見出し画像

【小説】神社の娘(第42話 葵、逆らえずに頭を抱える)

 葵は職場のデスクで、樹と和やかに昼ご飯を食べていた。

「この古漬けね、よう子っちの手作りなのよ~あおいっちにも分けてあげるね」

「ありがとう」

 樹は手のひらサイズのタッパーを葵のデスクの上に置いた。葵はひとつつまみ、口の中に入れる。ポリポリという小気味よい音が顔に響く。多少しょっぱめに出来ているが、葵が作ってきた塩気の少なすぎた塩むすびにはちょうど良かった。向日葵から料理の極意は伝授されたが、まだ習得には至っていない。

「おいしい」

「でしょー?よう子ちゃんに伝えておくねん」

 葵がまた古漬けを箸でつまむと、机の右端に雑に置いておいたスマホが鳴った。

 画面には<一宮千里>。葵はあまりいい予感がしなかった。

 実際その通りだった。先日、あさひから「桜まつりの土日は私と神社でご奉仕」と聞いていたように、権宮司の千里から正式にその依頼が来たのだ。

 一宮の頼みを断れるわけがない。

「…はい…わかりました」

 それしか言えない力関係である。詳しい内容はあさひから聞いてほしい、とのことであった。

 葵は通話を切り、画面を見ながらつぶやいた。

「…何やるんだ俺は」

「うーん、裏方でしょ?荷物運びとか甘酒配り?お掃除?ごみ収集?」

 ぽりぽりと漬物を食べながら、樹は答える。

「まあ、そのくらいならバイト感覚で」

「御朱印だよ、アオイくん」

 トイレ帰りなのか、淡いピンク色のハンカチを持ったあさひが、春風のような笑顔で葵の疑問に答えた。

 最近は駆除ばかりで、課長を除く課員はみな常に作業服姿である。あさひも同様。体の線が出ない服装は、より性別を不詳にさせる。

「は?御朱印?」

「そうだよ、私と一緒に御朱印を書く係」あさひは葵に後ろからばっと抱きつく。「楽しそうだね」

 すぐに葵は、その手をどかした。

「おい、俺は一度もそんなもの書いたことないぞ。お前か、俺に書かせようなんて言ったのは」

「確かに企画したのは私だ。でもね、選んだのは吉野様さ」

 あさひによると、何年か前、お伝え様でも流行に乗って御朱印帳を作ってみたという。だが、思った以上に在庫を抱えてしまっているらしい。

「えー、人気ないのねえ」

「デザインがさ、良く言えばレトロ、悪く言えばダサいんだよ。私なら欲しくないね。上の人たちには言えないけど」

 そこで、村だけでなく近隣からも多くの参拝者や花見客が訪れる桜まつりを活かして、これを少しでも解消しようと考えたのだ。

「私だけじゃなくて、ほかの職員も企画を出したんだ。そのいろいろな案の中から、吉野様が私の案『お伝え様オリジナル御朱印帳を授かると、葵君に御朱印を書いてもらえる』を採用したというわけ」

 葵は立ち上がり、あさひを見下ろした。向日葵より少し背の低いあさひは、葵を微笑みながら見上げる。

「なんで本人の了解を得ずに、勝手に企画出してんだよ」

「通るなんて思わなかったんだよ。ごめんね。文句なら吉野様に言うんだね」

「でもさあ、吉野様ったら俗っぽいアイデアを選ぶのねえ。いっがーい。どっかのアイドル戦略とか、一つ買うと一つおまけがつくキャンペーンみたい」

「それはまあ、神社と言えど、だ。仕方ないね。ちなみに私はお伝え様以外の御朱印帳担当だ」

「俺は神職じゃない。ただの地方公務員だ」

「資格は持ってるでしょ。それに、字がきれいな一般の人を雇って書いてもらうこともあるんだから、アオイくんでも無問題だよ」

「字はきれいじゃない」

「決まったことだ、諦めなさい。もう一度言うけど、選んだのは吉野様。文句なら吉野様に言ってよ。言える?」

 葵は息をつめ、やがて小さく吐いて、ゆっくりと座った。

「練習セットを持ってきたから、あとで渡すね」

 清掃やお守りの巫女バイト程度だとばかり思っていた葵は、頭を抱えた。一宮の当主である吉野の決定ならば、確かに覆すことは不可能である。思っていた以上にしっかりした仕事で、しかもこれでは客寄せパンダ。誰もが目を奪われるような容姿でありながら、学級委員長、生徒会長……とにかく前に立つのが、目立つのが苦手な葵の、最もやりたくない、利用されたくない部類である。

「そもそも、俺が書くからって捌けるとは思えないんだが」

「けっこーいけると思うわよ。村、っていうかこの辺の街も含めて、アオちゃんは一番のアイドルだからね!握手も加えたら~なんて!僕並んじゃう!」

「いいアイデアだね樹ちゃん!握手付か。言い方は悪いが『売れそう』だ。吉野様に提案してみよう。ハグも加えるか、それはやりすぎだな、うん」

 話を聞いていた隣の自然環境課の女性たちが、「それなら御朱印もらいに行こうかな」などと寄ってきた。

「え、本気で言ってますか?いつも同じ部屋にいる俺ですよ?」

 本気だよ~、と女性職員はきゃあと返す。しかも一人は子持ちのご婦人だ。

「これで2冊!本当に来てね」あさひは満足そうだ。

 そこへ伊吹と向日葵が、「さあお昼ご飯だ! 一緒に食べよう!」「そーですね!ハラ減りました!」「今日はタケノコご飯弁当なんだよ!」「見せてください!」、などとわいわい言いながら駆除から帰ってきた。駆除も手馴れてきたもので、こんな雰囲気で帰ってくることも増えてきている。

 部内に入ったとたん、二人の前には、机にうつぶせてどんよりした雰囲気の葵と、その周りで楽し気に談笑する職員たち、という極端な光景が広がっていた。伊吹は険しい顔で彼らに近づく。

「君たち葵君をいじめているのか。一番若い子を囲んで、パワハラだぞ!」

 違うわよ~、と樹が理由を説明した。それを聞いた伊吹は軽く笑いながら、「頑張れ」と葵の肩を叩いて席に戻った。

 周りの反応とは裏腹に、向日葵はこの状況を笑うことはできなかった。

 後頭部しかみえない葵を反対の席で見下ろしながら、焦りを感じていた。

◇◇◇◇◇

 退勤時間を迎え、一時間ほどが経った頃。どうしてもひと段落させたい仕事があった向日葵は残業をしていた。室内には同じく残業をする葵。二人きりである。

 なんとか目途がつきパソコンの電源を落としたところ、環境部の入口にひょこっと八神幸次が現れた。

「向日葵ちゃん、帰る?」

「はい、これから帰ろうと」

「ちょっと、ちょっとだけ時間いいかな」

 幸次が雑誌を手に向日葵の席へ寄って来た。その雑誌を彼女の席で広げる。

「実は君らにアクセサリーをプレゼントした翌日から、彫金を学び始めてね。ああ、金属でアクセサリーを作る技術ね。君たちにあげたのは既存のパーツを改造したものでさ、今度は自分で一から形を作れたらと」

「わお、特技がどんどん広がってますねえ」

「向日葵ちゃんと桜ちゃんが、あんなに喜んでくれたからさあ。今日もつけてくれてるね、ペンダント」 

「だって、めっちゃ素敵だから」

 向日葵は幸次に、一面の菜の花を思わせる明るい笑顔を見せる。幸次はその笑顔に、今日の疲れがふっとんだ。横目で見ていた葵は、本当に八神の人間が好きなんだなぁとその笑顔に感じると同時に、そんな笑顔は知らないなと焼きもちを焼く。

「奥さんと母に練習で指輪を作ったんだけど、これがすごーく評判でさあ。向日葵ちゃんもどうかな、指輪好きなら作ってあげたいなあって」

「ええ!?いいんですかああ!?いえー!お金は」

「いらないいらない。いつも橘平がお世話になってるし。じゃあサイズ測っていいかな?」

 わーいと向日葵が手を差し出した。

 幸次は「どこに付けたい?指輪を付ける位置で意味合いが違うんだって」持ってきた雑誌のページを開く。それによると、例えば右手の人差し指なら集中力、左手の薬指なら精神力が高まると書かれていた。

「え~じゃあ…右の小指!ピンキーで!」

 彼女は魅力や表現力がアップする位置を選んだ。

「一つでいいの?いくらでも作るよ」

「いくらでもは悪いですよお」

「じゃ、もう一つ、もう一つ選んでよ」

「えとお……右の薬指」

 心が安定するとされる個所だ。

 幸次は蓮の席に座り、カバンからリングゲージを取り出す。向日葵の全部の指にはめてサイズを確認し、メモした。

「つける指だけじゃないんですか?」

「…念のため。じゃあ好きなデザインを本から選んで。付箋とかサインペンかなんかで印付けといて」

 そして幸次は立ち上がり、リュックにスマホを入れていた葵の隣席に座った。

「はい、葵君も手、出して」

「え?いや俺は」

「メンズ用の練習したいんだよ」

 葵は仕方なく手を出した。どの指がいいかも聞かれたが、「どこでも。ああ、デザインもなんでも。よくわからないんで」適当に答える。

 彼の全指のサイズを測り終えた幸次は、「ご協力ありがとう。できあがったら声かけるから。最終調整があるから、うち来てもらうかな。じゃあお疲れさま」と、去っていった。

「わー楽しみだなあ!!さて、私も帰りますわ。お疲れサマ~」

「俺も帰るよ」

 葵は部屋の電気を消し、向日葵に付いて廊下に出た。

「練習とはいえ、ブランド物と見分けがつかないクオリティのものが出来上がってくるんだろな、きっと」

「だろうねえ。このネックレスも、ほんとすごい。素人のハンドメイドじゃないよ」

「二人そろって八神課長に本物みたいな指輪作ってもらうなんてさ」

「ん?」

「タカってるみたいだよな。タダだし」

 向日葵は、さすがに今回は面白いことを言ってくれるに違いない、と期待してしまった。

 彼にとって指輪はただの指輪でしかなく、期待した自分を殴ってやりたかった。

 抜けてるみんなのアイドルに、淡いモノを期待してはならない。分かっているはずなのに、だ。

「作ってもらっても着けるかなあ。ネックレスも家に置いたままだし」

「……ソウデスネ。ねえ、それより」

 向日葵には午後からずっと気がかりなことがあった。いつ言い出そうか迷っていたが、職場では誰に聞かれているかわからない。しかしほとんどの人間が帰り、周りに誰もいない今なら言える。

「御朱印のこと…だけど…」

「……そろそろ、何かしらさせられるだろうな、という気はしてた。にしても客寄せはひどいな」

 平気そうに見せているが、きっと葵は、今すぐ泣きたいに違いない。彼は海辺の砂の城だ。姿かたちは立派に見えるけれど、子供がシャベルで突けば簡単に崩れてしまう。波が寄せれば一瞬で消える。心も体もお互いを支えられない。それなのに、周りは彼に我慢を強いる。真面目だからそれに応え、ため込んでいく。そんな悪循環を子供のころから繰り返していた。先日の青葉に対するような感情の高ぶりは、今までほとんど見せたことがなかった。そろそろ限界かもしれない。向日葵は葵のことをそう見ていた。

 向日葵も葵も、村の引力に抗ってみようと試みたことがあった。しかし、やってみたいことに挑戦しようもなぜか妨害され、上手くいかず、二人ともここにいる。

 どうしようもできない、あらがえない。二人は幼い時から菊と桜を-菊は亡くなってしまったが-守るように、面倒を見るように言い聞かされてきた。

 ずっと一宮に、封印に振り回される人生はどこかで断ち切りたい。それには悪神を消滅させるしか方法はないだろうと、桜とともに歩んできた。

 向日葵は人がいないことを確認し、葵の人差し指、中指、薬指の爪さきをぎゅっと握った。

「昔も言ったけどさ……私の前では泣いていいんだよ。また二人でご飯食べよ」

 そしてぱっと放し、思い切り腕を振って、走り去った。いつ人が現れるかわからない場所での、彼女の限界だった。

 葵は握られた爪さきをちらと見、彼女を追って走りだした。

 ピンクの軽自動車の窓を、バン、と叩く音がした。驚いた向日葵が窓の方に顔を向けると、葵が窓に両手をつき、乱れた呼吸で彼女を見下ろしていた。

「っ、はあ、はあ……今日は?」

 葵は窓に限界まで口を近づけ、シートベルトに手をかけている向日葵に尋ねた。

 向日葵はエンジンをかけ、車の窓を半分開けた。あたりを憚る低い声で、「やめて、人来るでしょ」葵に注意した。

「め、飯、一緒に、さ」

「ダメ」

「なんで」

 葵の漆黒の瞳が、水分を帯び始めた向日葵の瞳をみつめる。

「御朱印のれんしゅーしてください。字、上手くないでしょ」

「一緒に練しゅ」

「だから、人来る!ばいばい!」

 向日葵はシートベルトも忘れて急いで車を発進させた。

 幸い、駐車場に人影はなかった。ただ車が一台だけ止まっており、念の為、葵は車の中を覗き見た。

 誰も乗っていない。安心した葵はバイクに乗って帰宅した。

 実は先程の車、八神幸次のもの。葵はそこまでは気付かなかった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?