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ポケモンキッズと旅する 第46回 ピッピ|大阪府池田市

本記事をご覧いただき、誠にありがとうございます。

第四十六回、ピッピと池田です。

池田城跡は五月山の南麓に佇んでいます。

丘陵に位置するこの城跡は、北東から連なる山地の端に築かれています。

そのためその立地により、池田城の西側は断崖となっていて登りづらい天然の要害となっています。

また、枯山水の庭園跡も発見され、枯山水の庭園が復元されています。

現在、池田城跡は公園として整備され、市民の憩いの場となっています。

なお、現在の池田城跡公園にある天守閣風の建物は、戦国時代当時の姿を再現したものではありません。

この建物は櫓風の展望台、休憩所、資料館としての位置づけです。

展望階からは南の平野が見渡せます。

たしかにここは市街地の平地より一段高いところにありますね。

北西方面には、山地から流れ出る猪名川により削られた谷地形があります。

ここが北東方面にある山地の南西端に位置することがよくわかります。


池田という地においてどうしても言及を避けられないこととして、阪急電鉄の革新的な経営戦略が挙げられます。

20世紀初頭、多くの鉄道会社が既存の都市を結ぶように路線を引く中、阪急電鉄は異なるアプローチを取りました。

大阪梅田と宝塚を結ぶ路線を敷く際、当時はまだ開発の手が及んでいなかった郊外を通過することになりました。

その理由は「まだ手つかずの土地こそ、理想的な街づくりの舞台となる」という前例のない視点があったからでした。

阪急電鉄は鉄道敷設にとどまらず、沿線の総合的な開発を積極的に推し進めました。

まだ開発の手が及んでいなかった池田などの地において住宅地を分譲。

ターミナル駅に百貨店を建て、沿線に学校を誘致し、レジャー施設も設置しました。

このことにより、沿線の新たな住民も含め、自社の路線に日常的な人の往来を創出することに成功しました。

平日には、都心に向かう通勤客・郊外に向かう通学客で多くの乗客が敷設した路線を利用し、

休日には、都心の商業施設に向かう乗客・郊外の遊園地に向かう乗客が敷設した路線を利用することとなりました。

この取り組みは、後の私鉄経営の模範となり、日本の都市計画に大きな影響を及ぼしました。

このような都市開発は『A列車で行こう』というゲームシリーズで詳細にシミュレーションをすることができます。


原寸大や未公開の写真は写真投稿サイトFlickrにございます。

ここまでご覧いただきどうもありがとうございました。次回もお楽しみに。