ポケモンキッズと旅する 第23回 バルビート|福島県白河市
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第23回、バルビートと福島県白河市です。
福島県白河市に位置する白河小峰城は、1380年に結城親朝によって築かれ、江戸時代には寛政の改革で知られる松平定信が藩主として入ったことで有名です。
白河にある小峰という丘に建つ城:白河小峰城は、阿武隈川を北側の天然の堀として堅固に守られており、戦国時代の戦術的要請に応えるものでした。
特に、本来の城の敷地の広さが特徴的です。
白河という場所は関東と東北の間の要衝の地です。
関東と東北を行き来するには他に常磐線ルートや水郡線ルートなどがありますが、最も往来の幅が広いのは何と言ってもここ白河です。
白河の関という関所などもありましたが、そんな要衝に新たに城まで建てられたというわけです。
花の写真は距離的にピントがあって撮影しやすいですね。
江戸時代には、白河藩の藩主となった松平定信は、寛政の改革を行い、幕府の政治を刷新しようとしました。
風刺短歌「白河の清きに魚も棲みかねてもとの濁りの田沼恋しき」に象徴されます。
この短歌は、倹約・倹約・倹約な松平定信の厳格な改革を批判し、その前の田沼意次の自由な頃を懐かしむ心情を表しています。
文字通りの意味:白河の水は清らかすぎてかえって魚も住みずらい もとの濁った田や沼が恋しい
裏の意味:白河藩藩主の松平定信の清らかさを謳った改革は魚(民衆)にとって生きづらい もとの濁りある田沼意次の頃が恋しい
城の櫓と門、この地にやってきたからこその写真です。
さて、その次の時代、要衝・白河に建てられた白河小峰城はその戦略的役割を果たすこととなります。
白河小峰城は、戊辰戦争・白河口の戦いの地となりました。
この戦いは、新政府軍と旧幕府側の奥羽越列藩同盟との間で繰り広げられ、東北の戦局を大きく左右する重要な戦いとなりました。
新政府軍(関東方面)と奥羽越列藩同盟(東北方面)という、まさに想定された通りの要衝の地の戦いです。
そして現在は駅近の城となっています。駅の北口に隣接した日本有数のアクセスの良さです。(さすがに三原城ほどではないですが)
原寸大や未公開の写真は写真投稿サイトFlickrにございます。
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次回もお楽しみに。