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【連載小説 第18話】初対面の小学生女児から「お父さんと結婚して」と言われた35歳、無職。

●第18話 川越で越えるお父さん


 なんで私、この子生んじゃったんだろ。

 

 駿は大学での授業を終え、急いで姉のいる産院に駆けつけた。おめでとう、お疲れ様、これから一緒にいい子に育てよう――最初にかける言葉はどういったものがいいだろうか。考えながら姉のいる部屋へやってきたが、開口一番がこれだった。

 

「姉は真冬を愛せませんでした」

 駿は目の前の道路に違う時空を見ているようだったが、そのまま語り続ける。

 父親が誰かは教えてもらえなかった。誰にでも言えない秘密や言いたくないことはある。だから駿も追及しなかったし、だったら自分が父親になろうと決めたのだった。

 妊娠が発覚してから、姉はよく悩んでいるような顔をしていたという。駿が尋ねても「大丈夫」とだけ言い、愚痴一つ零さなかった。出産後は、真冬の世話もそうだが、それ以前に赤子の顔を見るのも辛そうだった。駿の不在時は最低限の世話だけはしていたようだが、駿がいれば、一切、真冬に触れなかったという。

「出産前は、私頑張る、この子の母親になるんだ、よく笑顔でそう言ってました。呪文のように」足先に目線を移す。

 川越氷川神社へ向かう観光客が次々と横切っていく。

「思い返してみると、あれは自分に無理して言い聞かせてたんでしょうね……理由はよくわからないけど、相手のせいなのかな。真冬の半分は相手の血が入ってるから」顔を少し上げ、まつりをみつめる。「でも、もう半分は姉です。真冬は姉の子なんです。俺はこのみ……ごめんなさい、こんな変な話」

「変じゃない」

 じんわりと顔に汗の玉が浮く。中身のない駿の瞳。やはり、「今」にはいない存在だった。

 まつりは「うち帰ろう」と彼のバッグのショルダーストラップを引っ張ると、駿が逆に引いた。

「お、お参りしましょう。結局、俺、ここに来てないんだ」 

「辛いんじゃ」

「うん、でも……この先を『越え』ないと」

 駿がまつりの手首を握った。瞳に芯が宿り、今ここに戻って来たようだった。大股で事故現場を越え、石造りの小鳥居をくぐった。

 境内はご利益を求めに来た参拝客で芋洗いである。お参りの列もほどほどの行列を作っていた。二人は手水所で清め、列に並んだ。

「真冬を拒否していた姉が、真っ先にあの子を車から守った。やっぱり姉は、心のどこかでは娘を愛してたんだ」

 まつりの視線は駿の横顔から手元に移る。駿の手のひらに、そっと自身の手のひらを触れさせる。

 参拝の列が順調に進んでいく。

「お姉さんが、あの世で、そして生まれ変わって、素敵なご縁に恵まれるよう祈ります」手の指をほんの少し曲げ、駿の指をなぞる。

 しかしそう祈ることの裏には、姉の縁を別の場所や人と繋げ、駿との縁を自分に引き寄せようとしているのではないか。

 まつりは自身の心の奥底を疑う。表面的には言った通りの事を願うつもりだ。でもどうしても自分を信じられない。

「……ありがとう」駿も指を軽く曲げた。

 参拝の順番が近づく。

 まつりは繋ぎそうなっていた手をすっと離し、グレージュのミニリュックから黒の長財布を取り出した。小銭入れを開けると、中には一円、十円、百円玉。まつりは十円玉を手にした。

 それを見た駿も紺の二つ折り財布を開いた。小銭は五百円玉一枚がからん、と入っているだけであった。

「五百円いれるんだ。ご縁いっぱい」

「じゃあ沢山お願いできるかな」

「例えば?」

「姉のこれからの良縁、真冬の健康、学業、まつりさんの健康、仕事、あと」

 参拝の順番がやってきた。お賽銭をいれ、二人はまわりと同じように礼と拍手をし、手を合わせる。

 自分が信じられないまつりは、邪念を入れないように「お姉さんがあの世で幸せになれますように!!!」と叫び、急いでその場を離れた。もちろん隣の駿は驚き、自身のお願い事もそこそこに、まつりを追った。

 まつりは人の波をかき分け、一心不乱に早足で大鳥居の方へ進む。あの叫びすら、本音であったかどうかと言われると、自信はないどころか、はっきりと口だけだと言える。

 もうこの世にはいない人。会ったことも、写真すら見たこともない人の幸せを願う。願えるはずがない。本心では、自分の縁を願いたい。

 しかも駿の心に住み着く姉。ただの姉なのに、どうしようもなく、彼女の存在はまつりの背後に巨大な影として張り付く。

 大鳥居を出る一歩手前で「まつりさん!!」と駿が追い付いた。

 まつりは振り向かず、黙ったまま立ち尽くす。彼女がなぜそうしているのか分からない駿は、かける言葉も思いつかない。

「しばらく、妹の所へ泊まります」

「え?」

 一歩踏み出し、まつりは鳥居を抜けた。駿が横に並ぶ。

「今日、そういう約束したんですか?」

「してません」

「じゃあなんで」

「気分」

「え、え、俺、まつりさんに失礼な事」

「してない」

 まつりは走りだそうとしたが、駿がまつりの腕をぐっと引き寄せ、反対の腕も持った。

「まつりさんの家は妹さんちじゃない」

「宇那木家でもないから」

「ウチがまつりさんちだよ。俺と真冬にはまつりさんが『必要』なの」

 そう言葉にして、初めて、駿はまつりに何を求めているかに関わらず、自分には彼女が「必要」だと認めた。いないと生きていけない。水のように重要な人。そんな彼女とこれからを過ごすには、どの道を選ぶべきか。

 まつりは思い切り首を振る。

「私は嫌な人間なの。お姉さんの幸せを願うって言ったけど、ほんとはほんとは」

 駿は軽くかがみ、まつりと目線を合わせ「次はまつりさんの幸せなご縁をお願いしよう」

「私みたいなダメ人間」

「まつりさん前もそう言ってたけど、ダメじゃないよ。俺は良い人だと思ってる」

「頑固で融通きかなくて、お節介で」

「住んでみてそれは感じるけど」

「ほら!」

「頑固で融通きかなくてお節介なのがまつりさん。それが、俺と真冬が必要としているまつりさんなの」

 まつりの目にじわじわと水分が浮かび始める。ハンカチかティッシュでもと思いバッグを漁る駿だが、どちらも持っていなかった。

「あー……こんな時にハンカチもティッシュも渡せない。俺の方がダメだ」

 この優しさが勘違いさせる。まつりは分かっているのに、彼の心を受け入れたくなってしまう。

「……私のリュック開けて。手前のポケットに入ってる」

 言われたとおりに駿はリュックを開ける。薄いブルーのハンカチが入っていた。それを取り出し、駿はまつりの目の下を軽く拭いた。

 両目の水分とアイメイクが移ったハンカチを手に「ごめん、メイク……」

「別にいいよ」

「ハンカチ戻すね」と、駿はまたまつりのリュックを開け、ハンカチをもとのポケットに戻した。ふと、財布とスマホに目が行く。駿はそれらを取り出した。違和感を感じたまつりが振り向くと、駿はさっとそれを自分のバッグに入れた。

「何してんの!」

「これで妹のところへいけないだろ」

「バカ、返せ!」

 と、まつりは駿のバッグを狙う。さっとバッグを後ろにまわす駿。まつりはそれを追うも、次は横、前、頭上に掲げられたりと、なかなかバッグを取れなかった。身長差が憎かった。

「またお参りして、俺と一緒に車で帰ってくれたら返す」

 にやっとした駿は、まつりの手を引っ張り、また境内へ戻った。

 まつりは、先生に叱られた小学生のように落ち込んだ顔で「……やっぱり、自分の良縁なんて、ここでは、願えないよ」

「ほんと頑固だな。このみのことは気にしないで」

「気にする」

「じゃあ好きにしなよ。俺がまつりさんのことお願いしとくから」

 二人はまた参拝の列に並んだ。

「そうだ俺、小銭ないんだ」

「私のあげるよ。財布返して」

「……逃げない?」

 そう言った駿の表情は、飼い主に甘えたい子犬のようだった。まつりは初めて駿に面白みを感じた。

 小さな笑みを浮かべ「逃げない」と言った。

 駿は自身のバッグを開け、黒の長財布を取り出し、まつりに手渡した。まつりは彼に百円、自身も百円を手にした。

 百円ならご縁は20倍だろうか。そんな考えがまつりの頭に浮かんだ。このみの幸せを十円で願って、自分のご縁は百円。姉の存在が怖くはあるけれども、それよりも高い値段で参拝する気にはなれなかった。やはり、自分のご縁など願えない。

 お賽銭をからん、と投げる。次は声を出さず、まつりは目をつむった。言葉だけでも、再び姉の幸せを願おうと思ったところ、隣の駿がまつりに聞こえる声で「まつりさんが素敵なご縁に恵まれますように」と祈った。思わずまつりは、駿を見る。願い終わった駿はその視線に気づいたか、まつりの方を向き、にこりとした。

「終わった?」

「う、うん」

「じゃ、家に帰ろ」と、手を差し出し、まつりはその手を取った。

 二人で大鳥居を抜け、駐車場まで無言で歩いた。でもそれは暖かい静寂で、自然とまつりの勘違いは加速してしまった。

「手、離して」

「え!?」

「汗かいた」

「あ、そ、そうですね……」

 駿は名残惜しそうにゆっくりと繋いでいた手を離した。まつりは即座に、駿の腕を自分の体に押し付けるように、腕を組んだ。良くない、ダメだ、と思いつつも、まつりの心は駿にまっていった。

 ぎゅうっと組まれた腕から伝わる体温に、駿はずっとこうしていたい気持ちが沸き上がって来た。彼女にずっとそばにいてもらうには。

◇◇◇◇◇

 駐車場に着いた二人は車に乗り、シートベルトを締めた。

 発進前、駿がシートベルトを握りながら「俺、ま、まだ心の整理が付いてないことがあって。きちんと整理したら」自信がなさそうに、うつむく。「……ま、まつりさん、ちゃんと、そ、そその……い、いうの、言う……言うんで」

 駿がどういった整理をつけようとしているのか。それは、まつりにはわからないけれど、これは「そういうこと」だろうと、まつりは期待してしまう。立派な大人のはずなのに、今の彼はいじめられっ子の小学生のようで、まつりはちょっとからかいたくなった。

「何を言うのか分かりませんけど、私が無職のうちにね」

 その言葉に駿は顔を上げる。

「まだしばらくは無職だと思うけど、就職したら家を出るかもしれない」

「そそそ、そんな家を出るなんて!! ずっと俺と真冬と住もう!」

 駿のシートベルトを握る手に、まつりはそっと指先を乗せる。

「勤務地が遠かったら引っ越さないと、とかさ。とにかく、何があるかわからないから、私が無職のうちに、ね」

 その笑顔は、駿がこの短期間で見てきたまつりの表情の中で、一番可愛かった。その可愛さに未来の希望を持てた駿は、まつりの指に自身の指を乗せ、一番可愛い笑顔で返す。

「頑張る」

 二人はその夜からアニメ『クラシカ・ハルモニ』の視聴をスタートした。

 

●おまけ
「今日、真冬ちゃんと遊びに行ってる子たち、私も会ってみたいな」
「桜ちゃんと橘平君と良則君ね。いい子たちだよ」
「真冬ちゃん、その中に気になる子いるっていうし」
 そう言うと同時に赤信号になり、駿は力強くブレーキを踏んだ。
「……は?」
「うっそだよ~」


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