ポケモンキッズと旅する 第65回 ピンプク|愛知県犬山市
本記事をご覧いただき、誠にありがとうございます。
第六十五回:ピンプクと犬山です。
犬山という地名から考えるに、犬なキャラを選んだ方が良かったですか…?
一応、どのキャラであっても、このような写真を撮影した際の背景との組み合わせは、世界に一つしかないという価値があると思っております(小声)
さて、木曽川の南岸に凛と在る犬山城は、尾張と美濃の国境を見守る要衝の地に築かれました。
江戸時代、この犬山城は尾張徳川家の重臣である成瀬氏の居城でした。
1617年に成瀬正成が犬山城城主となって以来、成瀬家が代々城主を務めました。
成瀬氏は独立色が強く、尾張藩とは一線を画す立場にありました。
明治維新後(つまり徳川幕府がなくなった後)、ようやく成瀬氏は独立した藩主となり、数年後廃藩置県を迎えます。
犬山城は平地の小高い丘に築かれた平山城で、北側を流れる木曽川が天然の堀となっています。
また、現在の衛星写真では確認できませんが、古地図には城を取り巻く堀の存在が記されています。
城の周囲にはそのような人工的な堀が巡らされ、木曽川と相まって堅固な防御線を形成していました。
現在、犬山城は全国に現存12天守のうちの1つとして知られています。
現存12天守とは、江戸時代以前の天守閣が残っている
弘前城 - 青森県弘前市
丸岡城 - 福井県坂井市
松本城 - 長野県松本市
犬山城 - 愛知県犬山市
彦根城 - 滋賀県彦根市
姫路城 - 兵庫県姫路市
松江城 - 島根県松江市
備中松山城 - 岡山県高梁市
丸亀城 - 香川県丸亀市
松山城 - 愛媛県松山市
宇和島城 - 愛媛県宇和島市
高知城 - 高知県高知市
のことです。
天守最上階からは、北側には木曽川を見下ろし、南側には濃尾平野を望める風景を360度見渡すことができます。
訪れたときは、あいにく視界が悪く、遠くまで見通すことはできませんでした。
犬山城は、その立地から「白帝城」の別名で呼ばれることがあります。
これは、唐の詩人・李白の『早発白帝城』にちなんだものです。
木曽川沿いの丘に立つ犬山城の姿が、長江流域の高所に建つ白帝城を連想させることから、この名となりました。
朝に朝焼け雲のあたりの白帝城を出発(辞去)し、軽い舟が幾重にも重なる山なみを過ぎていったという風景を犬山城のあたりの風景が体現しているかのようにも見えます。
そう考えると、私が訪れた際の、靄がかかっていて視界が開けなかった風景だったのは『早発白帝城』を想起させる風景だったという観点から、かえって良かったことだったのかもしれません。
さて、犬山城の堅牢さにはチャートと呼ばれる非常に硬い岩石も一役買っています。
チャートは深海底で堆積した放散虫の殻が固まってできた岩石で、非常に硬いため浸食に強い特性を持ちます。
犬山城の建つ丘や、木曽川の対岸の伊木山などはまさにこのチャートにより形成されています。
少し離れたところでは、前回の岐阜城もそうなので、犬山城と岐阜城は興味深い共通点を持っています。
両城は濃尾平野の北部に位置し、チャートと呼ばれる非常に硬い岩石の上に築かれています。
岐阜市から犬山市にかけて濃尾平野の北側に広がる山塊(さらに北側の山地にも奥深く広がっている地域)には、チャート質の地層が幅広く分布しています。
岐阜城と犬山城は、このチャート分布地域の南端の辺に位置し、それぞれ南の辺上の西端と東端に築かれています。
という、少し離れた2つの城に、意外な共通点がありました。
原寸大や未公開の写真は写真投稿サイトFlickrにございます。
ここまでご覧いただきどうもありがとうございました。次回もお楽しみに。