【連載小説 第13話】初対面の小学生女児から「お父さんと結婚して」と言われた35歳、無職。
●第13話 おじいちゃんちへ招待した女性
日が暮れ始めた頃、まつりは福島駅に戻ってきた。待ち合わせ場所に既にやって来ていた宇那木親子を拾い、本日の宿を目指す。
到着して直ぐ、彼らは露天風呂もあるという、宿自慢の大浴場へ向かった。
真冬は「お母さん」との初めてのお風呂に、浴衣を抱えてスキップしていた。そもそも、銭湯のたぐいも行ったことがなく、他人と風呂に入る場が珍しいのである。駿と宿泊を伴う旅行をしたことはあるが、子供1人での大浴場は危ないので内風呂だったのだ。
「ふーん、みんな遠慮なく裸になるんだね」
脱衣所にはこれから入る人、出た人など10人ほどの客がいる。真冬は初めての場所に興味津々、周りを観察する。
「そりゃ風呂だもん。服着て入る気?」まつりはカーキのチノパンを脱ぎながら答える。
「プールだと体を隠しながら着替えるのに、お風呂はまっ裸」と自身もデニムのジャンパードレス、インナーの白Tシャツを脱ぐ。ふと、真冬は下着姿になったまつりを見た。
「なに?」
「私もそろそろブラジャー買うのかな」
まつりは育ち始めた真冬の体を一瞥し「そろそろかもねー」ぷちっと自身のブラのホックをはずす。
露になったまつりの胸を見て、真冬は「え……メロン、いや、すいか?」と呟いた。
実は胸を小さく見せる下着を着用していたまつり。太って見えるのが嫌だったことと、ジロジロとした視線が苦痛で着けていた。これが中々優秀ですっきり見えていたバストであったが、外したことで本来の大きさがバレてしまった。まさかそれを指摘されるとは予想しておらず、子供とはいえ、そのことに触れられると恥ずかしくなってきた。
「……あんま言わないで。すいかは言い過ぎ」
部屋に戻った真冬はこっそり駿に、まつりは胸がメロンであることは言わないでほしいらしい、と耳打ちした。娘の行動と話の内容に困惑し、なるべくまつりの胸は見ないようにしようと決めた駿だった。
メロンに顔を埋め、眠りに落ちた真冬。彼女を起こさないよう、まつりは布団を抜け出す。
立ち上がって浴衣を整え、音を立てないよう襖を開けて、隣の部屋へ入った。冷蔵庫からコンビニで買っておいた缶ビールを取り出し、広縁に移動した。障子を静かにしめ、椅子に座ってぷしゅりと缶を開ける。月明かりの中で缶に口をつけたところ、駿がやってきた。
「あ、起きちゃったんですか?」
「いえ、寝てません。眠れなくて」
「もう一本あるから飲む?」
飲みます、とのことで、まつりは冷蔵庫からもう一本取り出し、駿に手渡した。乾杯、と2人は缶を合わせた。
「まつりさん、お酒飲むんですね。食事の時、遠慮しなくて良かったのに」
「好きなんだけど弱いんです。変な姿、真冬ちゃんに見せらんないから自重。寝てから飲むって決めてた」
「じゃあ、今度、家で晩酌しよう。真冬が寝てから」
勘違いさせるような顔しかしないな、とまつりは駿を警戒する。しかし、彼にはきっと特別な意図はない。
「明日はどこ行く予定? 真冬ちゃん、なんかしたいことあるのかな」
「いやー、決めてないし、真冬も特に。渋滞考えて早めに帰るかなぁ」
まつりも特に意図は無いと思う。自分ではそう理解する。
「……明日行きたいところがあって。一緒にどうですか?」
「いいですよ。どこですか?」
「……うちのおじいちゃんち。真冬ちゃんに山奥の自然見せてあげようかなって」
祖父が生きているうちにというならば、早めがいいと思っただけだ。元気とはいっても90を越え、いつどうなってもおかしくないから。
まつりは自分にそう言い聞かせた。
◇◇◇◇◇
孫は大親友と住んでいる。そう思い込んでいた信一は、目の前にいるもやしみたいな男性と、浅黒い肌のスラッとした女児に衝撃が走った。
「おじいちゃん、この人たちが今一緒に住んでる人たち」
「はじめまして、宇那木真冬でーす」
「ふゆのうなぎ? 美味そうだな」
「真冬の父です。突然お邪魔してすみません」
自己紹介もそこそこに、大自然だー、と真冬は駆け出し、まつりはその後を追った。
余計なことは言わない、つっこまない信一だがこれには「友達と住んでるんじゃ」
「僕たちはただの他人ですよ。まつりさんはうちに住んでいるだけで。シェアハウスみたいなものでしょうか」
真冬の「おかーさーん!」という声が聞こえた。
「お母さんって言ってるぞ、結婚したのか!?」
駿はまつりとの同居の経緯を語った。事前に彼女から、祖父は信頼できる人だから正直に話しても大丈夫、と聞いていたのだ。
「つまりあれか、娘とまつりを引き離したらかわいそうだから、まつりに住んでもらってると。そんでおめえは誰とも結婚する気はない。これからもただの他人」
「そういうことです」
「……人様ん家にどうこうは言わねえことにしてるし、まつりが納得してるならいいけど……」厳しいとの一言では片付けられない、海より深く重い視線を駿に向け「孫泣かせたら殺すぞ」
会ったことはないけれど、人殺しの顔はきっとこれだ。瞬時に感じ、駿の体は頭からつま先までキーンと冷えた。
「な、泣かせるなんて。ただ住んでいるだけで」
「俺はな、アイツを泣かせた奴を半殺しにしたことがあんだよ。相模原まで車飛ばしたんだぜえ」と、信一は玄関前に立てかけてあった鉈を手に取った。「さっきから娘のため娘のためってよ、おめえ、ホントにまつりのこと毛ほどもなんとも思ってねえんだな。住まわせて、てめえの子供の面倒見させてる? 都合のいい家政婦か、あいつは」
信一は鉈を駿に向けた。よく手入れされた鉈が午前中のよく晴れた空に映え、日本刀のようだ。
「あ、あ、ま、まつりさんには、ご迷惑はかけません、は、はは、母親代わりをしてもらってるだけで」
「アイツは誰の代わりでもねえ! まつりだ! 殺す!」
木々の根から葉先まで震える。鳥たちは一斉に飛び立つ。野生動物も四方八方逃げ出す。そんな怒声が山中に響く。
その声に慌てて戻って来たまつりと真冬は、駿が鉈を持った祖父に追い回されている光景に恐怖した。
以前、まつりと一緒に住んでいた相手を祖父はぼこぼこにしたことがある。若者が老人にそこまでされるだろうか、と思われるかもしれないが、合気道の達人たる祖父に相手は指一本触れることはできなかった。戦後の混乱期は誰にも言えないやくざな過去があるらしく、特技はケンカ。加えて山奥で鍛えられた筋肉。街育ちのひ弱な男性では太刀打ちできなかった。
当時の妹の夫が弁護士で助けてもらえたこと、そして相手にもまつりへの暴言等非があったこともあり、お金で示談にできたのは幸いだった――が、その現場にまなみも参加していたという、おそろしく面倒な事件だった。
あの時、祖父は素手と手作り木刀で乗り込んで行ったが、いま手にしているのは鉈。まかり間違えば死ぬかもしれない。
家の周りを見ていた間に何があったのか。駿が祖父を怒らせるようなことをするとは、まつりには思えなかった。
「お父さん!」
真冬の叫びにまつりは駆け出し、信一を背後から羽交い絞めにした。
「離せまつり! もやし殺す!」
「駿君が何したっていうの!」
「お前をそのガキの母親代わりだとか言いやがったんだよ、もやしが!」
「その通りだよ、私は真冬ちゃんの母親代わりをしてるの。そのためにだけ、住んでるの」
「いいのかそれで、自分の子供じゃねえのに」
「誰の子だろうが関係ない。何年一緒にいられるかわからないけど、真冬ちゃんが女性としてお母さんがいらなくなるまで……中2ぐらいまででいい、母親をしてあげたい!」
真冬が勢いよくまつりの背に抱き着いて来た。
「やだ! もっと一緒にいたい!」
まつりは羽交い絞めを解き、真冬を抱きしめる。「私と真冬ちゃんのお父さんは何の関係もないただの他人だからね」真冬のふわっとした頭頂部をなで「そのうち、お父さんが新しいお母さんを連れてくるかもしれないでしょ。そしたら私は出ていくの」
真冬が中2になるまで、つまり、あと約3年。駿はその年数を「短すぎる」と瞬時に感じた。真冬と同じく、自分も、もっとまつりといられたらいいと思った。
「新しいお母さんなんて連れてきませんよ、ずっと真冬の側に」
「もやし! 死ぬまでまつりを母親代わりに縛り付けとく気か殺す!」
信一は駿に鉈を振り上げた。運動は体育の授業だけのはずの駿が、鉈を持つ手を力強く掴み、その進行を止めた。信一の頭上を駿の顔が覆う。
「まつりさんに本当の母親になってもらいます。それなら認めてくれますか」
今にも噛みつきそうに、信一は駿を睨み続ける。
「ああん?」
駿は手を離すと、真冬と抱き合うまつりの前に立った。
「まつりさん、結婚しよう」
突然の展開にまつりは理解が追いつかず、目が点になった。
「真冬のために」
真冬は「真冬のために」は余計だろうと呆れていた。
「何が娘のためだ、許さん、やっぱ……」殺す、と言おうとした信一だが、鉈を降ろし「今は許さん」と、静かな声で伝えた。「もやし、誰とも結婚しねぇって言ってたよな。なんで結婚申し込んでんだ?」
指摘され、駿は自分で自分にびっくりした。そう言われたらそうだ。無意識の行動だった。
「あ、や、えーっと、それは、む、娘?」
「ほらな。あやふやな気持ちのうちは結婚なんて絶対許さん。しっかり気持ちを整理しろ。まつり、次に勢い任せの適当なプロポーズされたらケツに回し蹴りぶち込んで痔にしてやれ」
信一は鉈を玄関前に戻し、真冬に「ふゆ子、野菜もぎっから付いてこい」と手招きした。真冬はチラリとまつりを見る。
「おじいちゃん、口は悪いけどすっごく優しいから。行ってきな」
「刃物……」
「あはは、子供相手に鉈はふらないよ」
こくり、と頷き、真冬は信一と畑へ向かった。
二人の姿が見えなくなると、駿は小さな声で「ご、ご、ごめんなさい……」と深くお辞儀した。
「何が?」
「い、勢いであんなこと」
「気にしてませんよ」と、まつりはミニリュックから白地に青の水玉のタオルハンカチを取り出し、鉈のせいで脂汗をかいてしまった駿のおでこを優しく抑える。「真冬ちゃんのためとはいえ、もう私と結婚なんて考えないで。健全なただの他人、何の関係も持たない方が、お互い気楽で一番いいと思う。無理しないでください」
自分は無理をして、さきほどの発言をしたのだろうか。駿は汗を拭いてもらうことに嬉しさを感じながらも、なぜそう感じるのかよくわからない。自分こそが母親代わりを欲しているのだろうか。結局まつりと結婚したかったのかどうか、よく分からなくなってきた。
「お姉さん似の素敵な人を探して」
駿に言いつつも、まつりはその言葉を吐くことで自分の「勘違い」を抑制しようとした。
勢いとは言え、思い出すととてつもなく嬉しかったから。
●おまけ
「え、相模原、半殺し、ほんと?」
「ほんとほんと。そこらへんの若者より強いよ」
「……」
「気をつけてね」
「……でも、自業自得ですよ、その男。まつりさんを」
「私もたくさん悪いことしちゃったから。あの人とは酷い終わり方だったけど、学んだことも多いし、自分の悪い所にも気づけた。感謝してるのよ」
「……」
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