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【連載小説 第23話】初対面の小学生女児から「お父さんと結婚して」と言われた35歳、無職。

●第23話 拉致されたお父さん

 駿が拉致された先はららぽーとの隣、IKEA近くのちょっとした広場のような場所だった。駿はそこのベンチに強制的に座らされた。

 まなみはミニスカートにも関わらず、どっかりと足を肩幅に開いて座る。見えてもいい下着は着用しているも、目のやり場に困る隙間だった。

「だいたいのことは娘から聞いた。お姉さんの子を引き取って育ててきたなんて、尊敬する」

「あいつ、そんなこと」

「ねえちゃんとどう出会って、今あんたらがどんな関係かもな。ただの他人だけど、二人で毎晩ゲームしたりして遊んでるんだって?」

「え、あ、いや真冬知って……!」

 真冬が眠ってからアニメ、ゲーム、晩酌などをしているつもりが、それを知られていると聞き、駿は耳まで真っ赤になる。

「案外バレてるもんよ。あたしも…そうそう、駿ちゃんあたしより年下だからため口にするよ」

 言いながらまなみはゴールドハンドバッグからスマホを取りだし、先ほど隠し撮りした写真を駿に見せた。切り取られた場面は、まつりが駿にサンプルのメガネをかけてあげているところだった。ズーム撮影された写真は、角度の問題で顔ははっきり見えないものの、まつりが柔らかい表情である事、若干横顔が見える駿も、まつりを頼り切った雰囲気であることが伝わってくる。

 客観的な「二人」を初めて見た駿は、顔の赤が足され、さらに首から鎖骨にかけても赤くなる。

「どう見てもただの他人じゃない。ああ、表向きはジジツコンだっけ?」

「……はい、まあ……」

 マンションの住民からおかしな目で見られさえしなければいい。その程度の気持ちで事実婚と周囲に言い訳していた。まつりと二人でいるときにそれは頭になく、かといって彼女をパートナーとみなしていたわけでもなく。夫婦ではないし、それ以前に付き合ってもいない。健全なただの他人はすでに曖昧であるが、かといって友人でもなければ言葉で表せる明確な関係性はない。

 それを他人からはっきり「他人じゃない」と言われると、彼女とどんな関係なのだろうと意識せざるをえない。

「これからも他人? ずうっと他人?」

「……それ、は……」

 姪を育ててきた彼が、精神的に弱いとは思えない。けれど、まつりへのはっきりしない態度に、まなみはじれったさと苛つきと手足が出る衝動に駆られる。 

 まなみは姉が大好きである。まなみが友人と仲たがいすると、その匂いをすぐ嗅ぎつけて、仲直りする方法を一緒に考えてくれたり、彼氏の悪口を聞いて同調しつつも、まなみの足りない部分を容赦なく指摘したり。お節介でめんどくせーとは思いながらも、姉の深い愛情を感じていた。

 たった一人の大切な姉でメンターなまつりを泣かせる奴はぶちのめす。基本が信一と同じマインドのまなみは、いつでも駿を半殺しにできるのだ。

「ねえちゃんのこと、好きなの嫌いなの?」

 長女気質のまつりに甘えて、じっくりと答えを出そうとしていた駿。まなみに直接的に聞かれストレスを感じると同時に、これは早急に決着をつけるべきと頭では理解している、というあわいに揺れる。

「……昔、好きな人がいて……」

 という一言から5分以上沈黙が続き、まなみが刺激するためにふくらはぎを蹴ろうとすると、雰囲気で察した駿は口を開いた。

「そそ、その人への好きと、まつりさんへの好きが違うといいますか。おかしくないですか?」

「違う人間への気持ちだから当たり前じゃね?」

 まなみの言葉に、駿は自身のスニーカーを見ていた顔をまなみに向けた。表参道のサロンで施術する、まつエクばっちりの彼女と目が合う。

「お前、好きな動物いる?」

「あー、犬ですかね」

「ポメラニアンへの好きと、セントバーナードへの好きは同じか?」

 突拍子のない質問に駿は「へ?」と間抜けな声を出す。

「いいから答えろ。腹にヒール貫通させんぞ」

 素人とは思えない良すぎた蹴りを思い出して背筋がぞわりとし駿は、思い浮かばなかったセントバーナードの写真をスマホで検索し、脳内でポメラニアンと比較する。内臓が破られたくない駿は、考えたこともなかった問いに、目をぐりぐりさせながら答えを出した。

「……ぽ、ポメラニアンは可愛くてちっちゃくて、守ってあげたい子供みたいで好きかなあ。セントバーナードは大きいから、思い切り抱きしめたら気持ちよさそうで好きとか?」

「じゃあ、そいつらに何を求める?」

「も、もと、める……」セントバーナードに続きポメラニアンの画像も表示して見比べ「ポメラニアンはぬいぐるみのような可愛さと癒し、セントバーナードは頼りがいがありそうだから、いざとなったら真冬を助けてくれる兄弟になってほしいかなあ」

 まなみは立ち上がり、駿の前で仁王立ちをした。彼を見下ろし、「じゃあ、前好きだった女とねえちゃん、ポメとバーナード、どっちだよ?」

 駿にとってはまたもや予想外の質問。二人を犬に当てはめるなんてできっこなく「ええええ、そんな」、と弱音を吐いたら耳をつねられ足を踏まれたので、駿は必死に頭をこねくり回す。

「す、好きだった人はポメラニアン、まつりさんはバーナード、かな。し、失礼かな」

「ほら、答えはでてるじゃん。前の女はただの恋人、ねえちゃんとは家族になりたいってことだろ。そういう好き」

「で、でも、まつりさんをパートナーとして見てないことになるんじゃ」

「なんでだよ、家族だってパートナーだろうが」

「好きだった人は守ってあげなきゃって思ってたけど、まつりさんは……俺のこと守ってくれる人。それって、お母さんとして好きなのかなって考えちゃって」

 まなみは鼻から勢いよくふん、と息を吐き出し、どかっとベンチに座った。

「じゃあ、ねえちゃんのこと守りたいとは思わないんだ」

「こ、このみは、もろくて壊れやすいガラス細工っていうか、傷つけないように慎重に守らなきゃいけなくて。まつりさんは何があっても受け止めてくれて、ちょっとやそっとじゃ傷つかない、ご神木みたいな」

「あそ。大木だから大切にしたいと思えない、自分を守ってくれる都合のいい安全地帯かよ。じゃあ、このみんとこ行けよ」

 駿の時が止まった。まなみは彼の奇妙な静止に、眉を顰める。

 時が動き出し「……このみは死にました」と呟いた。

 さきほどの後半の一言は余計だったか。まなみは「ごめん」と多少反省したが、故人ならば今を生きる姉が大事だとすぐ立ち直り「で、ねえちゃんは守りたいと思わないのな?」

 守りたくないわけではない。ただ、まつりに対してそれはしっくりと来ないのだ。

 駿はこの質問に対し、頭の回路が焼き切れるぐらい、まつりとのこれまでのことを思い出し、言葉にした。

「俺は……まつりさんを助けたい」

「守りたいとは違うの?」

「守るって、盾になってあげるようなイメージですよね。そうじゃなくて、まつりさんが困っていたら、問題が解決できるように支えてあげたいです。一方的に守られるタイプじゃないし……」とここまで話したところで、駿はぱちっと電流が走ったような感覚を覚えた。「そうだ、助け合っていきたいな。だって人生は山あり谷あり。だから……ああ、まつりさんなら、まつりさんとなら、助け合って人生を乗り越えられそう……それはお母さんじゃないな……パートナーか……」と、空を見上げた。さっきまで曇りがちっだった空に、青空が顔を出す。

 まなみは駿の頭に手をのせ、天パ頭をわしゃわしゃする。

「うん、答え出たな」

 指圧並みに痛むわしゃわしゃだが、文句も言えず、駿は言う。

「あ、ああ、はい……ああ、でもお」

 まなみの手が止まった。座って駿の顔を覗き込み、信一と同じような目で睨んだ。

「あ?」

 駿は心臓が止まりそうな眼光にちびりそうになるも、ここまできたらすべてまなみに話してしまおうと思った。手は出やすいが、悪い人ではないし、ここまで思考を導いてくれた人であり、気持ちを整理するヒントが得られるかもしれないと。

「こ、このみを好きって気持ちがまだ少し残っておりましてですね、それが消えないと……俺、まつりさんだけを好きになりたいんです」

 本音は引き出せても、感情は操作できない。このみを忘れろ、嫌いになれとは指示できないし、指示したところでおいそれと終わる課題ではない。姉への気持ちを自覚させるよりもやっかいな問題が表出し、まなみはゆっくりと腕を組んで鼻の下を膨らます。

 しかも相手は故人だ。相当な良い思い出があるとすれば、消し去ることは難しいだろう。

 ただ、まつりに気持ちを集中させたいという駿の姿勢と表情に彼の本気は感じられ、まなみはこの件に関して怒り出したりはしなかった。

「ねえちゃんは優しいから、このみを好きな気持ちごと、駿ちゃんを受け入れてくれ……」るのだろうか。姉がそんな神か仏のような広い心を持っているのか。まなみは自然と口にしてしまってから考え込む。

「俺が逆の立場だったら辛いかも。他の人を好きでい続けながら俺のことも好きって、素直に喜べないなあ。死んでても」

「今でも好きってさ、とっても優しくてカワイイ元カノだったんだな」

「……片思いです」

 まなみは目をぱちぱとさせる。

「めっちゃ大好きな片思い中に死んじゃった、ってこと?」

 ぎこちなく、駿は頷いた。

「失礼承知で言うけど……大いに振られるか、付き合ったとしても仲悪くなって破局。なんかだったら、その未練も違ったかもな」

 そもそも、このみを好きにならなけらばどんなに楽だったか。

 まつりへの気持ちは整理がつきそうなものの、このみの問題とはまだ向き合わねばならない駿。爪で手のひらを傷つけそうなくらい、膝上で拳を握る。

 まなみは駿の肩にそっと手を置く。

「こればっかりは、駿ちゃんが一人で解決する問題、かな」

 圧力の抜けたフラットな声が、駿の耳に心地よく届く。暴力的で威圧的な女性という印象だったが、この一言の持つ雰囲気はまつりと似ていた。

「墓参り行ってみる、とか」

「墓?」

「そこでしかもう会えない、いやそもそも会えないけど……今の駿ちゃんがこのみさんと会ったら、なんか違う気持ちが生まれるんじゃないの?」

 命日にしか訪れないこのみの墓。花を飾り水をかけ、線香をあげ手を合わせ。作業しかしてこなかったけれど、言われてみればそこは故人と交わる場。うじうじ家で脳みそをこねくり回すよりは、何でもいいから行動するのは手かもしれない。

 このみに会いに行こう。駿が決意したと同時に、頬に柔らかな何かが触れた。

「絶対、ねえちゃんを幸せにしてね」

 まなみの唇だった。駿はそれに気づいた瞬間に「ぎゃー!!」と、まなみがベンチから落ちそうなほどの大声を出し、彼女を指さした。

「な、なんだよ、そんなに嬉しかったぁ?」

「ままま、まつりさんにもされたことないのに……う、うわああああああ」

 他人と言いつつも他人には見えない。毎晩仲良く遊んでいる。なんだかんだ言って「仲」はしっかり進んでいると思っていたまなみは、素っ頓狂な声をあげる。

「はああ? もしかして手も握ってないのかお前ら」

「手までですよお……まさか、まなみさんが……そんなそんなそんな」

 駿は両手で顔を覆い、背中がゆっくりと丸まっていった。

「すまん」と言いつつも、そこまで落ち込むなんて汚物かあたしは。と、まなみは無性に腹が立ってきた。

 まなみは「口じゃねえからいいだろ!」と、駿の後頭部を烈火のごとく叩き「あたしがそんなに嫌いか!」と、耳を引っ張って大声を叩き込み、そして立ち上がって「だったら早くねえちゃんとしろ!」と駿の膝あたりや腕などを蹴った。

 駿は頭と膝を手で押え、耳が痛い痛いと心の中で叫びながら、一瞬でもまつりと似ていると思ったのは錯覚だった……と泣きたくなった。


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