ポケモンキッズと旅する 第39回 ピカチュウ|兵庫県明石市
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第三十九回、兵庫県明石市とピカチュウです。
明石駅の北に広がる明石公園は、かつての明石城跡を中心とした広い緑地空間です。
1619年に築城された明石城の遺構を活かしています。
1619年の築城なので、関ヶ原の戦いどころか大坂の陣よりも後の、完全に江戸時代の城です。
明石城は、織田信長と徳川家康の血を引く小笠原忠真によって築かれました。
小笠原忠真は両者の4代目の子孫です。
そのため、西日本の外様大名(関ヶ原の戦い以降に徳川に恭順)に対する備えという重要な役割を担っていました。
ここで、2回前、兵庫県朝来市の竹田城跡についての記事で、戦国時代中期から後期にかけて、「山城から平城へ」という動きがあったことについて述べました。
竹田城は、戦国時代になる直前の室町時代に築かれた典型的な山城です。
険しい山頂に位置し、自然の地形を利用した防御性の高い城です。
一方、明石城は戦国時代が終わった直後の江戸時代に築かれた近世城郭です。
明石城は平地の丘に築かれた「平山城」で、政治・経済の中心としての役割も考慮されていた城です。
江戸時代の城の特徴として、天守閣がなかったりするという点も挙げられますが、明石城も天守閣を持たず、櫓のみが配置されています。
余談ですが、公園から東へ少し歩くと、日本標準時の基準となる東経135度の子午線が通っています。
この線は、グリニッジ天文台を通る本初子午線(0度線)から東に135度の位置にあるという意味です。
理論上、この線上で太陽が南中する時が日本の正午となります。
明石では、正午に太陽が真南に来ているということですね。
その点で、明石は日本の基準となる地です。
明石は日本の基準となる地ということで、マスコット的存在であるピカチュウにキャラ選定しました。
ただ、どうもポケモン公式はデビュー当時、ピッピをマスコット的存在にしようとしていたみたいなんですよ。
だから最初のコミカライズの主人公各が某ギエピーだったり。
その後、ピカチュウ人気が自然発生してマスコット的存在になって現在に至る流れだそうです。
原寸大や未公開の写真は写真投稿サイトFlickrにございます。
ここまでご覧いただきどうもありがとうございました。
次回もお楽しみに。