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美と醜の狂宴「伊藤潤二展 誘惑」

4月27日から世田谷文学館で「伊藤潤二展 誘惑」が始まったので行ってきました。

今回の展示は、代表作『富江』のほか『死びとの恋わずらい』『うずまき』『双一』シリーズなど、世界的漫画家の作品とその原画を、章ごとに見せていくという構成になっています。カラー絵や描き下ろし新作の絵だけでなく、立体化したオブジェも展示されており、ラフ画やデビュー前の習作なんかも見れました。漫画作品の面白さはいまさら説明するまでもありませんが、原画で見る絵の迫力はまさに格別。恐ろしさと美しさとコミカルさをたっぷり味わえるすばらしい展覧会でしたのでレポートを残しておきます。


序章 JUNJI ITO

《富江・チークラブ》(2023年)

こちらは今回の展覧会「誘惑」のために描かれた新作絵《富江・チークラブ》。ふたりの対照的な”富江”が描かれており、美と醜の対比を明確にすることで、どちらの存在感も際立たせています。使われている額縁の豪勢さは富江の傲慢で女王様気質な性格に見合ったものを選んだのかしら。なんにせよこの絵が見たかったので見れてよかった。けどこの絵、入り口付近に置かれているため人だかりが凄かったんだよな。あんな混みやすい場所に置くよりも、メインなんだしもっと後に持ってくるべきだったのでは。


《フランケンシュタイン》(1994)

「序章」にあたるスペースでは近年描かれた絵のほか、国際的に注目度の高い作品を集め、作家のグローバルな人気を印象づけているような気がしました。こちらのおどろおどろしい絵は、メアリー・シェリーの有名な作品をコミカライズした作品の原画。人間が本能的に持つ”恐怖”を呼び覚ますようなホラーとしてのたたずまいには、グロテスクさを超越した美しさが感じられます。禍々しくって目が釘付けにされちゃうぜ。



第1章 美醜

《富江〈全〉》(2000年)

第1章では、伊藤潤二の漫画に登場する美男美女の存在に焦点が当てられている。異界の存在感を放つ妖しい女性、富江。人間を虜にし、いとも簡単に狂わせる魔の存在。伊藤潤二の絵は、というか線は、まるで一本一本が蠢いているかのように魅力的で、その魔性に惹きつけられるようでした。そのような異形に対する憧憬。醜悪さが表に出た瞬間のカタルシス。美と醜が同居し、どこか可笑しささえある世界観と、そこに浸る悦び。富江の絵を眺めているとそんな恍惚とした気持ちが湧き上がってきます。


《ある集団》(2000年)

入り口付近に展示された新作絵や富江シリーズの前は人でごった返しており、このページで描かれている「富江に群がる集団」みたいな状態になってて少し可笑しかった。


伊藤潤二×藤本圭紀「富江」コラボレーション・スタチュー

お互いがファン同士であるという伊藤潤二と藤本圭紀ふたりによるコラボ作品。オブジェの精巧さと背景に飾られた大型の絵が組み合わさることで、堂々たる存在感を放っていた。あっちこっちに富江の絵が展示されている会場内の様子は、まるで増殖した富江に囲まれているよう。もしかしたらそんなおぞましい状況を疑似体験させる試みだったのかも。だとしたら粋な計らいだ。悪趣味でとても素敵な展示の仕方だと思う。


伊藤潤二の愛蔵書・DVD

伊藤潤二が愛して止まない映画作品のDVDや、漫画、小説も展示されていた。『燃えよドラゴン』『第三の男』『エイリアン』エトセトラ……。こういう作家のルーツとなる展示物って興味深い。


《死びとの恋わずらい》(1996年)

『死びとの恋わずらい』は、ある霧深い街で流行した「辻占」を起点に、「四つ辻の美少年」や怪死事件といった恐ろしい出来事が次々と起こる集団ヒステリー型のホラー作品。この作品における白眉は生き物のような存在感を放つ「霧」の表現だろう。四つ辻の美少年の幻想的なイメージは、この霧の表現と密接に結びついており、彼の異質さと妖艶さを強調している。


《死びとの恋わずらい》(1996年)

霧の表現の美しさよ……。初めてこの漫画を読んだときはその幻想性に強く魅入られたけど、原画ではその迫力がさらに強まっている印象を受けた。「富江」シリーズとはまた違う、冷たく触ることすらおこがましいと感じるほどの美。ゾンビ女子高生製造マシンである四つ辻の美少年は富江と並ぶ屈指のキャラクターだ。


会場内の壁や垂れ幕には大きなサイズで描かれた伊藤潤二の絵が配置されており、スペースごとに作品の雰囲気が演出されていた。


辻占恋みくじ

なお、『死びとの恋わずらい』展示の一角には「辻占恋みくじ」が置かれていて、ひとり一枚引けるようになっている。これって会期中はずっとあるのかな? とりあえず一枚引いて次の展示へ。


第2章 日常に潜む世界

続く2章では、「日常のなかに潜む闇」に目が向けられている。伊藤潤二の漫画で私が好きなのは、日常と非日常が徐々に融解していくその景色だ。そしてその恐怖は主人公たちに限らず、あらゆる登場人物に波及する。どこにでもあるような風景が静かに浸食されていき、やがてパニックが起こるという流れは見る者の想像力を刺激し、物語のなかに入り込ませる吸引力がある。「うずまき」「なめくじ」「虫」「サメ」「夢」と、伊藤潤二にとっての恐いものが美しい線で表現され、共感したり恐ろしさを感じながら、その世界に引きずり込まれていく。どの作品もただ美しいだけで無く、ムードがあるんだよなあ。

《うずまき》(2010年)

うずまき模様に取りつかれた父親と、彼の死と時を同じくして、町に起こり始める怪奇現象。うずまく呪いの中心に巻き込まれていく人々を描いた怪奇ファンタジー『うずまき』。この漫画も好きだー。ぐるぐるぐるぐるうずまき模様がたくさん描かれていて、ビジュアルとしての面白さが際立ってるんだよな。表紙のこの絵も原画だとさらにサイケデリック!


《うずまき》(1998年)

『うずまき』は何よりこのページの印象が強い。伊藤潤二が描いてきた中でも指折りのインパクトあるシーンだと思う。人がぐんにゃりと丸まった衝撃的な絵。生々しい肌の質感だけでなく、畳の質感も素晴らしく、呆然としたふたりの表情もいい。もはや恐怖を通り越して笑い出してしまう、という瞬間が伊藤潤二の漫画を読んでいると度々あるのだけど、この場面はまさにそれ。


《首吊り気球》(1994年)

「空の彼方から飛んでくる人形と、首吊りロープに追いかけられる」という伊藤潤二が幼いころにみた夢を元に描いた短編漫画『首吊り気球』。初めて読んだ伊藤潤二の漫画はこれだったかも。首吊りロープを下げ、自分とそっくりの顔の形をした大きな気球が襲いかかってくる光景のインパクトは忘れられません。異様な光景を現出させる絵力と、ムードの演出。ただ恐かったり、醜いだけではなく、伊藤潤二の漫画には独特のムードがある。恐怖とともに陶酔感を覚えるようなムードが。描かれる絵は衝撃的だし、内容は突飛だけど、そこに嫌悪感を抱かないのはこのムードに依るところが大きい気がする。


《ギョ》(2002年)

サメ映画ならぬ、サメ漫画。虫のような足が生えたサメが猛烈な勢いで襲いかかってくる光景が最高なんです。鱗のテラテラとした質感がすげえ。表紙の絵を描くにあたって気持ち悪さはやや抑え気味にしたとのこと。これでもね。


《サイレンの村》(1993年)

「サイレンの村」は音と恐怖が密接に結びついている作品。見る者を非現実的な世界へ引き込む伊藤潤二の技は、少年の頃に触れたSFと特撮から吸収したものだという。


第3章 怪画

第3章では物語の入り口であり、異界の扉ともなる「扉絵」を中心に展示。伊藤潤二は絵を描く際、異形の存在をより際立たせるために筆をいくつも使い分けているとのことで、そのこだわりから生まれる肌の質感や髪のなめらかさは圧巻。と同時に『双一』の絵なんかを見てるとコミカルさや明るさの表現も巧みだな、と感じる。

《中古レコード》(1990年)

初期に描かれた絵。シックな雰囲気が素敵。


《棺桶》(1995年)

無邪気で残酷。伊藤潤二の漫画に登場する子どもは大抵の場合邪悪だ。奇声を上げて走り回るなんてことは序の口で、わら人形で相手を呪ったり、溶かした人間の脳をすすったり、やりたい放題だ。しかしだからこそとびきりのユーモラスさが彼らにはある。日常と非日常のラインを軽々と乗り越えていく無邪気さは子どもだからこそできることなのかもしれない。
ちなみにその造形は『魔太郎がくる!!』やアニメ『妖怪人間ベム』、映画『光る服』に登場するキャラクターに影響を受けたとのこと。子供の残酷さとか純朴さって時に恐怖になりえますよね。


《耳擦りする女》(2009年)

この絵も好きだなあ。


会場内には伊藤潤二の仕事部屋を再現した一角もあり、使用している漫画家道具のほか、フィギュアや絵画も飾られていた。思った以上に”和”でちょっとびっくり。


第4章 伊藤潤二

最後の第4章では、岐阜県で生まれた幼少のころにさかのぼり、夢中になったアニメ、デビュー前に描いていた漫画作品、『ウルトラQ』やSF小説、影響を受けた漫画や、交流のあった漫画家など、様々な角度から彼を掘り下げ、創作の原点を探っていく。

《ミミの怪談 完全版》(2022年)

古い絵から最新の絵まで幅広く展示することで、伊藤潤二作品を俯瞰して眺めることが出来、新たな魅力を発見する楽しさがあった。とりあえず読んでなかった『こっちをみてる。』はこれから読もうと思う。


創作ノート

貴重な初期の創作ノートも展示されている。中学生のときに描いたホラー漫画もあり、若いころから一貫してホラーが好きなんだなあとしみじみ。


最後には「伊藤潤二の猫日記よん&むー」のコーナーも。漫画のなかでいきいきと動き回る猫たちは、伊藤潤二独自の目線によって、ただ「可愛い」だけでなく、「異形」の存在としてコミカルに描かれている。誇張された表現には鋭い観察眼と動物への愛があるのだろう。

というわけで、伊藤潤二展の鑑賞レポートでした。
時に恐ろしく、時に美しく、時にコミカルに。伊藤潤二の絵は美と醜が同居しており、見ている者を異世界に連れていく力がある。そんな風に感じてしまうほど恐怖の表現には迫力があり、一本一本こだわりを持って繊細に引かれた線は美しい。そのような妖しい伊藤順二ワールドに誘惑され、狂宴の様子を思いっきり堪能できた。現実ではなかなか出会うことが出来ないゾクゾクするような非日常のイメージは、いまも私の脳にこびりついて離れない。誘惑の芳香はいまも残り続けている。


富江による罵倒シーンの大凶カード

ちなみに辻占恋みくじの結果は大凶でした。でも何故かちょっと嬉しい。伊藤潤二の恋みくじだと考えるとむしろ当たりな気さえしてくるから不思議だ。




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