上の姉はがんばった。がんばってくれた。きっと母親がダウンしている状況を小学生なりに把握して、いつもより”姉らしく”振る舞おうとしていたんじゃ無いかと思う。
出来上がったホットケーキにココアのパウダーをかけると台所には甘い匂いが充満した。とても美味しそうな好い匂い。
ここまでは良かった。
私たちは幼いながらふたりで協力してホットケーキを作り、ちょっと誇らしい気持ちになりながら仲良くホットケーキを食べ始める。
姉「おいしいね」
傘「うん、おいしい!」
形がへちゃむくれなものこそあれ、子どもが作ったにしてはよく出来ていたそのホットケーキを私たちはむしゃむしゃ食べた。ココアパウダーを乗せたそれは甘くやわらかく、素敵な味がした。たぶん、”食べてる間”はそう思っていたはずだ。
しかし姉は子どもが食べるには多すぎるほどのホットケーキを作っていた。ひとつ食べ終わってもまだ4~5枚くらいは残っていて、すでにお腹いっぱいだった私は、
「もういらない」
と姉に言う。
とたんに姉の機嫌が悪くなった。
「まだたくさん残ってるんだから食べなよ」
こんな台詞を姉が言ったかどうかは覚えていない。
覚えているのはそのあと、
「せっかく私が作ったのに!」と姉が私に馬乗りになって無理矢理ホットケーキを口に詰め込んでいる光景だ。小学校低学年の児童にとって高学年とは体格でも腕力でも大きく上回っている存在で、敵うわけがない。
ココアの味とホットケーキの食感はとたんに恐怖へと変わる。「食べてよ!食べて!!」とぎゅうぎゅう口の中にホットケーキを詰め込む姉。逃れることは出来ず、もはやしゃべることも出来ない私は、詰め込まれたホットケーキに強烈な嫌悪感を覚えわんわん泣いた。いや、わんわんは泣けなかった。口の中に詰め込まれたホットケーキのせいでもがもが言うくらいしか私にできることは残されていなかったのだから。
リビングで食べていたはずなのにこの凶行が起きた場所は廊下だったと記憶している。私がその光景を思い出すとき、それはいつも台所側から見た廊下の光景で、幼いふたりが格闘している様子をすこし離れた場所から眺めている。きっとリビングから格闘を繰り返しようやくその場所にたどり着いたのだろう。あるいは姉から逃れようと奮闘したけれど、そこで捕まりマウントポジションを取られたのかもしれない。
乱闘(というか一方的な”つめこませ”)は、騒ぎを聞きつけた母が寝室から出てきて幕を閉じた。
その後、作ったホットケーキがどうなったのかは覚えていない。少なくとも私は食べなかったはずだ。
なぜならこの事件以来私はホットケーキが苦手になったから。ココアパウダーのかかったやつならなおさらに。
私が小学生の頃に起きた話である。姉とは良好な関係を築けている。そう思う。でもいまだにホットケーキを食べる気は起らない。
これが、私がホットケーキを苦手とする理由だ。