【連載小説 第17話】初対面の小学生女児から「お父さんと結婚して」と言われた35歳、無職。
●第17話 新車で川越に行く女性とお父さん
「えー、明日は桜ちゃんと橘平君とよっしーと一緒にイオン行ってクラシカ・ハルモニ劇場版見てマック食べて本屋さん行ってかわちいのPOP UP行ってあといろいろあるから夕方まで遊ぶんだけど」
駿が運動会から帰宅した真冬に明日の納車からの川越について伝えたところ、こんな回答が返って来た。ちなみに『クラシカ・ハルモニ』は昨年大ヒットしたロボットアニメ、お友達は小1からの仲良しさんたちだ。
そして、ソファでラテ欄を見ていたまつりの膝に頭を乗せ「二人で川越デートすれば?」
◇◇◇◇◇
そうしたわけで、二人きりで川越へ行くことになってしまった。車の販売店ではまたも「奥様」扱いされたまつりだが、今回はにこやかに対応した。
納車された白のシエンタで早速二人は川越を目指した。
駿は助手席のまつりを意識する。本日の彼女は、いつものすっぴんや眉だけ書いた顔ではない。アイシャドウもリップもつけ、知らない顔に変身していた。眼鏡も普段より大きめのレンズで今風のオシャレ感があった。服装もジーパンやチノパンではない。白のひざ丈スカートにベージュのVネックシャツ。スカート姿はとても新鮮で、二人きりを意識してくれているのだと駿は嬉しくなる。と同時に、彼女はスカートもメイク道具も持っていたのかと、若干失礼なことも頭に浮かんだ。
「以前、真冬が遊んでる間にデートしてくださいってお願いしましたけど」
「そんなことありましたねー」
「たまたま、そんな感じになりましたね」
まつりは答えなかったが、運転しつつもちらとミラーを見ると、口角があがり、にこやかな表情をしていた。駿もつられて口角があがる。
「クラシカ・ハルモニ劇場版、実は俺も見たくて。まつりさん、テレビアニメ見てました?」
「見てない。流行ってたよね」
「あれ、すっごく泣けるんですよ。配信で見られるから、真冬寝た後、一緒に見ませんか」
ふふふ、っとまつりは笑う。面白いこともおかしなことも言っていないはずなのに、と駿は理解ができなかった。何も言えずに待っていると、まつりが口を開いた。
「それさ、お家デートのお誘い?」まつりは足を組む。ベージュのニューバランスとともに、足が強調される。
「へ、あ……お家デートなのかな。一緒の家なのにデート?」
「娘抜きならなんでもデートだと思う」
「あー、そう、そうなんだへー。じゃあじゃあ、昨日は運動会デート?」
「うん」
そうか、デートデート……と駿は新しいおもちゃでも買ってもらった子供のように可愛らしく笑いながら、デートと繰り返していた。
前の車がすんなり進み、通過できると思いきや、赤信号になる。駿はブレーキを踏み込んだ。
そのタイミングにまつりは「晩酌もそうだけど、夜のお誘い好きですね」
駿は心臓が大きくドクンとはねた。ブレーキを踏んだ足を外してしまいそうだった。
「へ、へへ、変な意味はないですからね!? 見るっていったら夜しかないだけで!!」
「分かってますよ、からかっただーけ」
一緒に住み始めてから、勘違いは加速するし、勘違いとは言えないような発言もあった。
それでもまつりはまだ、彼らと別れる可能性は消していない。駿が自分でパートナーを見つける可能性も残している。関係がはっきりするまで、彼らとの素敵な未来、最悪の未来、両方のシナリオを用意しておきたかった。
予想以上の悲しみに沈まないため。
だからまだ、「勘違い」しないように自分に釘はさす。最大限の笑顔で。
「私たちは『健全なただの他人』だもの」
健全なただの他人。それは駿がまつりの引っ越しの前に言ったセリフだ。あの時は何も考えず、その場で思いついて口にしただけ。それをまつりから言われた。
駿は自分の言葉、自分が考えた関係なのに、絶望的な感傷を感じる。
「そ、そうですね、うん、他人ですから」
当時は他人でよかったのに、今は彼女と他人以上になりたいと願う。それは親友なのか、姉や母のような存在か、パートナーか。まだ明確に関係は名付けられないけれど、自らが引き起こした悲劇なら、自分で喜劇に変えられるかもしれない。駿は心の境界を一歩越えた。
「配信観終わったら……劇場版観に行こう」
「真冬ちゃんは友達と今日」
信号は青に変わり、車が動き出す。
「娘抜き」
そう言った駿の表情は厳しかった。
「今夜から観よう、クラシカ・ハルモニ」
勘違いしない――やめていいのかな、とまつりの決意は少しだけ崩れた。
◇◇◇◇◇
川越に着いた頃にはすでにお昼時で、二人は時の鐘近くの和食屋に入った。メニューブックの中に「鰻」があった。写真の上に<提供中止中>とある。
「うなぎ…ま…」
「鰻食べたいんですか? 時期が」
「あー、違います、そういえば名字『うなぎ』だよなあって。シャケ定食にしよ」
宇那木まつりって変な名前、とふっと思ってしまったのだったが、そんなことは駿に言えなかった。
ランチを済ませた二人はそれから「時の鐘だ」「蔵造りだ」などと、小江戸をゆっくりと散歩し始めた。一番街商店街を札の辻方向へまっすぐすすみ、川越まつり会館のあたりで駿はつぶやいた。
「……実は俺、川越来たくなかった」
まさかの告白にまつりは足を止めた。優柔不断そうな人だとは思うが、あとから「我慢していた」のようなことは言うのはひどいじゃないかと、まつりは不満を顔に出す。
「なにそれ、今言われても! 川越って適当に言っただけだもん、断ればいいじゃん、他の場所言えばよかったじゃん!」
多くの観光客がいる中だが、まつりは思わずキーンとした大きな声を出してしまった。幸せな気持ちに包まれていたからこその大声だった。
駿は地面を見たまま、何も答えない。
「来たくなかった理由は?」
5月末の強い紫外線が二人を襲う。駿はやはりだんまりのままだ。
「……帰る」
まつりはくるっと、もと来た道の方へ向いた。
「え、え、帰るって車」
「電車! 何がデートよ、来たくないなんて。始めから言えよもやし!」
大股で駅に向かい始めたまつりの手首を、駿ががしっと掴んだ。
「ごめんなさい、俺、ま、まつりさんを利用しようとしちゃって、その」
「りよう……?」
駿はそのまま彼女をひっぱり、自身の隣に並ばせ、「まつりさんとなら川越に来られると思った」まつりの瞳をみつめ、「川越は……姉が亡くなった場所です」
「……」
「だからずっと怖かった。昨日まつりさんが川越って言って、確かに断ればよかったのに……でもまつりさんとなら、楽しい思い出に上書きできると思った。まつりさんとなら……そういうふうに利用しようとしたんです。よくないな、そういうの」
川越に妙な間があった理由が分かった。まつりはかっとなってしまった自分を鉈でぶった切りたかった。
「川越は、姉と真冬と……最初で最後の遠出になってしまった場所です」
駿はまつりの手首を持ったまま小さく一歩を踏み出した。まつりも引っ張られるまま、ついていく。
「川越氷川神社って縁結びで有名だから」
まつりはその横顔を見上げる。
「これからも、姉と真冬と一緒にいられたらいいなって。二人との一生のご縁をお願いするつもりだったんですよ」
札の辻の交差点で駿が歩みを止めた。
「このあたりで真冬がいなくなったことに気が付いた。休日だから観光客もいっぱいいて、どこにいるかわからなくて」
駿もこのみも、必死になって真冬を探した。もと来た道や横丁、走り回っても真冬は見つからなかった。
信号が変わり、駿とまつりは道なりに進む。
「もしかしたら、先に神社に行っちゃったのかなって。それで俺らはこっちの方を探し始めたんです」
二人の手が汗ばんでいく。
「ああ、ごめんなさい、暑いですよね」
と、駿は手を離した。すると、まつりが駿の黒い斜め掛けバッグのショルダーストラップを握り、隣を黙々と歩き続けた。
緊張した沈黙を保って歩いていると、神社の木々が見えてきた。
「ここで真冬を見つけました。道の端を歩いていた真冬が、車が来ているのに突然道路を横切ろうとして。俺の前を歩いていた姉が」
急ぎ真冬をかばい車にひかれた。泣きわめく真冬は無傷だったが、姉は重症だったという。
「すぐ運ばれましたけど……ほどなくして亡くなって……」
「……真冬ちゃんはそれ」
「……俺から話したことはない」
姉が亡くなった道路をみつめる駿は、「今」にいなかった。瞳から芯を抜かれたようだった。
「駿く―」
駿の額から汗がつうと伝う。
「あの事故だけが、姉が真冬を愛してる瞬間だった」
陽炎のように駿の視界はゆらゆらと揺れていた。
●おまけ
「あれ、真冬ちゃん、ワレハチのぬい買うの?」
「うん。可愛くてちっちゃくてもちもちして気持ちいいね~」
「珍しいですな。真冬殿はあまりお買い物はされないのに」
「うふふ」