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ポケモンキッズと旅する 第61回 ポポッコ|茨城県水戸市

本記事をご覧いただき、誠にありがとうございます。

第六十一回:ポポッコと水戸です。

日本三名園の一つとして知られる偕楽園は、水戸徳川家第9代藩主・徳川斉昭により1842年に開園されました。

その名は「民と偕(とも)に楽しむ」という意味を持ち、藩士の休養と領民との交流の場として偕楽園が構想されました。

偕楽園の名物となった梅も、梅干しを非常食として活用したり、実用的な発想から生まれた名物だったりします。

表門から入ると、幽玄な孟宗竹の竹林を抜けて明るい梅林へと至る形となる景観の変化も見どころです。

偕楽園は日本三名園の中でも比較的新しい時代に造られた庭園です。

当企画での日本三名園一覧です。
今回の偕楽園で日本三名園を制覇したことになります。

兼六園は1676年頃に加賀藩5代当主前田綱紀によって造園が始められ、後楽園は1687年に岡山藩2代当主池田綱政によって造園が開始されました。

これに対し、偕楽園は1842年に開園されており、150年以上の開きがあります。

この時代背景の違いは、庭園の性質にも大きく影響しています。

兼六園と後楽園が典型的な池泉回遊式庭園(池の周りを散策することで景色の変化を楽しむ形式の庭園)であるのに対し、偕楽園は異なる特徴を持っています。

偕楽園では、池を中心とした景観ではなく、梅干しを非常食として活用する意図などから、梅林が主役となっています。

ということで、梅林が主役の庭園ですから、花の咲くキャラを選定。
ポポッコという人選は最適ですよね?

また、偕楽園の借景(庭園の外にある風景を庭園内の景色と一体に見せる手法)にも、日本三名園の他の二園や、更に他の日本庭園とは一線を画す独特の手法が用いられています。

多くの庭園が高所への眺めを借景とするのに対し、偕楽園は低地にある千波湖を借景として取り入れています。

また、千波湖の水面は、季節や天候によって様々な表情を変えます。

朝霧に包まれた湖面、夕陽に染まる水景、月光に照らされた静寂な湖など、刻々と変化する風景を楽しむことができます。

偕楽園から見た千波湖は南東にあるという位置関係を考えると、夕陽や月光が水面に反射する様子を楽しむには絶好の立地と言えます。

太陽や月の南中高度には季節による変動があり、低緯度地域では太陽や月が天頂を越えて北側を通ることがあります。

地軸の傾き23.5度に加え、月の軌道は地球の赤道面に対して約5度傾いていることなどが理由です。

ただ水戸は北緯36度22分にあるため、どの季節であっても太陽や月が水面に写り込むためには北から南側を見る必要があると言えるでしょう。

さらに、千波湖の奥にある自然景観も借景として活用され、周囲の風景全体が庭園の一部として取り込まれています。

この独特の借景手法により、偕楽園は限られた敷地を超えた広がりを感じさせます。


偕楽園を後にし、その借景として用いられている、また水戸城の天然の堀の役割もある千波湖へと足を向けます。

この湖は、偕楽園の美しさを引き立てる重要な要素となっています。

かつて千波湖は、現在の3倍ほどの広さを誇る広大な湖でした。

湖畔には遊歩道が整備され、春には桜が咲き誇り、冬には渡り鳥が飛来します。

那珂川の下流域に位置しているこのような場所では通常、河岸段丘が形成されやすいのですが、千波湖は特殊な成り立ちです。

(氷河期などによる海面上昇・低下の話を簡略化すると)本流である那珂川より運ばれた土砂が堆積し、支流である桜川との交点を堰き止めました。

これにより、「堰止湖」と呼ばれる湖沼が形成され、千波湖の原型となりました。

偕楽園は、河岸段丘の斜面に位置しているため、庭園からの眺望の良さは、この地形的特徴によるものです。

このような成り立ちの土地に目を付けて、低い位置にある湖を借景として庭園を開こうと考えたのでしょうか。


原寸大や未公開の写真は写真投稿サイトFlickrにございます。

ここまでご覧いただきどうもありがとうございました。次回もお楽しみに。