【連載小説 第21話】初対面の小学生女児から「お父さんと結婚して」と言われた35歳、無職。
●第21話 ヒョウに追いかけられる女性
その二人とは、まつりの妹まなみと婚約者の小林である。婚姻届に姉のサインが欲しいまなみ。どうせ寝てるだろうと連絡もなく日曜の午前10時にやってきたのであった。
まなみはマゼンタカラーのミドルブーツを履いた足を肩幅に広げ、玄関に向かって大声で「佐藤まつりぃ! 起きろー!」と叫んだ。
「まなぴぃ、ご近所迷惑だよぉ」
すると、隣の部屋の玄関が開き「佐藤さん、引っ越したよ」そしてバタンと閉まった。
「はぁ?! あたしに断りもなく引っ越しただとぉ?! あんのまつりー!!」
小林は「落ち着いて落ち着いて」まなみの両肩をぽんぽんと叩く。背後に金色の光が放たれているような福豊かなスマイルを見せ、「そこにちっちゃい公園あったじゃない? あそこのベンチにでも座って、まつりさんに電話してみたら?」と、まなみを諭す。
沸騰していたまなみの頭はしゅんと適温になり「分かった」と、大人しく小林とマンションの階段を降りた。
◇◇◇◇◇
公園にはストレッチのような運動をするジャージのご婦人、ベビーカーを押して公園を出ようとする男性、そして縄跳びをしている子供とそれを見守る母親がいた。
まなみと小林はベンチに座った。
「今まで、こんなとこなかったのにぁ。ねえちゃん、どこ行ったのかな……」
「まぁまぁ、電話してみようよ」
少し離れた場所にいる、縄跳び親子の背中が目に入った。すらっとした体型の小学生くらいの女児。首の辺りで一つ結びをしており、飛ぶたびに怒った猫の尻尾のようにうねる。母親の方は茶髪のショートヘア、中肉中背。母親の方もぴょんぴょんと飛び始めたが、つっかえて中断した。顔は見えないが30代くらいに見えた。
「……あの縄跳びしてるお母さんのほうさ、なんかねえちゃんに似てるくさい……」
「お義姉さんが恋しくてそう見えちゃうんだね……本当に仲のいい姉妹だ」
「いや、ねえちゃんじゃね?」
「結婚してないし、あんな大きなお子さんもいないでしょ」
まなみはDiorのゴールドハンドバッグからスマホを取り出し、リボンパーツが付いたネイルがきらめく手でまつりに電話をかけた。呼出音が5回ほど続いたところで、目の前の母親と思われる方が自転車のカゴの中にあるミニリュックに手を伸ばす。
その横顔にまなみの目は鋭利なナイフのように光る。
母親らしき人物はリュックからスマホを取りだし、耳に当てた。
「ねえちゃん、後ろ振り向いてみ」
まなみの方を振り向いたその人物は――まつりだった。まなみと目が合ったまつりは、急いでスマホをリュックにしまい、ママチャリに乗って漕ぎ出した。
「待てー!!!!」と、まなみはスマホを砂場にポイ捨て、全速力で追っていった。
小林はまなみのバッグを手にスマホを拾い、ぽつんと残された縄跳び少女の近くに寄った。
「こんにちは、お嬢ちゃん。さっきの女性、佐藤まつりさんだよね?」
縄跳び少女はもちろん、真冬。突然、知らない男性から話しかけられどきりとした。知らない大人の男性は警戒するものだと、周囲の大人からも言われてきたし、最近はまつりが特にうるさい。真冬ちゃんは美少女だからより気をつけるように、と。テレビのニュースでも女児が狙われる事件はよく扱われているし、まつりや信一から美少女(美人)と言われたしで、真冬は結構、気を付けていた。
「……」
「びっくりしたよね。さっきのヒョウ柄のお姉さんはまつりさんの妹のまなみさんで、僕はまなみさんの婚約者。小林倫太郎です」
小林はジャケットの内ポケットから名刺入れを取り出し、真冬に名刺を手渡した。
表参道。歯医者。恵比寿様。
まつりが「妹の婚約者は恵比寿様で表参道の歯医者様」だと話していたことを、真冬は思い出した。確かに目の前の男性は恵比寿様だった。
「ああ。あれがお母さんの妹」
お母さん。その呼び名に小林は聞き返す。
「まつりさん、お嬢ちゃんのお母さんなの?」
「うん。あ、私は宇那木真冬です」
「美味しそうな名前だね、じゃなくてお母さん? まつりさんって独身だよね?」
「うちのお父さんと表向きジジツコンの他人で私のお母さんのアルバイトと言いつつ、私の本当のお母さんです」
一体どう言うことだろうかと小林が首を傾げていると、ママチャリが耳を突き刺すブレーキ音と共に戻ってきた。
「帰るよ」
「まつりさん」
「り、倫太郎さん!?」
「真冬ちゃんから聞いたのですが、事実婚でお母さんアルバイトで本当のお母さんって」
「まつりいー!」
まなみが追いつき、ママチャリの荷台を両手で掴んだ。
「やめろばか!」
と、ママチャリを漕ごうとするも、まなみが逆に引っ張る。いくら漕ごうとしても、前に進まない。
「おめえのがバカだろ、黙って引越しやがってええええ!」
「何しにきたのよ」
「婚姻届にサインしてもらおうと思ってきたんだよお! サインかけええ!!」
「わかった、今ここで書くからすぐ帰れ!」
まなみが荷台にのり、まつりの肩に顔をグッとつき出す。
「なんでこの小学生と縄跳びしてたの?」
「え、いや…」この騒動を目をまん丸にして黙って鑑賞している真冬を一瞥し、「子守のバイト――」
言い訳を言い切らぬうちに、向こうから「あれ、今どんな状況?」と自転車に乗った駿までやってきた。より拗れる世界しか見えない人物まで参加し、まつりは混乱する。
祖父以外の家族には、引っ越したことも、宇那木親子と住んでいることも、まつりは話していない。曖昧な関係のままで伝えたくなかったのだ。特に両親はこの状態が理解できず、子持ちなんてダメだとか、早く入籍しろと迫ったりするに決まっている。まなみは両親よりまつりに理解を示してくれそうにも見えるが、姉思いの性格と切れやすい性格がどうミックスされるかが不明だった。また、意外におっちょこちょいな性格。ぽろっとばらしてしまいそうな危険もあった。
「お母さんの妹とその婚約者の小林さん」
「この人が真冬ちゃんのパパかな?」
「そうです」
「初めまして。小林です。まつりさんの妹の―」
「子持ちししゃもと付き合ってんのか!?」
まなみはいきなり現れた長身の男性を睨みつけた。その瞳に、駿は鉈を振り翳す信一を思い出し逃げたくなった。
「付き合ってるっていうか」
「背の高い男とは付き合うなって言ったそばからー!!」と、自転車にまたがるまつりの両肩を勢いよく揺らす。
まつりはなんとか両足で踏ん張り、その間に急いで駿が荷台を押さえつけ、小林がまなみの両手をまつりから剥がした瞬間に、駿がまなみの腹を抱えて自転車から下ろした。まなみはじたばたと暴れ狂う。
まつりも自転車から降り、駿に「何しに来たの?」
「コストコ、行く」まなみがグーの手を思い切り上下左右に振る。「って言ってたのに」それを寸でで避けるが「帰ってこない、から」まなみに脛を蹴られ、痛みで彼女を開放してしまった。
「コストコだあ?! もう住んでじゃねえかよぉ!!」
まなみは駿の尻に回し蹴りを入れた。駿は突然のことに、痛みを感じるよりも混乱が先にやってきた。なぜ初対面のヒョウ柄に尻を打たれねばならぬのか。
妹がギャルだとまつりは話していたが、暴力的だとは聞いていなかった。まつりも怒りっぽい部分はあるが暴力は振るわない。妹の方が気性も激しいし、声もでかいし威圧的だし、ブーツで蹴られた尻は血がでそうだし、泣きたくなってきた。
「まなみ!」
「背の高い男はねえちゃんを泣かせるって相場が決まってんだよ。で、そのガキは」
真冬は縄跳びを手に、うるるんとした瞳で「宇那木真冬です」と挨拶した。まなみの燃えていた瞳から火が消えた。
「……おい、ロース。ふゆ子にららぽーとで服買ってやろうぜ」と、まなみは真冬の肩を抱いた。「何か飲むか? ゴディバ? スタバ? 31のアイスかな? おっと、その前に昼飯か。何食べよっか?」
「……なんでも」
この人も私をふゆ子と呼ぶんだ。と、まん丸飼い猫の目で、真冬はまなみを見ていた。
「よしよし、寿司でも食おう。じゃあロースのランボルギーニ乗って行くか」
「誘拐!」
「ガキにコストコはつまんねえよ。隣のららぽで遊ぶほうが楽しいよな?」
「お、俺もランボルギーニ乗ってみたいなぁ……」
「駿!!」
「だ、だってスポーツカーなんてなかなか……」
「真冬ちゃん、今度デロリアンも乗るかい?」と、ロース。
ランボルギーニもデロリアンもわからない真冬は、首をかしげる。その代わりに駿がわくわく反応する。
「で、でろ、乗ります!」
「おめえじゃねえよ、まち針! 可愛い子しか乗せねえよバーカ! 未来に戻れ!」
小林が後光を背負った穏やかな笑顔とともに、まなみに話しかける。
「みんなで仲良く乗ろうよ。まつりさんがお世話になってるようだし」
「分かった」
小林は猛獣使いかと、まつりは目を皿にした。
血の気の多いまなみは、怒りだしたら止まらないのが常。姉妹でも手が出るケンカもあった。しかし、小林の一言で聞き分けの良い幼稚園児になってしまった。まなみが小林を巻き込んでいるのだろうと思っていたのだが、小林がまなみを手懐けて婚約に至ったと想像されたのだった。付き合おう、分かった。結婚しよう、分かった。そのような。
そういうわけで、なぜか5人で新三郷へ出かけることになってしまった。駿と真冬は小林のランボルギーニ、まつりは帰りの荷物を考えてシエンタで。