ポケモンキッズと旅する 第33回 メガニウム|東京都国分寺市
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武蔵国分寺公園は、西国分寺駅から程近い場所に広がる緑豊かな場所です。
緑豊かな場所ですので、今回はメガニウムの体色によく合う写真が撮れております。
公園内には、円形広場に、木々の間から光が差し込むこもれび広場や、静かな水面が広がる池など、多彩な表情を見せる施設が点在しています。
国分寺市の名は、奈良時代に遡る深い歴史を持っています。
8世紀半ば、聖武天皇の命により、疫病や天災などを仏教の力によって国を守ってもらうという鎮護国家思想に基づき、令制国ごとに全国各地に国分寺が建立されました。
この辺りは中学の歴史の頻出事項ですので、テストで間違えないように組み合わせを覚えてください。
武蔵国分寺公園は、現存する武蔵国分寺に隣接しています。
奈良時代に作られた各地の国分寺は全く痕跡が残っていなかったり、国分寺という地名だけが残っていたりしますが、現在の東京都や埼玉県に該当する武蔵国では国分寺がしっかり残っています。
そして引き合いに出されるのは前々回(第31回)に紹介した、南隣の府中市にあった国府です。
国府とは、現在の県庁所在地のようなところでしたね。
国分寺(現在の国分寺市)と国府(現在の府中市)は、ほぼ同じ時代に武蔵国に置かれた重要な施設でした。
奈良時代の日本において、国府と国分寺とは、
国府がその地域の統治を担う一方、国分寺はその地域の人々の心の支えとなる重要な役割を担っていました。
現在の東京都や埼玉県にあたる武蔵国の例では、
現在の東京都府中市と国分寺市に存在していた、奈良時代当時の武蔵国の国府と武蔵国分寺がそれぞれ統治と仏教の中心地として、地域に大きな影響を与えていました。
武蔵国国府と武蔵国分寺はそれぞれ直線距離で約3kmとお互いに近い位置にあり、地形的には多摩川の河岸段丘の1段目の崖(立川崖線)の端と2段目の崖(国分寺崖線)の端にあります。
東京で奈良時代当時の痕跡を感じられる場所として、国府と国分寺、府中市と国分寺市をセットで訪れてみてはいかがでしょうか?
原寸大や未公開の写真は写真投稿サイトFlickrにございます。
ここまでご覧いただきどうもありがとうございました。
次回もお楽しみに。