【小説】神社の娘(第33話 橘平、友人とアニメを観る)
『ありがとう』
「何が?」
『森の扉の絵、描き始めてくれて』
「ああ、うん」
『君のおかげだよ。これが終わったらさ、次は神様を描こうか』
「神様ってなんだ?」
そこで橘平は目が覚めた。いつか見た夢であるが、起きた瞬間に内容は忘れていた。
◇◇◇◇◇
終業式に返された橘平の通知表は、可もなく不可もなかった。1と2はないけれど、5もない。3と4が半々の内容だ。小学生のころからおなじみの、特徴のないことが特徴の成績である。
しかし、今、彼には勉強よりも大事なことがある。
悪神退治だ。
明日から春休みに突入する。宿題は大してなく、残りの時間は悪神に関することや桜を守る鍛練に費やせるのだ。
ゆるい陸上部の練習も、最近は鍛練のつもりで励んでいる。そのおかげか橘平のタイムは著しく伸びた。
実は橘平、中距離走の選手。顧問に春大会へ出場するよう勧められたが辞退した。桜たちのために頑張れる時間を1秒でも増やしたかったからだ。
さて、今日も今日とて放課後からそうしたい橘平だが、高校生にも付き合いというものがある。一番の友人、大四優真とのお付き合いだ。最近はあの3人とばかり会っていて、優真の誘いをすべて断っていた。そろそろ遊ばないと友人が消えてしまう恐れがあった。
「昼ご飯食べたらさ、うち集合ね!実は観たいものがあって、一緒にと。よっしーもくるよ」
優真は下駄箱から本体も靴紐も白い運動靴を取り出し、ワクワクした表情で、橘平と遊びの約束を確認した。
「いつもの鑑賞会ね。何の映画?宇宙?魔法?サメ?ナマケモノ?」
優真は海外映画、特にファンタジーやSFといった空想ものが好きだ。たまにドン引くほどのB級映画も持ってくるが、それはそれで突っ込みながら観るのが楽しかった。
今日もきっとそういう類のだろう、と踏んでいると、優真は靴を手に「ううん、ええと」何か言いにくそうである。しかも顔はほんのり赤い。
恥ずかしそうで言いにくそうな様子。もしかしたら彼の憧れ向日葵に似た人が出ている、高校生にはふさわしくない作品だろうかと橘平は考えてしまった。それを友人と鑑賞するなど、優真は一体何を考えているのだろう、と。
「もしかして、優真」
「クラシカ・ハルモニ」
先日、桜と作り損ねたロボット。優真が口にしたのはあのアニメのタイトルであった。
「なーんだよ、それかー。なんで言いにくそうに」
「ほら僕、アニメ全然見ないからさ、なんか言うの恥ずかしくって」
オタクっぽい、というよりオタクの優真だが、アニメは専門外。幼いころですら、幼児向けアニメは見ていなかったらしい。彼曰く、生身の人間が動いている方が面白いという。
「ほとんど見ないからさ、みんなにアニメのこと教えてもらおうかな~なんて」
「よっしーならめっちゃ教えてくれるね、確かに」
よっしーこと五社良則は彼らの友人で、坊主頭のアニメオタクである。その頭としっかりした体格で野球部に間違えられやすいが、バドミントン部。ちなみに優真は帰宅部だ。
橘平は深緑地に白い線が入ったスニーカーをコンクリの床に落とし、「でもどうしたんだよ、いきなり日本のアニメ観るって」立ちながら履き始めた。
優真はまだ靴を手にしたまま、早口でしゃべる。
「に、日本のアニメーションは?世界に誇る文化で一大産業であるから?社会勉強のために観るのも悪くないかなと思ったんだよ!こ、今度はアニメ映画も見ようかな!?おかしいかな!?」
「べ、別におかしかないよ。まあ、楽しんで観ようよ、うん」
友人の様子がいつもと多少違うようだが、橘平はつい最近クラシカ・ハルモニの話をしたばかり。見直すいい機会ができた。
「じゃ、飯食ったらすぐ優真んちいくね」
「待ってる」優真はしゃがんで、やっと靴を床に置いた。「そうそう、もっと大事な事。橘平君にしか言えないから今言わなきゃ」
橘平は靴を履き終え、リュックを背負い直す。
「いつ野宿する?」
さっぱり忘れていた橘平だった。調べる、という予定もすっかりどこかへ消えてしまっていた。
「え、今?」
「春休みじゃん。これ逃したら夏休みじゃん。暑くて死ぬじゃん。今じゃん」
どうもこれは逃れられないらしい。自らが招いた事故とはいえ、友人がここまで本気とは思わず、過去の自分を恨む橘平だった。GWもあるよ、と言いそうだったが、結局は先延ばしにするだけ。しつこい友人からは逃れられなそうだ。
「えー、うん。防寒、しっかりして。す、スケジュール確認して折り返す感じで?」
「即折り返してね!!春休み中だよ!!」
もう逃げられないことを覚悟した橘平だった。
◇◇◇◇◇
午後になり、よっしーが緑のクロスバイクに乗って八神家にやってきた。ここから橘平と一緒に優真の家へ行くのだ。
橘平は通学用のシティサイクルに乗り、よっしーとともに家をでた。3月下旬のふんわりした青空の下、田畑が続くのどかな田舎道を二人並んで漕いでゆく。
「そういえば、橘平殿はクラシカをご覧になっていたと記憶しているけれど」
「見てたよ!めっちゃはまった」
「ふむ。それでは退屈になるような解説もあるかもしれぬが、ご容赦を」
「絶対そうなんないよ。よっしーの話面白いしね~落語家とか講談師みたいだ」
喋りながら漕いでいると、あっという間に大四家に到着した。
さっそく、海外映画の古いポスターが何枚も飾られている優真の部屋で、よっしーの解説付「クラシカ・ハルモニ第1期鑑賞会」が開催された。
「優真殿がアニメに全く明るくないことは、小生も存じております。まず、アニメーションとは」
「そっから?」
「アニメについて教授すると聞いて」
「く、クラシカだけでいいんだよ!それだけでいいの!余計なものはいらん!」
「むう、アニメを好きになってもらいたく、いろいろ用意してきたのであるが」
「これだからオタクは!」
「優真もな。俺にいろいろ布教しようとするじゃん」
橘平につっこまれ、優真は言い返せず言葉に詰まった。
「承知した。では早速、第一話から視聴しましょう」
よっしーは冒頭から作画、シーンの深読みなど、理解が追い付かないほどの詳細な解説を繰り出す。スタッフロールでも、あの人はこうでああでと、一体何人のアニメ関係者が頭に入っているのか、驚くばかりであった。
橘平はよっしーの解説と、先日の桜と祖父の考察を思い返しながら視聴する。だんだんと、以前とは全く違う視点で見ている自分に気が付いた。
放送当時はメカデザインや戦闘シーンばかり目に入っていたけれど、この物語が伝えたいことは別軸にある。
当時も切ないストーリーだと見ていたけれど、記憶以上に辛くて悲しい物語だった。ロボの激しい戦闘がないと耐えられない。
ああ、だからこんなにキレイな絵柄で、かっこよく戦いのシーンが描かれていたのか。橘平は再発見した。
物語の色どり、緩衝材。
受け入れるための仕掛け。
アニメに没入していた橘平だったが、突如「主人公、葵兄さんに似てるでしょ」という桜の言葉が思い出された。それ以降はもう、ヨハネスは葵にしか見えなくなってしまった。
ではヒロインは向日葵に見えるかというと、どちらかというと桜タイプだ。葵と桜と思って視聴するのは奇妙すぎて混乱した。
「さて、この親友二人組、実は」
「待て待て、それネタバレじゃないの?」
「おっと、失言」
「初見なんだからやめてよね」
よっしーの言うように、この物語には親友同士の女子二人組も登場する。しかし、のちにラスボスと判明する男性に騙され、二人の海より深いはずの友情はあっという間に崩壊する。橘平は「まもりさんと一宮のお嬢さんの友情も壊れてしまった、なんてことはあったのかな」そんな考えが浮かんだ。
そんな想像をしつつ、橘平は結ばれなさそうで結ばれて結ばれない展開に、自然と涙がこぼれていた。よっしーに「お、いいところで感動するじゃないですか、橘平殿」となぜか褒められた。
優真もいたく感銘を受けたようで「こんなに感動するアニメだったんだね。はじめから見ておけばよかった」と涙をにじませてた。
「うんうん、そうでしょう。して優真殿、なぜに突然クラシカの視聴を」
「え!?あ、ああ、だから社会勉強だよ。め、めちゃくちゃ流行ったし」
慌てて話す優真。実際は別の理由がありそうだった。橘平は「向日葵さんが観てたから、なわけないか」ぼそりと呟いた。
「何か言った、橘平君」
「なーんも!」
◇◇◇◇◇
橘平と桜は毎夜、今日の出来事をやり取りするようになってきた。今日もメッセージの送り合いが始まる。
〈今日友達とクラシカ・ハルモニ鑑賞会した〉
〈何それ楽しそう!いいな~〉
〈見直したらつらかった。あんな辛い話だったのか〉
〈そうよ〉
〈あーそれとさ、野宿することになって困ってる〉
〈おうち追い出されたの!?〉
〈違うよ~かくかくしかじか〉
〈ええ…楽しそう…私も一緒に野宿したいいい〉
桜のまた変わった食いつきに、橘平はどう返事していいかしばらく固まっていた。
〈うーん、女子が男子たちと野宿は……良くないと思うよ〉
〈ひま姉さん来てくれたらいい?〉
それは優真にとって毒である。
桜の野宿は阻止したい橘平だった。