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ポケモンキッズと旅する 第78回 フォッコ|埼玉県行田市
本記事をご覧いただき、誠にありがとうございます。
第七十八回、フォッコと行田です。
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忍城は15世紀中頃、成田氏によって築かれたと推定されます。
成田氏は、以後約100年間にわたりここを拠点に地域支配を維持しました。
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16世紀半ば、越後の上杉謙信が関東に進出すると、成田氏はこれに恭順しました。
当時の城主・成田長泰は上杉謙信の小田原城攻めに参加するなど、その勢力下で重要な役割を果たしました。
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やがて成田氏は上杉家から離反し、北条氏の傘下に入ります。
この変節により、1574年には上杉謙信の攻撃を受けることになりますが、忍城はその難攻不落の堅牢さを活かし、持ちこたえました。
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忍城が誇る強さの秘密は、その立地条件にありました。
周囲は広大な低湿地帯であり、一見すると防御には不利なように思えます。
わずかな小高い場所ではありますが、周囲を見渡せるような高台にあるわけではありません。
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しかし、この周囲の広大な湿地帯が天然の要害として機能しており、さらに城の周囲に人工的な堀を巡らせ、防御力を高めていました。
水が豊富な地域性を活かして、忍城は水に囲まれた難攻不落の城となっていました。
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低湿地帯という忍城のこの特異な立地は、戦国時代末期の天下統一の時に、思わぬ展開を生み出すことになります。
1590年、豊臣秀吉による小田原・北条氏攻めの一環として、忍城も戦火に巻き込まれます。
豊臣秀吉は、有力な家臣である石田三成を総大将として任命し、忍城攻略を命じました。
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石田三成は、この低湿地に築かれた難攻不落の城を落とすため、当時としては革新的な戦法である「水攻め」を採用します。
これは、城の周囲に堤防を築き、水を引き込んで城を水没させるという大規模な作戦でした。
この水攻めは、豊臣秀吉自身がわずか8年前の1582年に備中高松城の戦いで用いた戦法であり、当時の日本においてはまだ新しいものでした。
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石田三成は、豊臣秀吉の成功例に倣い、さらに大規模な水攻めを計画しました。
しかし、忍城の水攻めは、思うように進みませんでした。
急ごしらえで築かれた堤防は決壊してしまい、十分な水位を維持する時間的余裕がなかった結果、忍城の水攻めは失敗に終わり、忍城はまたしても持ちこたえることになります。
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この間、豊臣秀吉の本隊は小田原城を包囲し、一夜城などの様々な策を講じて小田原城の降伏を促していました。(⇒第41回)
ついに小田原城が開城し、北条氏が降伏した時点でも忍城は依然として抵抗を続けていました。
最終的に、本城である小田原城の開城を受け、忍城も開城することになります。
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忍城の戦いは、水攻めという戦術が日本でまだ珍しかった時代に行われました。
忍城の立地は低湿地帯ということで、水攻めという戦術は想定されていたのでしょうか。
そのわずか8年前の備中高松城の水攻めが、日本における新しい戦法としての水攻めの成功例としてよく知られています。
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一方、中国では水攻めは古くから用いられていました。
例えば、下邳の戦いではのちの(三国時代の)魏となる、当時後漢末の時代に、曹操が呂布を討伐するため、当時連合していた劉備と共に沂水と泗水を堰き止めて下邳城を水攻めにしました。
また、秦が(春秋戦国時代の)魏を攻めた大梁の戦いでは、秦の将軍・王賁が黄河の水を引いて大梁を水攻めにしました。
※春秋戦国時代の魏と三国時代の魏は、同じ国名を名乗っていたものの異なる時代に存在する、別の国です。
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これら4つの戦いをまとめた表を参考として用意しました。
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これらの水攻めが行われた備中高松城・下邳・大梁は、いずれも低地や平地に位置しており、水を引き込みやすい地形でした。
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一方、忍城の周囲は広大な湿地帯が広がっており、一見すると水攻めに適した地形のように思えます。
しかし、本丸はわずかに高い位置にあり、これが結果的に水攻めの失敗につながりました。
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日本で水攻めがまだ珍しかったとはいえ、中国での水攻めの歴史や、忍城の地形、そして本丸の位置を考慮すると、忍城が水攻めを全く想定していなかったとは言い切れないかもしれません。
忍城の戦いで本丸が完全に水没しなかったという事実も、忍城が水攻めをある程度意識し、対策を講じていた可能性を示唆しているのではないでしょうか。
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忍城から程なく歩を進めると、広々とした水面が目に飛び込んできます。
ここは水城公園で、かつての忍城の外堀の名残を活かして整備された公園です。
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先ほど、忍城は湿地帯にある城で、沼地に点在する島々を繋ぐように築かれていたと言いました。
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この水城公園は、その名残を今に残す貴重な場所ですので、かつては忍城の周囲にはこのような風景が広がっていたのでしょう。
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水城公園を訪れたのは、秋の季節のことでしたので、紅葉の季節を迎えた水城公園は鮮やかな色彩に彩られていました。
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水面に映る紅葉の姿は、まるで絵画のような美しさでした。
池の周りでは、木が紅色に染まっています。
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その日は風もなく、水面はわずかに揺らいでいるものの、鏡のように静まり返っておりました。
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あまりに波立たない水面に、紅葉した木々が少し波打って鮮やかに映り込んでいます。
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まるで現実と鏡像の違いが曖昧になったかのような光景が広がっていました。
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逆さ写真を撮ることさえ可能なほどの静けさで、上下を反転させてもどちらが現実かわからないほどの反射でした。
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せっかくポケモンキッズを写し込んでいる写真を撮影しているのです。
その特徴を活かして、まず上から写し込む。
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そして、写真を180度回転させてみる。
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上から写し込んで、
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180度回転させる。
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多少水面が波打っているので、それでも違和感のある風景ではありますが、逆さ写真となっていますでしょうか。
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どちらが現実世界か分からないような写真に見えれば、幸いです。
原寸大や未公開の写真は写真投稿サイトFlickrにございます。
ここまでご覧いただきどうもありがとうございました。次回もお楽しみに。